読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

來田さんの話

2015,6,25中京大学公開講座(健康・余暇・スポーツシリーズ 第28回)

 一瞬の勝利を超えて〜オリンピック&パラリンンピックの価値〜

 

に参加してきました。

 

 はじめに来賓講演として雜賀さんから、現在オリンピック・パラリンピックの進行状況について簡単にふれられました。もちろん、問題についてはふれず。

 

《準備状況の紹介》

 

・オリンピック開催情報

 2020年7月24日〜8月9日

 競技数28競技 306種目

 参加実績204国・地域、10500選手(参考2012ロンドン)

 

パラリンピック開催情報

 8月25日〜9月6日

 22競技527種目

 参加実績:164国・地域、4200選手(参考2012ロンドン)

 

オリンピック開催が決定したときはロゲ会長であったけれど、現在はトーマス・バッハ会長となっている。そしてトーマスさんは無駄な施設をつくらないように今ある施設を利用するとアジェンダ2020で表明した。

 

その結果、新施設を建設する予定だったけれど、次の種目は会場変更するにいたった。

 水泳、バドミントン、バスケットボール、馬術(馬事公苑)、フェンシング(幕張メッセ)、ラグビー東京スタジアム)、セーリング江ノ島ヨットハーバー)、テコンドー(幕張メッセ)、レスリング(幕張メッセ)

 

また種目の追加のためのヒアリングを実施し、ソフト、ボウリング、空手、ローラースポーツ、国際武術(太極拳)サーフィン、スカッシュ、スポーツクライミングからいくつか9月までに選択してIOCに提案し、来年のリオでの総会で決定される。

 

《運営費の運用についての説明》

・スポンサー

 現在スポンサーは、コカコーラ(ノンアルコール飲料)、アトス(インフォメーションテクノロジー)、ブリヂストン(タイヤ・免震ゴム・自転車)、ダウ・ケミカル(化学製品)、GE、マクドナルド、オメガ、パナソニック、P&G、サムスントヨタ、ビザ(消費者支払いシステム)などとなっている。

 

また2020年だけのゴールドパートナーとして、アサヒビール、アシックス、キャノン、JX日鉱日石エネルギーなどがあげられ、またオフィシャルパートナーとしてJALなどがあげられていた。

 

 ※スポンサーって1種類とおもったら、たくさんのスポンサーの形態があって、うまいこと考えているなぁとおもった。部門別にすることでスポンサーもそれぞれの生産物や仕事に対応した多様な理念でオリンピックとつなががることができるもんなぁ。

 

次、ボランティアが成功の鍵をにぎる、という話。

 

2つのボランティア形態がある。

 ①大会ボランティア(誘導・運営・時間連絡等)→約8万人募集し育成をする、

 ②都市ボランティア(街中での外国人への案内、会場の外で観光客のサポート)

 

ロンドンでは

ゲームズ・メイカーと「ボランティア」を位置づける。ボランティアは大会をつくる人のことで、かたちとしてはプロなんだそう。

観光ボランティアを「チーム・ロンドン・アンバサダー」(大使、代表)。3万人の応募から8千人を採用。

 

さらに大学連携の話。

 (1)目的 全国の大学と組織委員会が連携し、それぞれの資源を活用してオリンピック教育の推進やグローバル人材の育成、大会機運の醸成等に取り組む。

 (2)連携大学数 776大学(学生数概算210万人)

 

主な活動

①オリンピック教育の推進(環境・平和)、②グローバル人材の育成、③パラリンピックの理解促進、④広報活動、⑤イベントの開催

 

めざすもの

 ①若い学生にたいしてオリンピック・パラリンピックの理念・価値を認識してもらい、オリンピック・パラリンピックムーブメントを推進する。②全国の大学と連携し、オールジャパンで。③④はうちこめず。

 

 ※これらの説明をきいてはらだたしくおもったのは自分だけなんだろうか。お金の話しかしない。これから大変だから手伝ってねという声にしかきこえない。構造的にはいろんなイベントを開催して教育もしますから、そのかわり、ただで労働力になってくれよ、としかきこえない。結局、一部の人しかギブアンドテイクはなりたたないだろうし「教育」という大義名分をふりかざしているようにしかきこえない。ロンドンの話をもちだすのもいいとこどりにしかみえない。

 

 教育を資本にして学生を動員する。しかもプロ意識をもてなどという。ボランティアといっていいのか? 210万人の学生、かわいそうでならない。本当に意味のあるボランティアになれるよう理念だけではなく細部まで内容・方法をくみたててほしい。

 

ちなみに、稲垣さんは以下の点で建設問題について指摘しています。

 1.維持管理費が膨大なものとなり,赤字経営となることがだれの眼にも明らかであること。
 2.その赤字を埋め合わせるために巨大なイベント(たとえば,コンサート)を開催する,というがそんなことは不可能であること。
 3.つまり,スポーツの競技会(陸上競技,サッカー,ラグビー,など)とコンサートと併用することは不可能であること。第一,芝が育たない。枯れてしまう。毎回,芝を植え替えるとでもいうのだろうか。そのための経費,期間ははんぱではないこと。
 4.神宮外苑という歴史的景観が,巨大モンスターの出現によって,根底から破壊されてしまうこと。
 5.槇文彦案によれば,経費も工期も圧倒的に縮小できるのに,それを排除したこと。これから一年,議論してからでも間に合う(ラグビーW杯),と提案しているにもかかわらず・・・・。そして,なにより,国民的合意を形成することが重要だ,と提案しているにもかかわらず・・・。
 6.施工予定者(と新聞は書いているが)である大成建設竹中工務店は,設計には協力するが,施工を引き受ける意思はない,と一部ではささやかれていること。つまり,二本の巨大アーチを建造する技術は橋梁建造によって培われてきたもので,これを地上で建造するとなるとさらなる技術開発が必要となり,時間も経費も算定できない,というのが建築エコノミスト・森山高至さんの主張だ。大手ゼネコンの腰が引けているのは,ここに原因があること。
 7.大手ゼネコンですら,予算をいくら積んでくれても採算がとれない,と踏んでいること。
 8.では,なぜ,こんなに困難な建造案にこだわるのか。そこに群がるハイエナのような闇の集団がたむろしているからだ。諸悪の根源はここにある。要するに闇取引が,あちこちで行われているということ。
 9.そのために,新国立競技場建造計画は弄ばれているということ。
10.その悪循環を断ち切るために構想され,国民的合意形成をめざす槇文彦案を,わたしは全面的に推奨したい。だが,これこそが利権を弄ぶことに関しては定評のある文部科学大臣がもっとも忌避したかったことに違いない。

 

【基調講演】來田さん「オリンピックの理念と教育的価値」

 

 日本でオリンピックを開催する場合、ただ選手に一喜一憂するだけではオリンピックをたのしめない。オリンピックの意義をしっていると大会にいろいろな感性をもって大会をたのしむことができる。

 

ということでオリンピックの理念についての話がつづきました。

 

Ⅰ:オリンピックとは何か、創始者ピエール・ど・クーベルタンが考えた事

 

①日本の子どもたちのオリンピックイメージ

 ニュージーランドとの比較(2011年)

 小学生へのアンケート、杉本、2011

 

Qオリンピックという言葉をきいて何をイメージしますか。

 

ちなみに、自分は、お金、クーベルタン、古代がぱっとでました。

 

日本の小学生のこたえ

 メダル、北島康介陸上競技、テレビ、順位をきめる、勝敗

 

ニュージーランドの小学生のこたえ

 フェアプレイ、ともにがんばる、歓声とおおくの人、戦術、コミュニケーション、信頼と自信

 

 もっとながい時間でのこるようなイメージをもってもらいたい、ようするに大人の関心の問題。オリンピックのイメージを本来のオリンピックの理念をもとにかえていきたいというおもいがあるようです。 先進国の小学生だとおそらく日本とにかよった調査結果になるかもしれませんね。

 

 

クーベルタンのオリンピック復興計画

 ・ピエールドクーベルタンの話。

 ・(遺跡発掘が盛んな時で)古代ギリシャへの関心が高まる中でアメリカ、イギリス、フランス、スウェーデン、ドイツ、ギリシャ等でオリンピックの復興をおもいついた人がその試みを実行(⇆国内大会の実施)

 ・1988〜1892年の間にクーベルタンは計画をおもいついた。

    → 唯一の国際的な規模のもの。

 解説:

 当時遺跡発掘ブームがあった。遺跡から選手村やフィットネスクラブなどの存在をしって、またやろうよとかんがえた。こういった発想をした人は結構いた。それを国際規模でおもいついたのはクーベルタン。バックグラウンドとして、若いとき、フランスとドイツが戦争してぼろまけする。なぜか、知育偏重型の教育でトータルな人間の成長をかんがえなかったのではないかという反省。戦争はかってもまけてもかなしいもの。国際大会を開催することで平和をめざす、全人格的な人間を育成する、という動機となる。

 

③オリンピックの発想

 ・世界の青年教育を目的とし、すばらしい人間をスポーツを通じて世界共通で育成することによって平和をめざす、教育的な社会運動。

 

 つまり、スポーツ活動よりも社会運動としての構想が先にあったということ。労働者の人権問題(ILO)と手をむすぶことを構想するなどはばひろい国際機関との関係をもとめる努力をしていたようです。

 

したがって、大会の位置づけとは、 

 4年に一度、躍動する選手の姿を中心に人々が集結し、ムーブメントが掲げる理念に対する「理解と賛同」を喚起するパフォーマンスの場。

 

 ということで、オリンピックのムーブメントの理念を具現化する「一部分の構想」であったということです。

 

 クーベルタンの構想ではスポーツは手段であった。だから、スポーツ産業として手段化されているという実態もあるのかもしれない。もともと自己目的として独立しているわけではなかったのだから。

 

クーベルタンがイギリスのパブリック・スクールでえた教育観

 クーベルタンはイギリスのパブリックスクールを見学にいったときにある教育観をもち、それをオリンピックの理念に反映させていくよう構想したそうです。

それが次の2つ。

・自己陶冶・自己統治:教師の使命とは、生徒を教師に服従させることではなく、生徒に自由を行使する権限をもたせる。

・自己認識、責任:自分自身が1人の個人であることを認識し、自らの力の限界をしる、自らの能力とつりあいのとれた責任をもって人生をいきる。

 

 クーベルタンはこれらの人格的スキルをスポーツをとおして学ぶことができるとかんがえたそうだ。

 

 でも、ちょっとここで思ったのは、クーベルタンがイギリスのパブリックスクールのどのような指導や理念から学んだのかということだ。つまり、クーベルタンは「スポーツだけ」を考えたのか?スポーツ選手の姿にそれをみたのか?文武両道しているスポーツ選手にそれをみたのではないか。シティズンシップ性をみていたのではないか?などなど、ここでの教育観には飛躍があるようにおもえてならない。

 

クーベルタンのスポーツ観

 

・スポーツ(トレーニング→試合・競技)の中でえらえるものの大切さ

 アスリート自信が感じること

 アスリートによって(みるものが)かんじること

  卓越性、努力の価値、肉体的闘争、他者理解と共感

 

  ここでの來田さんの説明はそれぞれのかんじることを人間観と一致させて説明しているので、きくものを納得させる。しかし、スポーツで本当にそれが学べるのかというと=ではないだろう。

 

 ここまできくと、クーベルタンが理念を構想する際に、スポーツにおける競争性が現代社会における至上主義や競争主義と結実した人間疎外をうむことを問題視していなかったのかきになった。 教育の理念にあこがれ、素材の問題を分析する視点をもちえなかったのではないだろうか。一種の盲目になっていなかったか。

 

クーベルタンのオリンピズムの理念の特徴

 

スポーツ

音楽・芸術・詩

 

 →これらは動物がやらない文化活動であり、人間は動物がやらない文化活動こそ追求していくことで成長することができるとかんがえたようです。 どうも開会式の華々しさは文化の総体を表現する意図があって、人間らしさである文化活動を追求することに価値をおいたそうです。

 

 

 オリンピズム(教育的理念)←調和のとれた人間の発達←自己陶冶・自己統治

                          ←自己認識・責任

              ←国際社会の平和←尊重・理解

 

 

 

クーベルタンのオリンピズムの象徴:五輪マーク

・五輪マークは、どんな形と色で構成されているでしょうか?

 青・黄・黒・緑・赤

 

・なぜ、クーベルタンはこれらの色を選んだのでしょうか。

 クーベルタンは、この5色に白をくわえた6色で世界のほとんどの国旗がえがけたことから、世界は1つという意味をこめて選んだ。※大陸ではない。

 5つの輪は、5大陸の団結を意味し、大会に世界中から選手が集うことを表す。

   1つのつながった輪になっている鎖状。

 

 →オリンピックの目標については話をしたけれど、内容・方法についての統一性こそが大事であろう。

   よりよいオリンピックにするためには何ができるのか。

 

⑦オリンピックでうまれた有名なことば

 ・オリンピック大会といえば有名なことば

  1908年参加することに意義がある

 

 ・イギリス政府のレセプションでクーベルタンは主教の言葉に加えて、

 人生で重要なのは、成功することではなく、努力することです。大切なのは、征服(勝利)したかどうかではなく、よく闘ったかどうかなのです。

これこそオリンピックの理想であります。

 

Ⅱ:理想どおりにはいかない現実とオリンピックの教育的価値。

 

①現実的な問題

・先進諸国の子どもたちの身体活動参加状況の2極化現象→医療費削減という課題

  ※勝者は先進国(サポートが必要)

・身体的効果・健康に加え、格差・貧困・差別の解消に寄与するスポーツへの期待(開発分野)

・アスリートをとりまく環境が勝利至上主義によって悪化している(問題はドーピングだけではない)

  日々のトレーニングがかけごとの対象になってしまう。

 

②これに関連して2005年OVEPがスタート

 Olymic Values Education Programme

IOC:世界規模の若者育成戦略、オリンピッックの価値に関する教育プログラムを通した社会的責任

MDGs(特にGoal2)への寄与:スポーツの重要な価値を通じて教育・学習の質向上と推進をめざす

国連ユネスコ等の国際期間との連携

 

 こうした政策にはスポーツのもつ相互理解の可能性への信頼があるからであろう。來田さんは知り合いのユネスコ職員の話を例にだした。難民キャンプでは戦闘中敵国と一緒に治療をうける。患者たちは明日自分がどうやっていきていけばいいのかみえない中での生活をする。そうした生活の中で、サッカーがおこなわれたとき、敵国同士の協力する場面がうまれる。スポーツとはお酒文化と同様に人々をまず結束させる特徴をもっている。戦地に生きる人や様々な人々にとって、明日いきててもいいなとおもえることをスポーツがもっている。

 

③オリンピックの教育的価値

・excellence卓越生(競技にも人生にもベストをつくすこと、参加すること、向上をめざすこと、身体、精神、意思の健康的な融合を享受すること)

・friendship友情・相互理解(スポーツを個人および世界中の人々の相互理解のための手段と考えること)

・respect尊重

 

 → このあたりは理念としてはとても共感できる内容ではある。

 

Ⅲ:2020年にむけて何を残すことができるのか。

 

①祭りのあとは何がのこる?何をのこす?

5つのオリンピックレガシー(遺産):

 1スポーツのレガシー、2社会的なレガシー、3環境のレガシー、4都市のレガシー、5経済的なレガシー

 

《レガシー1:スポーツの成熟》

・自分たちのスポーツは社会に対して何ができるのか

・より多くの参加者・観戦者を魅了するために何をかえなければならないか

 そのスポーツがもつ固有のおもしろさをうしなうことなく、社会的責任に見合った・身体の新しい可能性を拓く、スポーツへと変容。世の中がそうだからルールをかえないということはしない、時代や人々にあわせてスポーツをしていいという理解を促進する。

 

《レガシー2:社会によりよい影響をあたえる》

 ・スポーツ・フォー・オール

 ・おり多くの人にとってアクセス可能なスポーツ=それが存在する社会を考えること

 ・より長い目で社会乗っとくになる発想をする

 ・多様な人々の価値観を反映

 社会的格差の会にある人々・社会的に排除される人々さえも包摂する(インクルージョン)力になるか

×多くの人がビジネスの対象になる(商業主義批判)、多くの人を権力の支配下におく(ソチ五輪の例)

  同性愛者の話、後者を取るとやらなくてもいい。思考停止をしないポイジティブなみかたをもっていく。

 

以上、ここまでにしておきます。

 

 來田さんの建設的な報告に多くを学びました。あいかわらずわかりやすい説明ですね〜。確かにクーベルタンの理念がオリンピックの体制や行事など細かいところにまで影響をあたえていることがわかりました。それなりに体系的な構想がなされているようです。ただこのての話では、オリンピックの理念が現実どうなのか?という点について結構おざなりになっている印象をいつもうけます。たとえば、現在オリンピックについての話題はほとんどが資金・建設問題です。オリンピックを介して共生社会や競争社会、平和や幸福をかんがえる記事はどこにもありませんし、スポーツの問題についても若手選手紹介にとどまっていてそもそもスポーツってどんな社会的意義や教育的意義をもっているのかという議論はさっぱりです。

 

 でも本来クーベルタンの理念が内容や方法に位置づいているとしたら、自然とそういう話題があがってくるともおもいます。でもそうならない。 

 

 またオリンピックが市民スポーツにあたえる影響は「より高く、より速く、よりつよく」といったイメージであり、自分のからだと対話するスポーツ・運動文化のあり方」からははなれていくでしょう。

 

 あと報告をきいて学んだのは、イギリスのパブリックスクールでみた理念という点にクーベルタンの限界があるようにおもうということです。

 

スポーツの発展とか生涯スポーツとかそういう理念よりも前に「平和に貢献する社会運動としてのオリンピック」という理念をもう一度全面にだして再検討していくといいのかな〜。

 

來田さんは問題があるからやらないではなく、世界平和や教育に貢献するオリンピックにするべくよい面をというけれど、事態はどんどん悪化していくばかりではないか、とうがったみかたをしてしまう。悲観的すぎるのかな。

 

広告を非表示にする