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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

「習得ー適用」型の学習から「習得・適用ー総合」型の学習へ

最近、戦術・技術の系統的指導とグループ学習指導の統一という視点にもとづく教材研究の重要性にふれる機会があった。

 

そのことについて、今日はメモ的に整理しておきたい。

 

しばらく大阪ではフラッグフットボールのグループ学習実践を探求してきた。

 

 グループ学習では共通の学習内容を設定しなければ異質協同の学びが実現されない。

 

※うちこんでみてきづいたが、この命題自体が(実際には含まれているが)オープンエンド型の学習を想起させないため「異質協同の学び」の意味をせばめるものともなるのだろう。

 

そしてその共通の学習内容とは、学習対象とする教材(運動種目)において中核となる=固有のおもしろさをひきだす戦術・技術であることが教科教育としては重要となる。

 

そのため、大阪では子どもたちが「フラフトのおもしろさ・らしさ」を味わえるための「教える中身(戦術・技術)」をさぐってきた。

 

で、もう4年ほどになる過程で右往左往もあったが、かなり戦術学習の理解が深化してきたと実感している。

 

その軸となるのが、攻撃と防御の相互発展的な関係をベースとする戦術・技術の系統的な学習である。

 

ざっくりと説明すると、2:1でプレスディフェンス(DF)から学習し、それに対応するフェイント・ガード(OF)を学習する。そして2:2になってゾーンディフェンス(DF)が出現することでフェイント・ガードでは立ち行きいかなくなり、パスプレイ(OF)が導入される。そして、ディフェンスがゾーンディフェンス(=マンツーマンディフェンス)とプレスディフェンスをくみあわしてくるのにともなって(DF)、ふり作戦(1つの作戦で、状況判断によってパスふりランとランふりパスができる)を発見させていく(OF)。その後、どうしてもうまくいかなくなり、3:2となって、ハンドオフを学習して(OF)・・・といったようにすすむ。

 

どうしてこれがいいかというと、プレスディフェンスの約束だけをとりつければ、あとは子どもたちがグループ学習の中で自ら戦術的ポイントを主体的に発見していき、「わかる、できる」の発展が自己運動していくからである。

 

いや、もちろんそのためのしかけがたくさんありますが・・・省略。

 

で、この指導系統の研究課題はまだある。

 

1つは2:2で「ガード、フェイント、パス」の3つの方法を駆使してどこまでの戦術的な原則を学習するのかということであり、それをさぐるために前回は大学クラブで指導をしていた方に本格的なフラフトの戦術を指導してもらったのだ。

 

またもう1つは、オフェンスとディフェンスの作戦の相性をどう教えるか、ということである。ゲームをしてもこれまで成功していた作戦がうまくいかなくなる場合がある。しかしそれはディフェンスの作戦が変化してきたことによるものがほとんどである。

 

そしてこれに関連して、単元後半におけるグループでの総合練習の時間で、自分たちの作戦をどう修正させていくのか、ということも課題となっている。

 

フラフトでは学習してきた作戦の習熟を高めるだけでは作戦の柔軟性や多様性がうまれず、同じ作戦だけになってしまう。ラン作戦やパス作戦をくみあわせ、ディフェンスの判断をおくらせることがなければ意図的な成功はなしえないのである。

 

そこで既成の作戦を自分たちでさらに微調整したり修正したりしていく必要があった。

 

つまり(ようやくタイトルにある)「習得ー適用」型の学習への批判がここにたちあらわれてくることになる。フラフトの戦術的特性を追求したときにどうも「習得ー適用」型の系統的学習からさらに「総合」していく活動が必要となることが示唆されたのである。

 

そうなったのは「グループ学習で」ということを念頭においていたことがポイントになっている。

 

グループ学習による主体的な学習を介して認識形成をねらっていたために、教師の指導(習得ー適用)ではなく、自分たちでどう作戦を修正させていくのか(総合)、そのための学び中身は何かをさぐろうとしたのである。

 

そして発見されたのが、「ボール保持者の通り道をつくる」という課題を解決するための戦術には、「壁をつくる」「よせる」「だます・こんらんさせる」といった共通の意図が存在するということであり、これを子どもたちが学習すれば、作戦を自由にくみあわせたり改変したりすることができるのではないか、ということだ。

 

これらの知識は「総合のための認識方法」となる。型の習熟を目標とする「適用のための認識方法」とはことなる。

 

またフラフトらしさのある、固有のおもしろさを味わうためには、ダウン制の導入がそのおもしろさを含む戦術を要求するのではないか、という感覚的な仮説がうまれている。

 

昨今、市民形成の視点から教科の固有の学びを介した汎用的なスキルの獲得が教育目標とされる。この「習得・適用ー総合」型の授業プランは認知能力の「使える(活用)」段階を意図した「教科する」授業(石井さん)に位置づくのではないかとおもう。

 

この意味で、これまでの「系統的指導」の意味合いをちょっと再考する必要がある。「系統的指導と発展的な学習の組織」なのか、それとも「総合」も「系統的指導」の範疇にいれるのかどうか。

 

今回、文化の側から学習論を問われた、というこの経験は、なんだか貴重なものだとおもう。

 

かつての体育研究者たちの姿と、少しだぶってみえるからだ。

 

 

 

さて、ここでおわるといいんだけれど、戦術・技術指導の系統性についてもうちょっとだけ、メモしておく。

 

基礎・応用という枠組みはこれまで幾度となく学習原理として提示されてきた。

 

これを活用してどういった授業をくみたてるのかは教師なら一度は考えたことがあるはずだ。

 

基礎から応用、

 

これはかつて行動主義心理学の発想のように、要素的技術の学習(ドリル)とそれらをくみあわせた実践的な学習(ゲーム)という形式で拡大した。

 

そうではなく内容としての「基礎」と「応用」があり、内容としての「基礎」の中に応用的な学習方法があるとも考えられるのだ。

 

つまり、「基礎・応用」というときには、教授内容と教授方法の両面を区別しないといけない。

 

で、基本的に単元では応用的な内容・方法を後半に準備することになる。

 

そこでの認識プロセスはこうだ。

 

わかる、できるの系統的な学習を蓄積していく。

 

このとき、前のわかるは次のわかるの前提となっている。順次性において系統性が成立する。

 

したがって、次のわかるとであうことで、前のわかるの文脈や意味がわかり、あらためて「わかりなおす」ことが発生する。また前のことがわからなかったり、わかったことができなかったりしても、後のわかることと階層関係にあるため機械的に習熟される機会があらわれ、「わかって、できる」ということがあとになって保障されることにもなる。

 

こうして可逆性をもつこともまた系統性が成立する条件となる。順次性であっても要素的ではだめなのはこのためだ。かつてはこれを弁証法とよび、これが系統性の原則であった。

 

そして、学習の方法面でもこのことはいえる。

 

たとえば、系統的指導によって習得型の学習を実施して、単元後半にそれらをくみあわせて自主練習させる中で作戦を習熟させるだけではなく新しく改変させたり開発させたりする。そして最後にパフォーマンスを発揮させる試合を位置づけたり、新しい演技構成を考えたものを発表する。

 

こうして練習とゲーム、基礎と応用、習得と適用もあるけれど、授業によっては、習得と総合という枠組みがある。

 

これまで系統的指導によって習得し、それらを実際のゲームで適用するという授業プランが中心をしめていた。

 

しかし大阪のGGPがめざしているのは、習得の過程で、総合するための認識方法を学習するということだ。それによってゲームを自分たちで再構成していく。そしてゲームに主体的にとりくみ、創造した作戦をためしたかめていくおもしろさを味わうのである。

 

大阪グルプロのめざしている方向とはどういうものなのだろうか、少し判断する基準がみえてきたのかな。

 

ちょっと未整理な点もあったけれど、メモなので、ご容赦ください。「適用」の概念は既知を対象にあてはめる、という意味でつかいましたが、ひろい意味合いでもつかえるので、誤解もあたえそうですね・・・。

 

※写真は足助の路地裏カフェです。素敵なところです。

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