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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

組織・チーム(西條さんの新書から)

読書ノート

う〜む。

 

正直、なでしこはまけてよかった。

 

といっても、ここはスポーツのかちまけの問題をあつかいたいわけではない。

 

なでしこの優勝は市民をうきあしだたせ、安倍さんの強行採決のかくれみのにされてしまう可能性が非常にたかかったからだ。

 

ギリシャの問題がきて、なでしこがくると、紙面はそれだけでうめつくされる。

 

しかもなでしこが優勝したらオリンピック、なでしこのようにがんばろうとそもそものオリンピック憲章にもとづく平和運動を無視して成果主義のオリンピックにはしったり、新国立競技場の問題をお祭りさわぎでごまかそうとしたりと、そういううごきがおこりそうなのである。祝祭資本主義の原理だ(これについてはまたいつか)。

 

 

 

国会議事堂前には毎週数万人があつまって抗議活動をしている。先日の金曜日は若者が主催する団体だけで1万5千人以上が国会議事堂前にあつまった。全体で換算するとすごい数だ。ちなみに同団体は関西でも同日に活動をしている。調査では8割がもっと議論をするべきもしくは反対の声をあげている。野党もこの法案にかぎっては団結の意思をしめした。こうしたうごきをみての強行採決は、反対の世論がこれ以上たかまるのをおそれたものであろう。

 

だから、まけてよかったとおもう。残念ながら、これは時代の問題だ。今強行採決がかくされることはさけたい。

 

それにしてもオリンピックの有識者会議の案にはおどろいた。学校教育・大学教育にオリンピックをまきこむ案がでてきている。これはおそらく、学生ボランティアを動員し労働力を搾取するための口実づくりだ。

 

おっと、あんまり陰謀論的にかんがえすぎてもいけないな・・・。

 

おもわず感情的になってしまったが冷静になったころにオリンピックについても動向を整理したい。

 

 

 

 

さて、今回はある新書をよんで、かんがえたことをメモする予定であった。

 

体育についてたずさわるようになってから様々な研究団体とめぐりあうことができた。

 

現在、古き組織では世代交代が要求されている、若い組織では活動の目標や形態がまださだまっておらず理論的な基盤づくりに右往左往している様子がみられる。

 

組織については学ぶところもおおいがやはりやりづらい部分もみえてくる。

 

たとえば、おおきな団体では会の研究主題にひっぱられて個人のステップアップが正統的におこなわれないといった課題がある。これについては地域ごとに支部をつくり、メインの研究例会とメインにもつながるサブのプロジェクトチームをくんでの研究会という柔軟な組織体制づくりをとおして解消してきているようである。

 

また、決定機関がしっかりしていなかったら内部の人のやる気があってもそれらのニーズに柔軟に対応することができないという問題もある。おおきな団体であるほど、この柔軟性の問題はあつかいが非常にむずかしい。

 

事務局とか編集局とか各部局のトップや中心となる担当者のうごきがおそければボトムアップになっていかない。多様なニーズがうまれ要求がなされてもそこで要求がストップされてしまうのだ。そして直接トップ層にうったえても「それは局決定、全体での決定をへてきめるものだ」となり、結局担当者がきちんと発言していってくれないと循環していかない。

 

レイブらの正統的周辺参加論の例でいうとヴァイ族とゴア族のしたてやでは徒弟は最終工程の作業から参加していく。こうかんがえたときに、若手が参加するときには周辺性だけではなく正統性をどう組織で担保していくのかが決定的に重要である。

 

もちろんそれは個人の力量と要求にあわせて組織されていかなければならないむずかしさがあるのだが、失敗も許容するゆったりとしたかまえでそこは体制をつくっていくとよいとおもう。

 

あと、ちょっとおもったのは、かつて組織づくりは徹底しておこなわれた。ひっぱるものの存在があったが、それに1人1人が主体的に参加していく体制がなりたつ時代であった。一方で世代交代がはじまるころにはかつてトップで提案をだしてくれていた人がいなくなる、そうすると提案に対案をだすことで主体的に参加していた人が提案の側になる。しかしそのころには組織的活動をとりきめる役割分担が実はできあがっていて、主体的に対案をだす人もすくなくなっている。そうなると自分はこれまで主体的に対案をだし参加してきた人にとっては、なんだかトップダウン的な雰囲気がうまれてしまったとかんじてしまうのだ。こうして関係の軋轢がうまれてくる。もっと主体的にかかわってほしいとかんがえるものの、そのシステムがまだない。へたすると「今どきのわかものは・・」と世代的感情論に還元してしまう。今はそういう主体的に参加するシステムを再構成していく時期だともいえるのではないだろうか。そしてシステムづくりにはあらためてなんのための組織か、活動かという目的や理念にたちかえる必要がある。

 

さてさて、この間、組織をかんがえる上で世代をかんがえることであたらしい価値観や方法論がみえてくるんだときづくことになった。これまで最近のわかい人はという声には①かつてみんなわかかったわけで本質をさぐる思考がストップしてしまう、②わかい人ということでそれぞれの実態が一律化してしまう、という点から違和感をもっていたけれど、持続可能な組織を、組織の構成員をよりゆたかにしていくためには必要な論点であったんだなとおもえるようになった。

 

こうして最近は組織についてかんがえるさい、新参者と古参者の関係を時代的背景(世代)をもって再構成していくしくみをどうすればよいかかんがえることがおおくなる。

 

で、まえふりがながくなったけれど年金について勉強しようとおもっていたら西條さんの『チームの力』が図書館にあって、これをよむことにした。

 

この本をよむ前にも質的研究関連の本や博士論文をまとめた本をよんでいて勉強させてもらっていた。

 

西條さんは東日本大震災が発生したさいに、「ふんばろう東日本大震災プロジェクト」をたちあげた人だ。

 

ツイッターフェイスブックサイボウズLiveといったSNSを活用した後方支援と、前線で活動するボランティアを有機的に連動させるシステムをつくりあげることで総合支援プロジェクトを成功させた。10万人以上がかかわるビッグプロジェクトだ。

 

この組織づくりの経験から論を展開していている。

 

「ふんばろう」の特徴はいわゆるホウレンソウのないしなやかな組織づくりによって縦割りの弊害を解消していったことである。中規模のチームを編成するが、その構成員は多様なチームに所属するといった工夫や、連絡においては「建設的なやりとりをするための7カ条」を共有するなどをおこなっている。またしなやかな組織をつくる上で、最重要なのはチームの目的や理念やビジョンづくりを大事にして構成員が主体的にポロジェクトにかかわれる環境をつくることである。

 

さて、このチームづくりの特徴から私たちは学ぶ必要がある。

 

なぜか、

 

それは、ボランティア組織をつくりあげているという点にある。

 

教育にたずさわるものは基本的に利益をうむために教育しているわけではない。利益をうむ主体の人格にはたらきかけるけれど、それ自体がなにかしらの利益をうむわけではない。

 

仲間内などでの勉強会や民間研での活動は基本的に活動をささえるものは個人の動機である。

 

西條さんもドラッカーを引用している。

 

「動機づけ、とくに知識労働者の動機づけは、ボランティアの動機づけと同じである」

 

知識労働でよいものをうみだすために強制しても、その人の内側からわきでてくる情熱がなければ本当によいものをつくれないという。

 

だから、特に教育関係者は西條さんのチームづくりから学ぶ点はおおいとおもう。

 

といってもこれから論を紹介するわけではなく、自分がアイディアとしてもらった部分だけメモ。

 

西條さんは各章で「価値の原理」「方法の原理」「人間の原理」を柱にしてろんじている。「価値の原理」ではチーム(組織)の理念やビジョンについて、「方法の原理」ではブレないチーム運営の方法について、「人間の原理」ではチームマネジメントの方法や人間関係やモチベーションを高める方法について紹介がある。最後には「この組織の不合理は方法の原理からみるとどういうふうに理解できるか」「価値の原理からみて、この人は何に関心があって、こういうことをいっているのか」「自分たちの組織は人間の原理の観点からみてどのように改善できるか」こうした問いのたてかたも紹介されている。

 

素敵な言葉がたくさんある。そうだよなと納得できることがおおい。

 

たくさんあるが、「民主主義の機能は人々の教養に比例する」という言葉はなるほどとおもった。国民の不断の努力によって民主主義は維持されるのであり、1人1人がそもそも何のためにといった本質を問いただす思考を大事にしていきたい。

 

ツイッターで学生が積極的平和主義とうって集団的自衛権を肯定する主張「国際平和の実現にむけて国際社会と強調して貢献していくのは憲法の理念だ」について、理念自体は「全く同感。でも、そのためのツールって集団的自衛権の行使だけかな?私は違うとおもう」とコメントしている。

 

こうした信念の対立を回避する建設的なコメントは重要である。そもそもなんでという本質的な目的が確認される次のステップを要求するからである。理念はつうじてもプロセス(物語)がちがうのだ。

 

「個の自立」とは「そもそもを問う」ことがこれまで民間研でも強調されてきているが、現代においては多様性をみとめつつもそもそもを問うことがもとめられている。ここまで展開しないと今の若者の社会経験にとってリアリティーがないのだ。

 

さて、あとは個人的な関心でおもいついたことを。

 

来年度の支部活動で提案しようとおもったことです。

 

①メインの研究例会とプロジェクトの区別と連関をみなおす。

 メインのためのプロジェクトという印象もあるけれど、そうではなく、まず別物だとかんがえたい。メインはメインのテーマがあり、それは現状(今)をみすえた建設的な目標(未来)をたてる。一方でプロジェクトは小規模・個別の現状(今)をより重視する建設的な目標(未来)をたてる。プロジェクトの延長としてメインを開催するのではなく、メインの目標にそってあくまでプロジェクトの成果を報告してもらうというスタンスをあらためてとりたい。

 

②状況(今)が変化する時期には目標をしっかりとたてなおす。

 教員だと年度がかわると学年がかわる。だから、4月または5月には状況(今)をみつめ、集団的にどのような研究テーマをもち協同的に探求していけそうか、具体的な計画をたてなおす機会をつくりたい。

 

③理念と目標の区別

 文化の学びを生きる力に、というテーマは理念としてはわかる、けれどじゃあどういう成果をだしてそこにちかづいていくのかがみえない。そこで、理念と目標を区別し、1年間の計画はこの2つを両立することとしたい。特に目標は成果がみえる建設的なものをたてられるようみんなで検討していくべきものである。

 

④民間研の活力は動機であることを組織体制づくりの柱に

 民間研の活力は、個人の動機であり情熱であり「やりたい、みになる」とおもえるかどうか、この点を大事にしていきたい。つまり人はみな「肯定されたい、感謝されたい(役にたちたい)、よりよくいきたい」という欲求をもつことを基盤にコミュンケーション関係をきづいていく。またすべての人間は関心をみたして生きたいとほっしてしまう存在である。したがって、価値判断は当人の関心や目的におうじてたちあらわれていて、その関心や目的が組織内でみたされているかどうかを確認していきたい。

 まずは来年度の方針をきめるさいに、「どういうことがやりたいのか」をききとる研究局アンケートを実施することを提案したい。

 

 

 

成果をうけつぎ、発展させることが組織の目的ではない。それは会員が自分の人生をゆたかにする、幸せにしていくための手段だとかんがえたらどうか。

 

体育について多様な価値を承認しながらも、そもそもを問い、自分の関心にそって実践研究していくことがまず達成される必要があるのかもしれない。