TAMATAMA日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

「時間稼ぎ」の話

いよいよ明日から体育の大きな研究大会(滋賀大会)が始まります。

 

まだまよっている方はぜひご参加を。

 

http://taiiku-doshikai.org/wordpress/wp-content/uploads/2018/05/2018_shiga.pdf

 

さて、その滋賀大会で、学生の交通費を捻出するために、「World Cupの時間稼ぎの話」のまとめを冊子にしました。

 

その一部で、私の見解をちょろっとしめしたので、ここに転載します。

 

教室でする体育で教材にしてほしいなぁとおもいます。

一応、(1)から(3)の見出しが発問にもつながるかなぁというものです。

でも、この教材で何を教えるのかは十分に考えていません。

 

 

2018ワールドカップ「時間稼ぎ」問題がなげかけるもの。

(1)試合へ敗北しても決勝トーナメントに進出できればよいのか

 賛成する主な意見としては、決勝進出のための戦略であって、試合放棄ではなく、勝利をめざした決断であった、また、他試合の結果も最後まで予測がつかず、ある種の賭け(勝負)にでたというものがある。他にも、ルールに遵守した中でのプレーであり、否定できないという主張がある。これに対して、否定する立場からは、FIFAが策定する“Code of Conduct for Football[1]フットボールの行動規範)”の第1規範「play to win」に提起されている「最後まで勝利をめざしてプレーすること」に違反するものであると主張する。特に今回は、決勝トーナメントに進出するために、試合を敗北してもよいという判断がなされており、目の前の試合で最高のパフォーマンスを発揮する努力をしあわなかったことから違反に該当するだろう。もちろん、日本を攻めきらなかったポーランドも同様であろう。試合を放棄する行為という意味では、長島一茂が主張する野球の敬遠とは異なる。問題となるのは、「ルールの範囲内」であるから、「試合に敗北」をしてでも、「パフォーマンスを発揮しあわず」、「決勝トーナメントの進出」をめざした、勝利至上主義を容認するかどうかである。

 

(2)スポーツにおける「フェア」とは何か

 今回の問題が発生した要因として、「フェアプレーポイント」の導入がある。ルールに遵守した行為だとするのは、「時間稼ぎ」が「フェアプレーポイント」に違反しないためである。そのため、ネット上でも意見があがっているように「フェア」とは何かを規定しなおす必要がある。「倒れる演技がうまい国がつよいなんてフェアではない」といった声に示唆されるように、マリーシア[2]の存在もふくめ、何をもって互いを尊重し、対等な関係を保障しようとするのか、このことは教室でも相当な議論になろう。スポーツの「フェア」とは何のことだと考えるのか。

 さらにいえば、フェアプレーポイント自体の是非が問われるべきである。私はこのフェアプレーポイントの導入に反対である。ペナルティの数が順位にまで影響するとなると、選手たちのサッカープレイヤーとしての主体性(美学)を奪いかねない。イギリスで発生したフットボールは民主主義の精神にたち自己統治する主体をもとめた(中村敏雄『スポーツの風土』)。サッカーの複雑性はプレイヤーの意志や精神を尊重する中で保持されてきたと考える。危険プレーや背徳的な行為は現状のように試合へのペナルティで十分であろう。

 

(3)あなたが西野監督だったら、どのように決断するか。

 詳細には分析していないが、今回の日本の報道や議論をきくと、苦渋の決断を迫られた西野監督の判断を肯定する内容が多いように思う。日本代表で決勝トーナメント進出がかかる試合で、残り時間が限られている。この時に様々なことを想定し、苦渋の決断をした。西野監督も選手も今回の決断が正しいと晴れやかな表情ではない。そのため、あの複雑な場面での判断に共感し、「西野監督の判断は間違ってない!」と肯定する意見が多くなったと考える。西野監督のあの場面に子どもたちを立たせて考えていくのもおもしろいかもしれない。

 西野監督コメント「あの形が本意と思って戦っている選手もいたし、そうでない選手もいたと思う。どっちかに振れた戦術を与えなければいけなかった。勝てばいい、結果がいいだけでももちろんないと思う」(朝日新聞2018/7/6)

 

(4)最後に、みなさんはどのように考えるのか。

 大学生80名に質問をしたところ、「時間稼ぎ」問題を8割の学生が肯定した。「私の意見」でも肯定的な意見が多い。ここには固定的なルール観や現状適応的な思考の存在がうかがわれる。「現実のスポーツは勝利至上主義なのだからこれでよい」、「ルールに遵守したのだから何をしてもよい」という意見をきくと、スポーツを肯定的に「みる」だけではなく、よりよいものへと「つくりかえる」という視点が、今後もなお強調されていかなければならないと感じる。また、西野監督の苦渋の判断に共感することで、無批判に事態を受容することをどのように考えたらよいか。ここに日本の独自性は関連しているのだろうか。スポーツが人間にとってよいものになるためには、勝利至上主義にむかう今回の問題が肯定されてはいけないと思うのだが、みなさんはどのように考えるか。教室でする体育としても1つの教材となりうる出来事であると思う。

 

[1] Code of Conduct for Footballhttps://www.fifa.com/about-fifa/news/y=2002/m=4/news=code-conduct-for-football-81746.html

1.Play to Win(全文)

 Winning is the object of playing any game. Never set out to lose. If you do not play to win, you are cheating your opponents, deceiving those who are watching, and also fooling yourself. Never give up against stronger opponents but never relent against weaker ones. It is an insult to any opponent to play at less than full strength. Play to win, until the final whistle.

[2] マリーシアポルトガル語: malicia)とは、ポルトガル語で「ずる賢さ」を意味するブラジル発祥の言葉である。 サッカーの試合時におけるさまざまな駆け引きを指す言葉でもあるが、国によってその解釈は異なっている。 イタリア語では「マリッツィア」 (Malizia) と呼ばれる。Wikipedia参照。

 

 

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写真は小屋浦の被災地。家主さんの素敵な写真が撮影できたので

プリントしてプレゼントしたら、かわりに木刀をもらいました(笑)