TAMATAMA日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

卒論の指導

昨日は演習

 

ある方が、小学生の頃にみんな野球からはなれていったことをきっかけに、野球人気の低下についてのテーマをもってきた。

 

こういうとき、2つのことを大事にする。

 

1つは、その論文テーマを追求するうえでの、「自分にとっての意味・意義は何かを明確にすること」。

 

どんなテーマでも自分の心の奥底にある経験がベースになっている。

 

それはたった1度の経験でも、その人の胸に刻まれたもので、そこにはわけがあるはずだ。

 

そのとき、きずついたり、感動したことであったり、実は怒っていたことであったり。

 

そういう事象には、必ず社会的な問題やほりさげるべきテーマがかくされている。

 

それで、その方の話を聞くと、はなれていったのは、指導が厳しいとか、坊主がやだとか、女の子はサッカーやっている人がすきだったとか。

 

なら、小学生のスポーツ観とか、なぜ野球は坊主にしてしまうのか、とか、女の子はなぜサッカーが好きなのか、とか、裏テーマがやはり存在することになる。

 

こうしてどんどん経験をほりさげて、自分にとっての意義や意味をみいだしてもらいたい。

 

ついでに、その方は小学生に野球指導をしている。過去の経験から、野球を好きになってもらえるためにはどうしたらよいのだろう、という問いが存在するはずだし、そのことから、どういうクラブ運営をしていけばよいのだろうと、疑問におもっているかもしれない。

 

そういうところまで自分でたどりついてくれたら、もう卒論の執筆は自己運動化するとおもう。

 

もう1つは、先行研究で、まだ明らかにしていないことを明確にすることだ。

 

これは、まぁ、一般的なことなので、深くはのべなくていい。

 

その方の場合は、人気の低下要因の先行研究をあたって、そこにオリジナルな視点を設定していく、ということ。基本は新しいことを発見するのが、研究。

 

ということで、自分にとっての意義・意味と、研究上の意味・意義がつながっていったときに、人間にとっての価値ある研究は成立するとおもう。

 

能動的な「学び」をえた学生たちは、きっと社会の豊かさと自分の人生の両面をみすえていけるのではないか。