TAMATAMA日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

矢田部さんの本、その2

昨日、矢田部さんの本、『坐の文明論』につづいて、

『たたずまいの美学』をよんでみた。

 

さすがに連続で2冊目をよむと、疲労がたまる・・。

 

くるしみながらも、よみとばしながら、よんでしまった。

 

本書はどうも矢田部さんの原点となるような、博論を中心とする構成らしい。

 

そのため、矢田部さんは自身がよってたつ方法論についても解説しており、

 

分類論や現象記述についてをグーラン『身ぶりと言語』やマイネル『スポーツ運動学』を参照にしてきたことが提示されている。

 

なるほど、『坐の文明論』でも、『たたずまいの美学』でも同様の論法となっているこれらの背景がわかり、理解がすすんでよかった。

 

また、本書では『坐の文明論』であまりこまかく記述されなかった日本人と西洋人の歩き方の差異や、座り方の基本姿勢などが記述されており、その点、今の私の関心にひっかかってよかった。結局、自分の姿勢を改善したいという欲求がでてしまうのが集中できない要因となってしまっている。これは反省。最初に『メソッド』をよめばよかったかなぁ。。。

 

それで、この本を概観してみて、

 

1)坐法を分類ということは、多様な坐法を身体技術として客体化する1つの方法になっているのだな、という直感をえた。

 

つまり、学習の対象とするときに、「まちがった」坐法ということはないのではないか。それらはどこかで生活的な中で技法として形成され、また、それゆえに形成されなかったものである。だから、坐法それ自体は、一様に相対化されてかたられるべき事柄なのではないかとおもった。

 

また、こうして把握することで、学習内容としての坐法を把握していく道筋ができあがっていくとおもった。

 

矢田部さんが次によもうとする書籍『からだのメソッド』および『日本人の坐り方』でしめしている、多様な坐り方から、ヒントがえられそうである。

 

2)また、最後のところで、矢田部さんが身体技法の特性を4つにわけている。

こうした段階は、わかりやすくてとびつきやすいので、メモ

 

1)原初的身体技法

2)民族的身体技法

3)職業的身体技法

4)個人的身体技法

5)普遍的身体技法

 

これらの特性は、子どもたちのからだを分析する枠組みとしても機能するかもしれないとかんじた。子どもたちの生育環境の差異(畳かフローリングか)によるからだへの影響(民族的身体技法?)、何かの習い事や家での習慣からくるからだへの影響(個人的身体技法)、そしてそれらに影響されて日常動作としてのからだへの影響(原初的身体技法)。

 

子どもたちの発達のゆがみをかんがえる際に、何か活用できそうである。

 

しかし、頭がもうついていかない。

 

ひとまず休憩。

 

3)他には、①内観、②骨動作(骨でたつ)、③腰をいれる、というあたりの話がおもしろかった。こういう部分はわかりやすく説明してくれるので、すごいなぁとおもう。

 

また、②骨動作でおもいだしたのは、先日ヨガフェスタに参加した際に、他者に腕をまげられるのに抵抗しようとするとまげられてしまうが、腕が棒になっている、とおもうと他者にまげられない。というワークがあった。

 

これは、「脱力」がただ弛緩することだけではなくて、弛緩の中で、意識をおくことを学習するためのワークであった。というのも、腕が棒になっている、とおもうことで、実は肘の関節をのばす意識がはたらいていて、それでまがらない、というのである。実際にそうだった。

 

あぁ、これもある意味で、骨動作と関連してくることだなぁと想起していた。ただそれだけの話。授業でつかえるかなぁ。

 

ということで、次の本へ。。

 

さて、次の日になった。

 

『からだのメソッド』をよんでみた。

 

これは、ラッキー。

 

自分の姿勢をみなおすきっかけになった。

 

やっぱり、骨盤(仙骨)をたてることが重要なんだなぁ。

でも、これまでもそれはやっていた。

 

今回、これならやれるとおもったことは、

骨盤(仙骨)をたてるけれど、上体はリラックスさせる、ということである。

 

また、正座の仕方もなるほど、草坐をしって、やってみて、とても楽だった。

お経をよむ高校だったので、つらかったおもいでがあるのだが、

正座の仕方からしっかりと指導してほしいとつよくおもった。

 

やはり、すわるというのは身体技術なんだなと実感。

 

歩行時にもあきらかにちがう。

 

それで、この本のすごいところは、

ただ、そういう型を指南してくれるだけではなく、

その真髄が、自身の身体感覚をつかむことにあることで、

無理なく、自分の自然体を探求・維持していくことができる、という点にある。

 

解説の平山さんが見事にそれをいいあてている。

 

画期的な点は、「身体感覚を養うという方法をとっていること」だと。

 

これまでのからだの指南書とはことなる、まったくあたらしい内容だ。

 

それでいて、個々の身体にあう形で、自然なからだを保障していく。

 

ぜひよんでもらいたいとおもう。

 

本書で紹介されているワークや、食作法の文化なども、とても興味深い。

中でもなるほど、そうだな、と納得したのが、矢田部さんの演習をうけた学生の感想である。

 

「以前から「姿勢を良くしなくては」という意識はあったが、良い姿勢は疲れ、気が張り、一度正してもすぐに元の姿勢に戻ってしまった。…腰にストレスを与える「反り腰」の上体だったからだと思う。正しい姿勢は疲れるという強い思い込みがあった」

「なるべく背筋を伸ばすように心がけていた。けれど、長時間意識していると背中が痛くなってしまったり、腰が疲れてしまったり、肩が凝ってしまったりして、なかなか自分のからだをうまく操れないでいた。その頃のわたしにとっては姿勢が良い=「反り腰」の姿勢だと勘違いしていた」

 

矢田部さんもコメントしているが、学校教育で指導される姿勢とは直立不動の姿勢であり、緊張をしいられ、反り腰になるほどの不自然な曲線をつくらされ、「身体の自然」とは不一致なものである。

 

この問題性をどう把握するか。重要な課題であろう。矢田部さんが本書で紹介している立・坐・歩の姿勢を指導し、自然な形で動作ができるようにしてあげられたら、どれだけ子どもたちの発達にとってよい影響をもたらすのであろうか。

 

そのことを探求する学級指導や体育指導が探求される必要性をかんじる。

 

同時に、矢田部さんの文化研究は、子どもたちにもそのまま身体文化についての学習内容となるほどの体系性や構造的な特性を解明している。

 

この研究成果は、継続して学校教育の分野でもひきとる努力をしていくことがもとめられそうだ。

 

また、なるほどとおもったその他の点としては、「人に伝わる印象というのは、ビジュアル的な姿形よりも、その人が身体の内部にどのような感覚をもっているのか、ということの方がより強く伝わって、心の中に留まっていくことになります」という部分だ。

 

私たちは背筋がのびている状態の人をみると、そこから「きちんとしている」「気持ちが良い」「さわやか」という印象もうけとる。これは、対象となっている人の身体内観が表現として表出していることを意味しているであろう。人の立居振舞に情動がうごかされるのは、その人の身体内観の状態にうごかされているともいえる。

 

外見をみているのに、内観をみている、ということになる。これもおもしろいとおもった。

 

最後の身体と運動の論理の部分は、器械運動で導入するとおもしろそうというアイディアがみられた。早速、からだを大事にする実践家に、この本を紹介するメールをおくってみた。また議論していきたい。

 

さて、ようやく最後の1冊である。

 

ここまでよんで、3冊ともそれぞれの個性がしっかりとねられている。もちろんかぶるところはあるが、展開としては全く別物である。その構成だけをみても矢田部さんが良心的な方で探究心がつよい方だということがわかる。

 

最後の新書もたのしみである。

 

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鶴岡八幡宮、蓮。