TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

水俣病の実践(小5)

 昨日は大阪にいって実践報告をきいてきました。

 

健康教育実践です。

 

最近大阪の教員の方と健康教育について何回かやりとりをして、今回の報告について紹介をしてもらいました。

 

2015年、6月、19日、でした。

 

1.Kさんのねらい

・健康教育は他教科よりも「人々の命を大切にする社会をつくること」「正しいことを知ることの大切さ」を学べる。

 

水俣病を教材として「①水俣病で苦しむ患者や家族の思いを考えることができる。②水俣病を引き起こした会社の問題と、発生の原因を理解することができる。③社会や経済に目を向け、他の公害や環境を守る取り組みを調べ、自分の考えを表現することができる」にせまる。

 

2.実践の特徴

(1)水俣病の過去・現在・未来がわかるようにして、安心のもてる、希望のもてる単元構成にしている。

 

(2)毎時間の感想文や終盤の調査レポートを媒介として教師と子ども、子ども同士、そして子どもと保護者の対話的関係づくりを大事にして授業をくみたてている。

 

(3)子どもたちの興味・関心・疑問にこたえる学習や他教科で学んだことと関連する学習を準備することで、子どもたちの知的欲求を満たして授業への積極的参加を促進するとともに、生活的認識を科学的認識へと高めようとする。

 

(4)学習の展開部分では、「チッソ会社は何を大切にしていたか、自分だったら何を大切にするか」という問いをもとに「命より資本を優先する見方が健康被害をうみだす社会問題の原因となる」という確信にせまり、「上村(母)さんの“この子は○子ですばい”の○(宝)にあてはまるものは」という問いから、母親の目を通して水俣病患者を<ともに生きる人間>や<命>としてみる人間・健康観にせまっている。健康問題を通して本質にせまるKさんの想いがここにあらわれています。

 

(5)学習の終盤では、これまで学んだ学習過程をふまえ、自ら環境に配慮している企業などをレポートするとりくみをおこない、子どもたちの社会問題に対する情報処理能力を育成しようとしている。※活用型の近年の特徴なのでしょうか。

 

3.議論にあがったこと(一部)

 議論では①実践のねらいをもっと具体的にできないか、②Kさんが健康教育としてつかんでおきたい子どもの実態(ものの見方・感性的認識)とは何か(社会科との区別)、③水俣病を教材とする今日的意義(福島原発問題との類似性、健康教育の典型教材としての価値等々)、その他対話の授業や健康教育の教材づくりの困難さなどなど様々な議論・意見交流がありました。飲み会も2次会へ突入、2時まで交流でき、盛り上がりました。

 

 

実践としてはまだ体系化された教授ー学習過程の構成ではないけれど、Kさんのしかけが節目節目でかがやいていて子どもたちの学びをぐいぐいひっぱっていったことがわかります。

 

 ちなみに、子どものどんな実態を健康教育としてつかむのかという話を深めるヒントになりそうだなとおもったことがあります。それはKさんの子どもたちがかいた感想の一覧なのですけれど、今は「水俣病について」というざっくりとした認識対象の分類に依拠していますけれど、例えば、<チッソについて>で、「見舞金契約が結ばれたのはいいと思うけど、人の命が30万円程じゃおかしいと思う」や「子どもの見舞金が3万円はおかしい。子どもが一番苦しんでいたみながら死んでいったのにおかしい」や「人の命はお金では買えないけどそれなりの額をちゃんと払わないといけないとおもいます」や「チッソは人の命をあまくみすぎ」(これはちがうかも)というのは病気で苦しんだ人や命を失った悲しみへの共感を背景にして「(1)見舞金の金額基準が適切ではない(人の命を軽くみている、被害をちゃんと理解していない)」という判断でかためられることだとおもいます。また「みんなが信頼している会社にデモをあげるくらい、本当につらいんだなと思いました」は患者の苦しみの度合いを行動から理解しようとすることで「(2)被害をうけた市民のつらさへの共感」を意味するとおもいます。

 

 分類のときにこうしてさらにその意味から細分化することもできるとおもいます。テーマごとに分類して、その後意味で分類する2段階の分類を頭にいれてよんでみると何かみえてくるのかも。

 

 それにしても水俣病はたしかにいろんなことを考えさせられる教材ですね。いろいろかんがえこんでしまいましたが、たとえば見舞金についてはどうかんがえたらいいのだろうか。チッソは何に対してお金をはらったのでしょうか。「見舞金は命の値段」をあらわしているというよりかは、のこされた人たちの精神的苦痛に対して支払われているとも考えられるとおもいます。建前上は死因に私たちも関係がある可能性があるから「命をうしなった人の精神的苦痛や生活の変化」にむけてお金をだしているということで「見舞金」なのか、とか。自分もまだまだ勉強不足で、もっと水俣病の教材研究をしていかないとなとおもいました。「今日的意義」や「水俣病の教材で何を教えるのか」ということを一緒に考えていけたらいいなとおもいます。

 

あ、あと、健康教育の教科論もまなばないと、どういう健康観をめざそうとしているのか、まずは過去に学ばないとなぁ。

 

また近々、大阪の方の実践を分析することになっていますので、そのときにかんがえたいとおもいます。