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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

雨だと思ったけど、晴れた、けど、歴史の授業に挑戦:フラフト編

フラフト 体育理論・スポーツ・運動文化

 

おかしい。先週から昨日の朝まで、金曜日の天気予報は雨であった。

 

しかし、昨日の昼に確認をしてみると(そういえば雨でも傘をささないことが多かった自分にとってこんなにも天気を気にするになったのはうまれてはじめて)、

 

晴れであった。

 

 

すでに雨の日のための教材研究を数日間していたし、今後の授業の展開も視野にいれていたから、実技バージョンに頭をきりかえるのがとっても大変だった。

 

ただ、歴史をがっつりやらないだけで、今日もまた歴史の話と実技をかさねようとこころみた。

 

 

しかし、やはり感想には少しもふれていないのである。

 

 

一応、前回の月曜日の反省をふまえて、今回は「ゲーム前」に「要点を絞って」紹介をした。

 

それが次のような内容である。

 

フォワードパスルールはどうしてうまれたのか?

 

(1)フォワードパスルール

 スクリメージ・ダウンに、スナップをしたチームが、ニュートラル・ゾーンないまたはその手前から、チームの確保のかわる前に、1回だけ、投げることができる。

(2)流血・乱闘事件の勃発

 ・当時、ハッキング(=足を蹴る行為)やヒッピング(=足をひっかける行為)が許容されていた。

   どうして?

 ・“力の象徴”であるブロッキングプレイの高度化  

     Vトリック    フライング・ウェッジ    腰に紐をまいてひっぱる  ・シカゴ大コーチのスタッグ氏のコメント(1905年)

   「この1年で18人の選手が死亡し、154人以上が負傷をおった」

 

(3)フットボール禁止令

 ・1905年10月セオドール・ルーズベルト大統領による禁止令の発令

 ・ハーバード、エール、ブリストン大学の代表選手をホワイトハウスに呼ぶ。     「試合の安全性を向上させねば競技の中止」と勧告

 ・1906年1月ニューヨーク

    ウォルターキャンプ(ハーバード大学)を中心にルール委員会を開催   

    危険防止のためのルール改正

       ・ニュートラル・ゾーンの設置

      ・ファーストダウン獲得距離を5mから10mに延長    

      ・試合時間の分割(前半・後半)

      ・フォワードパスの公認

 

(4)「フォワードパス」とは

 

 

  ①フットボールの“力の象徴”となるブロッキングプレイの危険性を緩和するための技術

                        犠牲をともなって開発された技術  

 ②ただしそれはフットボールで尊重されてきた「オフサイド」の部分的な否定を意味している。

         オフサイドにこめられた意味…「密集性」「長時間享受」   

→ フォワードパスの導入は、

    ラグビー(イギリス)文化の一部を否定し、アメリカ独自の文化へと改変していく契機となる。

  ⇨ 「フォーワードパス」を含む、ゲームを体験しながら歴史の転換点を味わおう。

 

という感じ。

 

これをみても、やはり、実技と重ねるためには戦術的内容にまでイメージがわくようにしなければならないのかな〜。

 

たとえば、最初はどんなパスプレイがでてきたのかとかで、今回ためす作戦とからんで紹介して、やってみよう、という話にするとか。

 

今回みたいにそういう話は一切なしで、「歴史の転換点を味わおう」といっても厳しいのかな。

 

流れとしてはこれまでランプレイを学習してきたから、パスプレイが入ることでプレイの幅が拡大したことは学生たちは感じとっている。

 

だけど、それがど〜しても歴史の話とつながらない。

 

パスがどう発展していったのか、そこのところも調べてみようかな。

 

とおもったら、以前しらべてちょっとまとめたものがあった。

 

導入後:1906年9月5日にセントルイス大学対キャロル大学の試合で初プレイするも普及せず。

  <フォワード・パス公認時の付属ルール>

   ・パスは、スナップされた位置から5ヤード以上離れたスクリメージ

   ・ライン上を通過しなければならない。     

   ・誰にもふれられずにグラウンドについた場合は、攻撃チームは攻撃権利を喪失する。

   ・捕球できなかった不成功のパスは、リカバーしたチームのボールとなった。     

   ・1回のシリーズ・オブ・バウンズ(第1〜4ダウン)で1回を超えた不成功は5ヤードの罰退

   ・エンドゾーン内で不成功となったすべてのパスは、タッチバックで相手ボールとなる。         ※パス=ギャンブル行為    

  1910年ルール変更

     ・パスがスクリメージ・ライン上のどこを通過しても承認される。      ・パッサーはスクリメージ・ラインから5ヤード以上後退してからパスを投げる。    

  1912年ルール変更

     ・パス・インターフェアレンス(パスレシーブの妨害)が禁止      ・フィールドにエンドゾーンを設置し、この地域でのパス・キャッチが承認   1913年11月1日

      当時全米トップクラスの実力校アーミー(陸軍士官学校)対無名校のノートルダム大学    

   “密集を力で突破するアーミーの戦法が壮大で完璧なパスプレーに対抗仕切れなかった”

  1934年パス奨励のためにボールが丸型からピーナッツ型へ。    

  1948年T攻撃体型の普及で、1945年にパスがスクリメージ・ライン後方ならどこからでも投げらえるようになり、パス全盛時代に結びついていく。

  

 

 こうして眺めてみると、

 

 必ずしも最初はフォワードパスをがっつりと推奨したわけではないことがわかる。

 

 パスでせめて、突然ブロックでせめるとか、戦略的な攻めは発想としてはまだなさそう。

 

 ちょっといいすぎたかな。たしかに歴史の転換点だけど、すぐにイギリス文化、力の象徴であるブロックプレイと対等な関係に位置づけたわけではなかったのだな。

 

最初はショートパスがなかったみたいだし、このあたりをうまくまとめて、追体験的な授業ができたかもしれない。

 

失敗ばかりだけど、こうして少しずつ課題をみつけていきたいな。

 

学生には申し訳ないけど。

 

※参考文献は後藤さんの『新フットボール専科』

 

 

 

※追記。

 教育学系の本を読んでいたら、「意見選択の自由」というキーワードをえた。

 

 なるほどとおもった。

 

 「歴史の転換点を味わおう」では、解答は1つしかない。感じてそれでもって自分の感じ方を表現させられるような具体的な課題でもない。

 

 だから、次のような展開がよかったのかもしれないとおもった。

 

 ①パスプレイはイギリス文化の部分否定

 

 ②しかし必ずしもすぐにはパスプレイがうけいれられたわけではなかった。

 

 ③それでも現在パスプレイがアメフトの華となっているように、アメリカ人にとってこの技術が受け入れられていった理由がある。

 

 ④先人たちがどうしてこのパスプレイを保持・発展させていくことになったのか、パスプレイがはいることでどんなおもしろさがあらわれたのか、増したのかを考えてみよう。

 

とこういう課題の提示の仕方ではどうか。

 

これだとそれぞれが体験したことをもとに考える「意見選択の自由」がうまれるのではないか。

 

どうかな。。