TAMATAMA日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

体育科の見方・考え方(メモ)

体育科の見方・考え方について、批判的にかんがえてみたものを報告したので、一部、メモとしてはりつけておきたい。

 

・「体育科の見方・考え方」の課題

(1)個人の感情や能力への限定化

 「体育科の見方・考え方」においては、社会とのつながりを強調しつつも、「豊かなスポーツライフ」を限定的に把握するような、形式的な授業が展開される可能性がある。

 まず、「体育科の見方・考え方」においては、「楽しさ・喜び・体力の向上」という主体の感情や能力の視点に、運動やスポーツの「価値や特性」が限定されているように解釈できる。これでは、運動やスポーツの社会的文化的な価値や特性が軽視されてしまう。さらに、「見方」の視点が限定されるならば、「考え方」に提示された運動やスポーツの多様な側面との「関連づけ」においても、「楽しさ・喜び・体力の向上」と関係する範囲内におさまることになる。特に「楽しさ・喜び・体力の向上」とは、運動やスポーツを「する」側面を中心とするものであり、「活用・探究」の学習においても、「する」側面のみを対象とした学習になりやすくなる。たとえば、個人の能力や適性を考慮して、特定の特性をもつスポーツを選択し、生涯にわたるスポーツライフを設計する、といったように、スポーツの特性と自己の生活とを「関連づけ」て考える授業として、形式化される可能性がある。

 

(2)能力別学習の推進への危惧

 そして、「考え方」では「自己の適性等に応じて」という記述により、能力別学習が推奨されるとともに、「する・みる・支える・知る」についての多様な解釈が可能になってしまう。たとえば、能力別と解釈されることで、運動やスポーツの多様な関係性の理解をすべての学習者にどこまで保障するのかが曖昧となる。すべての学習者が選択主体となれるための学習が保障されるべきだが、運動やスポーツを「する」能力が低い学習者は「みる・支える」役割になるなど、分相応の役割論になりかねない。こうした点を危惧するのは、体育科の学習指導要領解説においては、「主体的・対話的で深い学び」が強調されながらも、なお能力別学習が推奨されているからである。学習方法としての能力別学習と目標とされる「見方・考え方」の記述が合致することで、能力別指導が蔓延していくことが危惧される。

 

(3)スポーツへの批判的な視点の欠如

 さらに、「考え方」における運動やスポーツとの多様な関係については、スポーツの肯定的な側面のみに着目していることも指摘できる。「みる・支える・知る」を直接的に学習する体育理論では、スポーツの意義や価値を肯定的な側面に限定してしまっている。こうした傾向は、スポーツ庁が策定するスポーツ基本計画や、オリンピック・パラリンピック教育においても同様の傾向がみられ、批判的な側面が軽視されている。

 そのため、「見方・考え方」に迫る学習としては、既存の状況や個人の範囲に限定した学習となり、スポーツの矛盾や問題を軽視した現状肯定的・現状適応的なスポーツ観の育成がめざされることになる。すなわち、「体育科の見方・考え方」は「スポーツの消費者」としての資質・能力の育成にとどまっており、「スポーツの創造者」(友添,2011)としての資質・能力を育成する視点が欠如しているのである。

 

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わんぱーくのハクビシン、あつさにぐったりでした(笑)