TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

映画、天国からのエール、

映画、天国からのエール

 

これもまた、火花とやはりにているテーマ性をもっているとおもう。

 

沖縄地方からバンドでプロをめざす高校生の葛藤と、それを支えようと躍起になる弁当屋の大城さん(仲宗根陽)の姿をえがいた映画である。

 

2つのシーンが印象にのこった。

 

1つは近所迷惑だというクレームによって学校内でバンドの練習をすることが困難になった高校生のために、スタジオをつくることを決意した動機を語る場面である。

 

「他人のためにどうしてそこまでするの?」ときかれ、

「他人だからさ、昔はお金がなくてもいろんな人がいろんなことを教えてくれ、助けてくれた。そういう場所もたくさんあったわけよ。今の若い奴にはそれがないわけよ。そういうのほっときたくないんだよ。なんかしないと、あかり(娘)をそういう世の中にほってくきがしてさ。へんかな。」

 

人のあたたかな関係を大事にしたいというまっすぐな想い、いいなぁ。

 

もともと仲宗根さんは正義感の塊であったらしい。かつて自分が経験した人と人のかかわりの中でうまれる豊かさを、またつくっていきたいとするおもいがしめされている。

 

ただ、生活が苦しい弁当屋の自己犠牲的な姿勢というところの解釈はむずかしいなとおもう。貧困ゆえのしたたかさなのか、それとも「貧困」自体こちら側の視点であって、本人は関係なくすごしていて、豊かさとは関係ないのか。

 

ちなみに動機の背景には交通事故で他界した友人への想いもある。

 

もう1つはラジオ番組の人に頭をさげ、さらには電灯柱にのぼり蝉の真似をするシーンである。そのラジオ番組の人はかつて「不良」の高校生であり、大城さんにも「蝉になれ」という命令をして喧嘩をうった。そのとき唯一大城さんだけが蝉にならずやりあったということであった。高校時代唯一頭をさげなかった人間が頭をさげたというシーンである(大城さんは覚えていなかったようだが)。結果、高校生たちははじめてラジオでアーティストとしてとりあげられることになった。

 

過去に拒否した蝉の真似をする、弁当屋の想いの強さがあらわれている場面である。

 

自分は夢をもって生きられなかったため、夢をもつことができた若者を応援したいという気持ちが、かれをつきうごかしたようだ。

 

大城さんは「あいつらの夢が俺の夢なんだ」といいきるシーンがある。夢を応援していたら、それが自分の夢になっていった。だから行動力あふれたのだろう。

 

他人のために無心になってうごく、沖縄のあたたかな自然とともにえがかれたヒューマニズムにむねをうたれた。

 

と、ここでおわりたいところだが、ここで玉木さんの一節を紹介したい。

 

スポーツにおいて「精神主義」が強調される場合は、スポーツマン自身の利益以外に、「他者の利益」の存在する場合がほとんどなのである。

 

つまり、精神主義や勝利至上主義はスポンサー契約とか教師・コーチとの主従関係とか、仲間からの同調圧力とか、そういう「他者の利益」が関係するところでおいこまれうまれてくるものだということ。

 

だから、玉木さんは遊びを本質とするスポーツの世界では、精神力は、本来不必要なものであり、「他者」がそれを要求することなどあってはならないことといえる、とのべている。

 

他人の影響をうけている方が、無理をしてしまうのだ。

 

指導者はこのことを自覚しなければならない。

 

大城さんもそういう状態だったのだとおもう。死を目の前にして、他人のために生きることを最後にえらんだのだ。

 

他人のために動くとき、人は力がでる。でもときにそれは無理が生じる。

 

 

※写真は万博公園、コスモスかな。

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