TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

想いと行動をつなげることが課題?

選挙おわりましたね。

 

だいたい予想どおりでした。

 

 

さて、ある方から、

 

 

自分の社会観、人生観と、教材づくりがつながっていない、という問題意識をききました。

 

 

これは、共感できる部分があります。

 


というのも、行動の背後にある思想性みたいなのがバラつきやすく、行動に筋がないというか、そういう感覚への危機感、感じていたからです。

 

戦後、「教え子を2度と戦争にいかせない」と誓い、民主的人間形成の方法として導き出したものが、今何気なく取り組んでいる、グループ学習であったことや、「みんな」や「自前(民間)」にこめられた民主主義への信念などもそうですが、先人たちの行動には、まず大きな理念や目標があり、行動はそれを形にしてきた結果になっています。

 

 

そうした思想と行動を一致させて現実を切り拓いてきた先人たちの姿をみると、今はあまりにも乖離しやすい。自分の生き方が、行動に反映されることは困難になっているのでしょう。たとえば、今の時代を生き抜く上で、いろんな状況に適用できる、私とは別の顔をつくることが、逆に自分を保持しながら生きていく方法にもなっていると思います。でも、早期に別の顔をつくってきたがゆえに、自分の内側の想いを育ててこなかったとも言え、大人になってもますます乖離していってしまう。

 

東日本大震災自体の衝撃もそうですが、東日本大震災によって露呈した政権の問題性(ここまで含んで、歴史的契機としての3.11ですもんね)に国民が運動を起こしていったことで、私たちが取り戻した感覚はそこにあると思います。

 

自分も含めて、運動に参加した人たちは、自分が生きる上で、本当に大事なことは何か、とか、そういう問いをもちながら行動し、自分の想いと行動を一致させようとすることで、生き直していました。それは、想いと行動をつなげず、現状の問題性を見逃してきた、目をつむってきた自分を反省したからでしょう。

 

先人たちと同様に、私たちも時代に生きている、だから、信念をもって、生きなければならない、そんな自覚をもったのかもしれません。

 

こんなふうに、発言された方の問題意識は、自分自身の問題意識とも関連してきます。

 

 

あと、ここは個人的な見解ですが、先人たちは時代を生き抜きました。でも、私はやっぱり、時代を生き抜くことしかできなかった(生きざるをえなかった)のではないか(もちろんそんな人ばかりでない)、という疑問もあります。社会の中の個なので時代を生きる必要もありますが、ゆとりをもったり、自分の楽しみをもっていたり、自分なりの豊かな生活をみつけていったりすることも必要で、さらには、そういうふうにすごす人生をあゆむこともまた、1つの民主主義社会を証明する方法でもあるんじゃないか、と思ってもいます。

 

とおもっていたら、こんな記事が。

 

好きなことをフルタイムの仕事にすることが幸せ」という“現代人の幻想”を壊す23歳のシェフ。

http://beinspiredglobal.com/meet-heaps-public-interview-studio-vol1

 

そうそう、こういう記事をみると、労働の概念を少し考えてみないとなぁと思います。 

 

さて、話をもどすと、学習するきっかけとして、OECDがいっているのは知識基盤社会やグローバル社会だけじゃなくて、経済成長と持続可能性の矛盾をとらえた成熟した市民社会のあり方についても問題視しています。なのに、日本の本質的な問題として、OECDにもとづきながらも、前者しか取り上げない。なら、私たちが、成熟した日本の社会って、どんな社会か、そこにむかうにはどんな教育をしたらよいのか、こういうことを考えていってもいいかも、なんて思いました。

 

すぐに何かをかえる話ではないですが、3.11の時代認識をもった私たちが共有しておきたい問題意識だと思います。