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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

玉木さん『スポーツとは何か』

玉木さんの『スポーツとは何か』をあらためてとりあげたい。

 

本書は、スポーツの過去と現在を照らし出しながら、未来にむけたいくつかの提案をおこなっている。

 

(1)「スポーツは文化である」を社会的な共通認識に育てよう!

玉木さんはこれまでの日本スポーツは国家(政治)や企業(経済)によって独占・利用されてきた経緯をもっており、「スポーツ文化それ自体をたのしむ」環境や習慣が十分にねづくことがなかったことを問題視している。

 

そして、「スポーツは文化(スポーツとは国民共有の無形の文化財である)」という共通認識を社会が形成し、スポーツそれ自体の豊かな発展を切望している。

 

ここでいう「文化」とは人間が生きていく上で、より満足できる人生をおくるためにあみだしたものだと考えている。ただ食べるだけではなくおいしくたべるのも文化であり、政治や経済もそうだ。

 

つまり「文化とは、存在しなくても生きていけるものである。しかし、存在すれば快適で心地よいものである。そこで、人間は、快適で、心地よい、豊かな人生を求めて、文化を発達させつづけてきた」のである。

 

私たち市民はこれからJリーグを筆頭に「スポーツを行ったり見たりすることによって、快適で、心地よい、豊かな人生をおくることができるようか環境(社会)を整える」スポーツ組織を育てていかなければならない。

 

「観客である一般市民が利益(喜び)を感じ、市民と市民の代表たる自治体の指示を得られるような球団運営、リーグ運営が必要なはずである」。

 

スポーツを育てるのは私たち市民である、ということだ。

 

玉木さんのメッセージは本書の随所に具体的な主張となってうめこまれている。

 

たとえば、スポーツの未来は人間の攻撃抑制本能を満足させるものに発展していくとか、上記にのべたようにスポーツの豊かな発展を目的とする「スポーツ組織」がスポーツ運営の母体となることとか、日本の伝統的身体や戦後の身体政策にかわる新たな身体観がつくられる必要があるとか、地球文化としてのスポーツを考えようとか、体育とスポーツを区別しようとか、たくさんある。

 

(2)玉木さんの執筆背景

また、本書は1998年のJリーグ合併問題を契機に、いきおいをもってかきあげたものだそうだ。

 

Jリーグ合併問題とは横浜フリューゲルス横浜マリノスの合併問題である。

 

もともと横浜・中区スポーツ少年団という市民サッカー・クラブだった横浜フリューゲルスが、全日空佐藤工業がスポンサーとなり発展した組織であった。その後バブル崩壊後の不況が深刻化した1998年の秋に佐藤工業がスポンサーがおり、日産自動車だけからスポンサーをえていた横浜マリノスと合併することとなった。そのうえベルマーレ平塚がスポンサーの経営不振から高学年棒の選手を大量解雇・リストラ、ヴェルディ川崎も年棒引き下げ等のリストラ策をおこなった。

 

玉木さんはこの問題が「企業スポーツの限界」を意味しており、この問題を契機に市民が自分たちのスポーツ文化を成熟させていくこと(「企業スポーツから市民スポーツへの転換」)をねがい、超特急でしあげたのであった。

 

そう、題名の『スポーツとは何か』は「スポーツとは文化である」ということをこれまでの歴史的経緯をふまえものもうしているのである。

 

「スポーツとは文化である」、このとらえを豊かにしていきたいものである。

 

(3)「スポーツは文化である」の視野がひろがった。

 ところで、学校体育でも「スポーツは文化である」という見方からはじまった教育論がある。玉木さんの発想のもとはおそらく中村さんで、その背景には丹下さんがいる。だから、もとの発想はいわゆる運動文化論というものだ。

 

で、自分は「スポーツは文化である」という記述を「つくりかえる対象である」ということ、そして民主的なものにつくりかえる主体者をそだてるためには歴史ー社会的な学びが必要であること、この2点を中心におさえていた。

 

でも玉木さんの「スポーツは文化である」とは「それ自体をたのしむ文化である」ために、国家や企業が独占せず、市民がそういうものとして成熟させるべきだというものだ。

 

つまり「スポーツは文化である」というのは「市民による市民のためのスポーツの豊かな発展」という意味が内在しているのである。

 

このことはかつて丹下さんが国民運動文化の創造とその体制の確立を課題にしたことと同義のことなのであるけれど、自分はそれを学校体育論の範疇でのみとらえていた。

 

「スポーツは文化である」ということは学校体育論の柱でもあるとともに、スポーツの発展論にとっても柱でもあるのだ。この目標基盤の一致が理論を強化していたのだ。

 

やっぱり、現代スポーツを文化としてとらえたときにどうみえるのか、学校体育論の今後をみすえるためには、この分析が今あらためて必要だとおもう。というか、常に時代によって変容するため再考しつづけられるものなのだ。

 

赤目四十八滝シリーズ。流線型のきれいな滝でした。

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