体育における学習内容に焦点をあてたら、
「わかる、できる、考える」というスローガンが頭に浮上する。
もっというと
「わかる(知識)、できる(技能)、考える(思考・創造)、生きる(価値観)」
みたいな。
ここでの考える活動をいれようとするならば、確認する・たしかめる、検証する・実験する・調査する、ふりかえる・総括する、そういった活動がくっついてくることになる。
考える活動とその他の学習方法との関連を検討することは近年の教育界の動向においてももとめられていることで、いずれ検討したい。
さて、今回は前回のつづき。
小5のホールディングバレー実践ではねらいの1つに、「自分たちの練習計画をたてて実践する」ことがくみこまれていた。
そのための手立ては以下のようであった。
①3:3の段階で「穴をうめるフォーメーションを考える」時間をつくり、自分たちのフォーメーションをつくり、実践させた。
②3:3の段階で自分たちで練習計画をたててとりくませた。
③4:4の段階でゲーム調査から自分たちは攻撃(アタック率)重視なのか、守備(ラリー回数)重視なのか、その特徴を理解させる。そしてバレーボールのおもしろさについて考えた上で、最終ゲームにむけて、自分たちはどんなゲームをめざして、どんな練習を計画していくのかを考えさせ、実践させる。
④その際、自分たちはブロックをいれるのかいれないのかを考えさせてフォーメーションを考えさせる。
ここでのポイントは、
「 自分たちで練習計画を立てさせる際に、見通しをもたせている、ということ。 」
そのための手立てとして、
(1)感覚づくりとして授業開始はいつも基本の練習を自分たちで進める展開となっており、自主練習の見通しをもたせていた。
(2)3:3の段階で失敗も想定しながら自主練習に取り組ませている(本番の1回でおわらせない)。
(3)「自分たちのチームの特徴」を提示する。
ゲーム調査(ボールの落下位置調査)から総アタック数、ラリー回数、アタック決定率を算出し、その結果から自分たちが攻撃・守備のどちらが強く・弱いのかを提示している。じゃあ、どうするか、という見通しを立てやすくなる。
(4)リーグ戦の目標をチームで合意させる。
バレーボールのおもしろさってどんなところにあるのかを発問によってひきだしながら、自分たちのゲームイメージを考えさせた上で、それに近づくための練習を組織している。
※ここでバレーの文化学習をしくんでもよかったのかもな〜。
(5)したがって、まず方法に関わる経験(失敗もふくむ)を1度させておいた上で、次は「目標(どんなバレーにするか)」をみすえ、「現状(自分たちのチームの特徴)」を把握し、「計画(どんな課題解決にとりくむのか)」づくりをとりくませている。
これまで主体的・自主的なグループ練習については実践されてきたけれど、こうした具体的な方法論については議論されてこなかったのではないか。
※「みんなでみんながうまくなる上で有効な『わかる中身』」を探求しないと、こうしたものはみえないからなのだろう。
「足場づくり」の方法論とでもいうのであろうか。
「はい、じゃあ自分たちで練習してうまくなる時間だよ〜」といって放任になるのではない。
これがすぐれた実践の仕掛けだなとおもう。
ただ、まだ十分に整理されていないのでもう少し考えていきたい。
ところで、どうして自分たちの練習計画をたてさせるのだろう。
それはスポーツを自分たちで組織していく力をつけることは、生涯スポーツにつながるから、と、そういうことになるのであろうか。
かつて草深さんはスポーツ権利主体にふさわしく獲得されるべき3つの権利と学力について述べていた。
(1)すべての子どもがスポーツを自ら行いうるような技能的・技術的能力(スポーツ享受の権利)
(2)スポーツ自治の権利とかかわって子どもたちがスポーツを組織・運営・管理していく能力
(3)スポーツ行政保障請求の権利(スポーツ政策関与権)にかかわるスポーツの社会科学的認識
このうちの(2)にあたるということだろう。
スポーツ活動を自分たちで組織・運営していく力をつけることが学習権としてとらえられている。消費スポーツが発展する中、自分たちのたのしみとして組織する力をつける環境がうすまってきている、という現状認識がここにあるのではないか。
でも、小5から?という疑問もうかぶのかな。
でも、小5からやらないと?という疑問もあるし。
いったい小学校の段階で、自主練習の学習をいれる意義をどう考えていけば良いのだろうか。これについては再考の余地があるとおもう。
・ゲームの位置づけを学ぶため?
ゲーム=次の練習課題をみちびきだす手段。
・「自分たちで練習してうまくなった経験」に主体者形成にふさわしい意義がこめられているのかもしれない。
失敗した経験も宝だ。ここが見落とされる危険性はここにあるかもしれない。ただ、失敗の先に成功がないと見通しはうまれない、ともいえる。これまでの学習をふまえて自分たちで考えた目標、内容、方法、評価をいかす。「自分たちはどうありたいか」「どんなプレー・ゲームをめざすのか」というのは「自分たちの考え方」も学習の対象にしていくものである。
・社会科学的内容との関連がもてる。
自分たちはどんなゲームをめざすのかという合意形成の時間を組織する際には、教材の文化的なおもしろさなどを歴史的経緯とともに学習していくことが可能となる。独自ルールを創造している際には必要にもなる。
うーん、少しあげてみたが、今回の実践の子どもたちの感想から「考える」活動があったからこそうまれた内容がどこにあるのかをさぐってみたいと思う。ヒントがあるかな。
そういえば、ある子が「自分で考え行動する」ことを学んだと記述していた。「考える」ことを大事にした学習ではそんな感想がでるのかと驚いた。
バレーボールではチームプレーだが、そのボールをとりにいくのかいかないのか、どこにパスをするのか、といった予測・判断が1人ひとりにもとめられる。
チームプレーだけど1人ひとりが役割を意識してするべきことを考える。
また授業ではポイントを探求し、課題をみつけ、課題解決方法(たとえばフォーメーションの組み立て方)を考え、練習していく、といったサイクルが大事にされていて、考えて練習していくとうまくなれるしたのしくなることに気づいていく。
こうした経験が上記の感想に裏打ちされているだろう。他にもあるかな〜。
それとやっぱり現代スポーツはますます消費スポーツ化している、という事情を考慮する必要がある。戦術や技術はお金でかえる時代なのだ。
うまくしてどうする?どんな組織領域の学習がいるの?
この問いとともに、あらためて運動文化の組織領域の学習内容について目標ー内容ー方法を考えていく必要がありそう。うーん。
※5月の博多。