TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

とりとめのない子どもの話

 

ロシアによるトルコのサッカー選手の獲得禁止。

 

スポーツの政治的利用とはまさにこのことだ。

 

相手が嫌がることをするのがねらいだから、お金、娯楽の奪取、ということになろう。まぁありうる話である。スポーツはそれ自体として自立するのが困難となっている。グローバル化にともなってその傾向はますます顕著になっている。

 

ところで、これをめぐって反対運動とかおこってないのかな。

 

来年からトルコ人労働者の新規雇用を禁止するロシア政府の意向、これをどううけとめるべきなのか。

 

 さて、ちょっと小休憩。ふと頭によぎったこと。

 

 

体育授業の感想文で、こんなものがありました。

 

小学校5年生にもなると分析的で論理的な記述がふえてきます。

 

自分がうまくなった理由をかいてくれるのです。

 

 

今日はよくできたとおもいます。なぜなら昨日お姉ちゃんと家で特訓したからです。

 

○○するとうまくいきました。

 

次も頑張りたいです。

 

 

 

 

心温まる話ですね。感性的な論理的思考、論理的思考のめばえみたいなものでしょうか。

 

また、同じ授業・同じグループでこんなものもありました。

 

 

私はこんな作戦を考えた。

 

すると、○○が理由でうまくいかなかったのである。

 

そのとき、Sさんが「○○したら」といった。

 

そしてやってみると、見事成功したのであった。

 

Sさんのあの一言でうまくいった。

 

Sさんには感謝したい。

 

 

戦術学習にのめりこんでいることがよく伝わる。

 

物語風の表現にかきかえていることが印象的であった。

 

 

感想文をみると、こうして、ときに子どもたちの映像的で感覚的でユニークな言語表現がめにつきます。

 

忍者のように、風をきるように走るとか、

 

プレスディフェンスをとびかかるドラゴンとか、

 

すごいなぁとおもう。

 

あと、お話マットやお話鉄棒、発明技などの創造的な(遊び要素のある)活動でもそう。

 

ある子はスカイツリー(3年)といって、お話鉄棒で技をかんがえてきた。

 

その発明技は、鉄棒の前にたち、両手を頭の上であわせながら三角をつくるもので、鉄棒との接触は唯一お腹のあたりだけなのだ。

 

子どもにいわせると、それも鉄棒の発明技なのだ。

 

生活的で、映像的で、感覚的でユニークな創造・表現、こうしたものになごまされる瞬間は、教師たちにひとときのやすらぎをあたえ、幾重にもはげましやえーるをおくることになる。

 

どれだけこうした子どもにすくわれた教師がいることでしょう。あ、研究者も。

 

※写真は日間賀島の朝日

f:id:think-for-themselves:20151130114443j:plain