TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

ビッグデータ

 

体育とデータについてかんがえていたときに「ビッグデータ」という言葉をはじめてしった。

 

スポーツ界ではご存知のとおりビッグデータといえば、選手の1試合の総距離とかが有名であるし、野球の打率などもそうだ。もうあふれてるし先端的な利用は勝利への切符をてにするための手段ともなっている。

 

 私たちの世の中は「データ」が独立性をもちそれ自体が商品化される時代となってきた。教育ビッグデータとして現在はテスト結果が統計処理されているが、指導法にまでおよんでくるはずだ。様々な方法(データ)が商品化されてくるだろう。

 

現在、ビッグデータが世界をうごかしているなら、こうしたスポーツ界とビッグデータの関係も吟味される必要があるだろう。また体育におけるデータ利用もそこから考えることができそうだ。

 

興味深いのは「ビッグデータ」は相関関係の分析を徹底するもので、因果関係の分析を凌駕するということだ。体育授業の中で、どのような「データ」こそ子どもたちに教授していくのか、体育とデータ、教育とデータについては今後新たな研究領域が確立されていくことを確信した。基本的に教具として利用されるデータも「相関関係を解明する教具(シュート・アタック位置調査、ゴミ箱シュート)」、「因果関係を解明する教具(スピード曲線と田植えライン、手形足形と距離、)」があったりするし、「事実認識」と「関係把握」は別物だと解釈できたりする。関係把握の場合は「事実」と「事実」の「関係」を把握するといった2つの「事実」が示さなければならない。「データ」について考えると、子どもの認識形成の系統が問題となってくることがわかる。

 

ということで、『BIGDATAの正体』(講談社)をよんで、ぬきだし。

 

 

ビッグデータの世界では、ビジネスや科学に始まり、医療、政府、教育、経済、人文科学、さらには社会のあらゆる部分に至るまで、すべてが一新されようとしている。

 

ビッグデータの3つの大変化

  ①ビッグデータは限りなくすべてのデータを扱う

  ②量さえあれば精度は重要ではない(原因と結果を求める古い体質からの脱却)

   ※相関関係は正確な理由を把握するものではないが、ある現象が観察されるという「事実」を把握させる。基本的にはそれで十分。

  ③因果関係ではなく相関関係が重要になる  

 

・コンピュータというハードではなく、そこに蓄積されたデータと分析手法が新しい価値の源泉になる。

 映画『マネーボール』では野球のスカウトマンが統計データの活用で注目をあびた。まさに高度なデータ分析に、職人的な直感が敗北をきした例。管理、意思決定、人材、教育といった従来の考え方が曲がり角をむかえようとしている。

 

 世の中の組織の前提「意思決定に利用する情報量はすくないが、精度がたかくて因果関係が明確」。ビッグデータはこれをくつがえす。

 

 

 世界を数量的に把握して解明しようとする人類の挑戦。やがて社会は、因果関係14の姿勢をすて、相関関係の恩恵にあずかる。原因を特定する作業は、本当に唯一の理想なのか。これを根底からひっくりかえすのがビッグデータだ。

 

八百長におけるビッグデータ(N=全部)

 『やばい経済学』

 過去11年分のデータを利用することで、千秋楽にて、7勝7敗の力士が8勝6敗の力士とあたる場合、崖っぷち力士が高い確率で勝利する。25%も高いのはアドレナリンだけでは説明できない。問題の取り組み後、再び同じ組み合わせになると3・4倍まけた側が今度はかっている。「量が質さえも凌駕する」、これがビッグデータ

 

・人間の2つの思考

 ①手間をかけない直感的思考法

 ②時間をかける論理的思考法

  カーネマンによると人間は怠けもので直感思考が優位。直感で推測される因果関係は世界を理解する手段とはならない。でも因果関係をしりたいという本能的な欲望がある。

 

しかし因果関係的思考には問題もある。自由意志とのたたかい。

 あらゆる物事がほかの物事によってひきおこされるのであれば、論理的には、我々は何も自由にきめられないことになる。そこに人間の意志の働きは存在しない。我々のケツだにゃ考えは、すべて何かによってひきおこされ、それが今度は別の現象をうみだすのだ。

 

 信頼できるデータを基にした相関分析をはじめ、因果関係に依存しない手法は、直感的思考でひねりだした因果関係よりも基本的にすぐれている。しかも文脈がふえてくると、じっくり時間をかけて因果関係をさぐる論理的思考よりも、相関分析のほうがさらに使い勝手や効率がたかまる。  

 

今や、「すべてのもの」がデータ化され、ビジネスになる時代。

 

言葉がデータ化する時代。

 

そのため、このデータをあらいだせば、価値ある情報がうきあがるはず、という見極めが重要となる。ビッグデータ思考。

 

問題。

 

 ・人間はデータにだまされやすい。

   例)教育が低下しているように感じたらどうするか。標準化されたテストで成績を測り、一定基準に達しない教師や学校にはペナルティがかされる。だが、そのようなテストで子どもの能力や教師の質はわかるのか。独創的で適応力のある労働力のニーズを本当に反映できるのか。答えはでていない。しかし、データはとにかく”答え”をだしてしまう。

 

 ・第六感での判断もある。

   ジョブズiPad発売時に直感を駆使「何がほしいのかを消費者にいわせるようではダメだ」

 ジェームズ・スコット教授(政治学・人類学)『Seeing Like a State』で政府が数値化とデータにこだわるあまり、国民を幸せな生活ではなく、みすぼらしい生活においやってしまう構図をとりあげている。町の文化を無視した設計が推進されたのだ。データ利用によって権力者が一層強大になることも多い。

 

・相関関係は因果関係をしめすものではない。データも多様なデータがふくまれている。

 

ビッグデータを過信し多分野に応用しようとすると大きな問題がおこる。

 

情報洪水時代のルール、ビッグデータ時代のガバナンスが重要。

 

・予防接種(健康)の格差をへらそうとすると経済格差がうまれる。単純な線形の相関分析ならこの事実はつかめなかった。

 

ビッグデータは専門家がありえそうな原因をさぐりだすヒントになるための因果分析の一助になる。

 

おわりに

 

・多くの日常的な用途では、「理由」ではなく「答え」がわかれば十分。しかもビッグデータからみつけだした相関関係は、因果関係をさぐるうえで道しるべにもなる。

 

・ここまで列挙してきた、膨大な成果にたどりつけた背景には、コンピュータのプロセッサーの高速化、メモリーの大容量化、ソフトウェアのアルゴリズムの高度化がある。根本的な理由は「膨大なデータをもてるようになった」こと。

 

地球規模の緊急課題をたくさんかかえている。こうした問題を理解し、解決をめざすうえでビッグデータは不可欠である。

 

しかし、人間の自由意志がなくなる可能性もある。人間の本質である「理性的思考」と「選択の自由」をビッグデータがゆがめることになるかもしれない。

 

体育指導で「データ」をどうあつかうのか、子どもたちにどんな「データ」利用をさせていくことが民主的スポーツの発展に不可欠なのか、そのあたりもまたいつか整理したいなぁとおもったりもした。

 

 

 

 

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