TAMATAMA日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

集団マット(高2案)

久しぶりの投稿

 

すっかり投稿しなくなったけれど、その原因はずばり、実践報告をきく機会が減少してきたことであろう。

 

ひさしぶりに今日は実践報告から刺激をうけたので、メモ。

 

2019/10/17

高1のマット運動で、集団マットを教材とする計画をきいた。

 

それで、アイディアとしては、最初に鹿児島実業青森大学の演技を動画で視聴させ、器械運動の表現を探求していくおもしろさや演技の目標イメージをつける。

 

その上で、基礎的な技を学習したあとで、グループで創作し、発表をする構成となっていた。

 

計画をききながら、次のことが頭によぎった。

 

 

①その実践者はもともと高1で連続技づくりをしていた。それは、どちらかというと床運動を素材とした教材とも言える。そこから、子どもたちの実態をふまえ協同的な学習をしたいということで、今年度から集団マットに変更したようであった。そして、その目標イメージとして提示しようとしたのは、新体操の素材であった。

 

床運動の集団種目はなく、新体操となるので、素材研究の柱をどこにすえるかを考えたい。

 

集団マットは、床運動のように正統派の技を構成して身体表現をするものであり、ここでの表現性は「流動性」「美しさ」「躍動感」「緩急(リズム変化)」といったものかもしれない。そこに、新体操を素材とすることで「リズム表現」としての特性が加味されるとともに、「テーマに対する表現の独自性」もより拡張される。

 

現状、カリキュラムとしては、床運動にはじまり、高学年で新体操ともいえる。しかし、そうした既存の素材ベースの教材観だといづれ限界がくるため、重要なのは、器械運動におけるマット運動表現(床運動・新体操)の特質をおさえ、それをカリキュラムとして1つの筋道をつくる、ということであろう。

 

②表現としての多様性の拡張という視点からみると、いわゆる正統派の技による構成を重視した床運動青森大学グループの身体表現が最初に位置づく。新体操にみられるマット運動表現としての広がりは、その次の段階だともいえるだろう。

 

つまり、カリキュラムとして考えるなら、高1では正統派、高2では正統派表現の拡張、といったカリキュラムを構成することが想定される。

 

③そこで、高2以降の実践として、次のようなアイディアがうかんだ。

 

 「マット運動表現」としての単元を構成する。

 最初に床運動・新体操の動画を視聴させる。

 その動画は大きく3つか4つの属性(テーマ)に分類したものである。

   ※ 具体的には分析してみないといえないが・・。

 その中から、グループがめざす方向性を決定し、参考となる動画を選択する。

 また、自分たちがどのようなマット運動表現をめざすのかを協議・合意する。

 そして、動画から演技構成のポイントを分析し、自分たちのめざす方向性や

 演技構成の習熟対象を理解していく。

 基本技を共通で学習した上でグループ創作にはいる。

 それぞれが自分たちのテーマをゆたかに表現するための練習・演技構成の創作をする。

 最後に発表会をするというときに1つの課題がでる。それが、バラバラのテーマ性の中で、どのように評価基準を統一するのか、というもの。

 各グループが別々のテーマで探求しているので、評価基準によっては有利・不利となる。

 練習をしながら、この評価基準についての協議・合意をはかり、本番をむかえる。

 もちろん発表会は自主運営。審査員も自分たちでする。

 最後に体育理論をしながら、学習の意味を確認する。

 

 これは、マット運動の技術的探求や表現性の探求によるおもしろさを味わうことは当然ながら、マット運動表現は規定演技に制約されてオカタイイメージがあったものを、表現の多様性が拡張していることを理解し、概念を転換していくこと、そして、評価基準問題という文化的課題を理解し、場合によっては鹿児島が優勝できない基準になってないか、といった課題意識ももっていくほどに文化変革の視点をもたせていくこと、こうしたことがねらいとなってくる学習プランである。

 

 高3の段階では、それが器械運動文化全体の学習へと発展していくような構成がとれると、よりいいなぁとおもう。

 

こんなマニアックな実践を誰がためしてくれるのだろうか・・・。

 

とはいえ、刺激をうけてせっかくかんがえたので、メモメモ。