TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

小2じゃまじゃまサッカー実践報告・分析(2015年3月末と4月末の匠の会)

3月6日と4月24日にあった匠の会の実践報告とその分析です。

 

3月はKさんの実践経過報告と、じゃまじゃまサッカー教材の課題を明らかにしようとした学習会でした(学習会は以前のブログに掲載)。

 

4月はKさんのその後の実践報告と、映像分析をもとにして子どもたちに「わからせたい中身」は何かをさぐる機会としました。で、前回分まででの実践分析を自分も作成してきました。

 

ということで、まずはKさんの実践経過をしめして、

 

次に8ページまでおよんで自分の拙い分析を掲載しておきます。

 

<K実践経過>

 

タイトル「ルールを変えて、関係を変える」

 

小学校2年生のじゃまじゃまサッカー実践

 

表題にあるようにシュートゲームから始まりルールづくりをしていきながら、へたな子も意見をいえる関係をつくっていき、ゲームをおもしろくしていくことをねらったものです。

 

そのまえにちょっと用語説明。

※授業序盤のシュートゲームとは、匠の会でじゃまじゃまサッカーの教材研究のすえに開発されたもの。じゃまじゃまサッカーの前にドリブルシュートをどんどんきめられるようにと、ディフェンス・キーパーなしでチームでどんどんドリブルシュートをきめるゲームである。コートのはじっこにボールをたくさんならべておいてそれをチームが一斉にドリブルではこび、シュートラインをこえたらシュートできる。ゴールはカラーコーンの間をとおすことにしている。けったボールは他の子がボールをひろいおきにいく。

※授業終盤のゲームは、キーパーありのシュートゲームである。ただこのときはシュートのこつに注目しているので1人ですすんでいく。

 

話し合い内容・決定事項

合意点

<シュートゲーム実施>

シュートゲーム後、発問「シュートゲームをもっと楽しくするために、何かいい方法はないかな?」

 

学級会での話し合い(ルールづくり)

<ルールを守らないこと>

意見①「シュートゾーン手前からシュートしている人がいる」

 故意ではなくドリブルミスやラインをみる余裕がなかった → カラーコーンをおいてシュートラインを見やすくする、と同時にそれがディフェンスのかわりになる。

 

<カラーコーンをおくかどうか> 

②コーンをおくと難しくなりそう。

 対立意見が多数 → 教師「上手になってほしい」で納得 → 発問「どれぐらいなら難しくしてもいけそう」 → 「カラーコーン1つ」

カラーコーンを1つおく

 

<カラーコーン1つありシュートゲーム>

授業後の感想から

「全然余裕だった」→ 教師発問「次どうする?」 → 「キーパー・ディフェンス!」 → 「無理」 → 「カラーコーン2つ」 → 「全然余裕」 → 「カラーコーン3つ」  → 教師「いつまでもカラーコーンじゃうまくならないよね」 → 「キーパーなら大丈夫かも」

 「カラーコーン2つ」

    ↓

 「キーパーあり」

<キーパーありシュートゲーム>

合同体育

 ・「ボールタッチはあんたがたどこさを歌う」

 ・「くやしいゲーム」

 ・「シュートゲーム」

   ※途中からキーパーをつける。

<子どもの感想>

 ・キーパーにとめられたけれど、次はきめてやろうとおもった

 ・フェイントをいれたりしてたのしかった

 ・はいるかはいらないかドキドキしてたのしかった

 → 「次こそディフェンスだよ!」→「難しすぎ」

 → 「キーパー+カラーコーンやキーパー2人」などの意見

ディフェンスでやってみる。

 

じゃまじゃまサッカーへ

 

<ディフェンスありシュートゲーム=じゃまじゃまサッカー>

雨のため体育館

 発問:上手な人がどうやってディフェンスをかわしてシュートするかかみてごらん。

 ・サッカークラブのこはフェイントをかけたりあいていすスペースをたくみにみつけてシュート

 ・他のこはディフェンスにむかってドリブルしたりディフェンスをかわそうとしてタッチがおおきくなったり、コート外にけりだしてしまったりした。

 → ディフェンスのいないところをみつけてごらん(痺れを切らす)と声をかけ成功するようになる。

<授業後>

 ・敵のいないところをみつけて進めば簡単でした

 ・ドキドキして面白くなった

 → シュートをきめるたのしさから、ディフェンスとのかけひきのたのしさへ

 

学級会

言葉の統一

 ・ディフェンス=「おじゃま」

 ・あいているスペース=すきま

発問「おじゃまをつけてどうだった?」

 ・よけてシュートするのがドキドキ。

 ・キーパーにとめられたけれどたのしかった。

 ・ディフェンスをかわすのがたのしかった

発問「おじゃまは何されるといやだった?」

 ・みんなで一気にこられるのが嫌

→ 「おじゃまを困らせるための作戦があったらいいのにね」

   作戦を考える

    「おとり作戦」「いっせーの作戦」「はじっこ作戦」「へびにょろにょろ作戦」「ドリブル反対作戦」「パス作戦」

 

<めあて「作戦を選びじゃまじゃまサッカーをたのしもう」>

 ・4つの作戦にしぼり提示(いっせーの、はじっこ、おとり、ばらばら)

 ・ほとんどのチームがおとり作戦をえらんだ。

  サッカークラブのこがじゃまぞーんの手前でボールキープし、そのすきをついて他の子がドリブル突破。

 ・できない子も作戦をつかってシュートしていた場面をとりあげる

 

<作戦をつかってのゲーム>

 ・教師は低技能の子の動き出しの声かけを中心に指導

 ・すきまをみつけてもじゃまぞーんをぬけようと強くけりだしてしまう

 ・1位のチームに作戦をきくと、「おとり作戦とはじっこ作戦をあわせた作戦」で、「男子が中央でおとりになり、女子をはじっこからとおす」もの。女子も「すきま」がわかったから成功した。

ルールの話し合いで、ゲームを高度化するために「じゃまぞーんえりあを拡大」「じゃまぞーんを8の字型にする」がきまる。

3月6日に匠の会で議論(まとめ)

 ・ルールがえを毎時間後に行っていては、技術的な習熟はえられない。1つのルールのうちに、1つの課題をチームで解決していくような授業づくりをする。(例えば、すき間がみつけられない。全員できるまでは先のルールに進めない)できなきゃ先に進めない状況を教師側がつくることで、チームで教え合う姿勢がうまれる。

 ・「わかる」「できる」のものさし(自分の技能のものさし)が必要。それは、データであり、全員成功できるまでであり、みんなが「わかる」「できる」を実感できることが大切。

 ・あえて困難な課題をあたえ、強制的にその課題をのりこえさせる状況をつくる。

 ・わかる内容は、こどもがみつけたポイントでアプローチする。(きーぱーのいないところにけった。ひきつけてけった等)

 ・低学年のうちに、技術的なことの芽生えをかんじられるようにする。能力に差があっても技術が高まれば(フェイントをつかって空間をつくれば)かてることをわかるようにする。

 ・今後のながれ

   キーパーにとめられたこがいるね。どうやったらとめられないかな→こどもの言葉でポイントをまとめる。→みんなでできるかチェックしよう→みんなの×が○にかわるまでやるよ。→シュート場面(1対1)→試合の局面(みんなでうまくなることをしっかりと伝える)

<じゃまぞーん拡大・8の字型>

1回目はWカラーコーン、ゴール量産

2回目はカラーコーン1つ、おじゃま1人、

 ※ゴールの幅を狭めたらシュートコースを意識する姿がみれた。これまではなんとなくけってもはいった。

 → 1点も点がとれなかった人がいる。発問「どうしたらみんなゴールすることができるかな?」

 

<ビデオでふりかえり>

 Mさんがキーパー前でねらっている場面に着目。

 発問「上手な人がどうけっているかきづいたひといる?」

  ・ねらったところけるにはインサイドを。

  ・キーパーのいないところをねらう

  ・キーパーのうごいた逆の方向にける

 → めあて「きーぱーのいないところに全員がうてる」

<ゲーム開始>

 ・とあるチームは1回目のゲームで全員きまったりした。

 ・5分後「きまったチームにこつをきいてみよう」

   「足の間をねらう」「フェイントをいれてキーパーをうごかす」「けるふりをする」→「けるふり」をとりあげ、やってみようと声かけ。

 → 4回連続で全チームがシュートをきめた。しかしもりあがりにかけ、「全員できめることよりも、自分がシュートをうつことに集中している子や、何をアドバイスすればいいのかわからない、おしゃべりしているこなど散々だった」。

 <じゃまじゃまサッカーに移行>

   ・シュートをきめられない子が10人いた

シュート局面、キーパーありのシュートゲームへ。

ホワイトボードをつかってはいれば○、はいらなければ×をつけた。友達のシュートをみようとする意識がたかまり、アドバイスらしい言葉もでてきた。全員シュートできず。

 

10

ゲーム

 ・キーパーのうしろにたち「ここ、ここ!」と指差すこもでた。

 ・成功したチームにはアドバイスをさせた。

 ・最後に1人のこる。みんながみまもる中でプレッシャーがかかる中で、半泣きでボールをもつと、何人もかけよりはげましの声がでる。「ボールをゴールの前でとめたほうがいい」「キーパーのいないところをみてける」「ドリブルのスピードはゆっくりで大丈夫」など。

 ・キーパーのこが「1回ボールをとめるよりも、ドリブルの勢いでつよくけったほうがきーぱーは嫌」とアドバイス。

 2回連続失敗。ついになく。

  みんなを集める。どうする?。最後のチャレンジへ。

   → 右や左にこまかく動き、キーパーのいないところをさがしている。こっちこっちとキーパーのうしろから声をだしてアドバイスをする子もたくさんいる。まよったあげく、左足でけったボールは、たまたまアウトサイドにひっかかり、上手くゴールラインをわった(完全なる偶然)。

   ・みんな大興奮となる。

 

教師のふりかえり

 ・最後の最後で、学級ないでおしえあう姿勢がひろがったことはよかった。しかし技能がたかまったとはとてもおもえない。自分の中でどのようなステップで課題をあたえ、どのような言葉をこどもからひきだしたかったのかがわかっていなかった。

 ・グループ学習のすすめかたがなんとなくわかった。

 ・人間関係の部分で、Yの周りには特に変化はみられなかった。最後の授業の後には、シュートをきめたKにたいして敵対心をもっていた子が涙をながし応援する姿がみられた。何かがかわったのかも…。

 ・ボールタッチやドリブルなどのクローズドスキルにかんしては、上達した様子がみられた。

 

 

 この前の匠の会では低学年でおしえる中身をたくさん議論した。ちょっと簡単に総括。

 

<1対1の局面>

①すきまにシュート(空間にける)

②左右に1度ころがしてシュート(空間にける)

③キーパーをだましてシュート(空間をつくる)

  ・左右にころがして逆サイドにける

  ・けるふり

    など。

 

・蹴り方は低学年はとおきっく。

・目線問題

  ①空間(すきま)をみてけらせたらいいか?それとも②ボールをみえてけらせたらいいか?。キーパーなしでシュートさせる経験を豊富にしてから①か?

 

<シュートゲームの発展について>

①カラーコーンのおきかたをチームに工夫させて、さまざまなコースをつくらせ、ゲーム感覚でドリブル操作を学習させてはどうか。

②特に、<1対1の局面で左右にころがしてけるやだましてける>では角度がきついけりかたが必要になるので、ゴール手前のコーンは斜めからのシュートになるようにコーンを一部固定させておき、残りを自由に考えさせるのもよい。

③シュートラインをシュートぞーんにするとボールコントロールをひきだすことができるかも。

 

※課題

 ・ボールをころがっている状態でける、ということをどう系統的に学習させていくのか。シュートゾーンをもうけるととめてけるからながれてけることを課題にするなどの発展も必要そう。でもそれは授業の目標によるだろう。

 

<今回の気づき>

 じゃまじゃまサッカーでキーパーがいないと、へたな子はボールをもらいにいく役で、もらった後はシュートするだけという攻防の緊張関係があじわえない。

 なので、キーパーありのじゃまじゃまサッカーをどう系統的に指導していくのかを今後の課題にしたい。

 

 

 

 <では、K実践分析 ※注意上記表の⑥の時点での分析です>

図はいつもどおりきえております。

   

1.K実践の目標と内容について

(1)K実践の成果

 K実践の成果として、内容面においては①サッカーのおもしろさであるドリブルシュートのゲームを柱として子どもたちに「シュートするおもしろさ」や「おじゃまをかわしてシュートするドキドキ感」を味わわせ肯定的なサッカー観をひきだしていること、そして方法面においては②みんながたのしめるルールづくりをめぐる子どもたちとの応答的関係を柱として主体的な授業をつくりあげていることがあげられる。ここにはみんながたのしめるルールづくりをめぐって、できない子の意見も尊重しながらルール変更をしていくことで、子どもたちの関係の固定化(ヒエラルキー)をのりこえようとするKさんの意図(目標)があった。また③できない子でもチームの作戦を活用しシュートを決めているといったできない子の成功例に気づかせ学習意欲の換気や友達への見方の変容をねらっている。ここにもできない子の友達との積極的なかかわりをうみだすとともに、できない子に対する周囲の見方を見直させることで、内(本人)と外(周囲の子)の両面から関係(ヒエラルキー)の組み換えをねらうKさんの意図がある。

 ここで、K実践の成果として次の2つの場面に着目したい。

 1つは子どもたちの「できない」「失敗する」ことへの不安を変容させている場面である。

 K実践の子どもたちは障害物としてカラーコーンを1つ設置するときにできない子から「難しくなりそう」という意見がでている。またその後も課題があがる度に反論がうまれ、子どもたちは「できる・できない」という能力差に敏感になっている状況が読み取れる。しかし教師の発問や対話によって段階的に課題水準を高めていくことで、「おじゃま(カラーコーンやディフェンス)をおくことでドキドキ感がえられてたのしくなる」ことに気づかせている。「できない」ことに不安な状態から、「難しそう」「できないかもしれない」という挑戦的課題だからこそおもしろいという世界に徐々に子どもたちをひきつれている。サッカー経験の乏しい多くの女の子がディフェンスをつけておもしろくなったと言わせた場面はスポーツ観を豊かにする重要な契機となったであろう。

 もう1つは作戦をとりあげた場面である。

 スポーツは戦術や技術を駆使することで個人の能力差をこえてみんながそのスポーツの醍醐味を味わうことをめざしていく。体格や能力差があっても巧みな戦術(作戦)を駆使して攻防を展開し多くの得点を獲得することができるようになる。スポーツの歴史的な発展過程においても新たな戦術・技術の創造は「できない」状況をいかにのりこえていくかをめぐってのことであるだろう。K実践においてもみんながシュートできるための「作戦づくり」を重視することで、それぞれが役割をはたせば多くの得点をとれる(おもしろさを味わえる)ことや「作戦」を考えることで「できない」状況(ディフェンス)を突破できることを実体験させ、子どもたちの戦術意識を芽生えさせているのである。

 

(2)K実践の課題—子どもたちの関係の固定化(ヒエラルキーの構造)をかえるためには?—

 しかしK実践では、子どもたちによるルールづくりの根拠が「たのしさ」や「難しさ」という感性的な判断基準が中心となっているために、能力差(ヒエラルキー)を意識した集団的な討議をしていくことはできたけれど、子どもたちの「わかる」や「できる」をめぐっての探究的な学習や教え合いなどの直接的な関係性を十分にもたせていない。

 たとえば、K実践では2月25日にはじめてキーパーをいれたシュートゲームをおこなっているけれど、試合後にあげられた「フェイントをいれたりして楽しかった」「入るか入らないかドキドキして楽しかった」等の子どもの感想からKさんは「つまらなくなったと感じている子はいなかった」と評価をし、これを次のルールづくりの基準としている。確かに、攻防の緊張関係から生じるおもしろさを味わわせることに成功し子どもたちのサッカーへの欲求を高めていった点で大きな成果である。しかし、そのおもしろさを味わうために獲得すべき「わかる・できる」を探求する活動を介して、子どもたちの関係を対等平等なものに変容させようとすることも必要ではなかっただろうか。たのしかったかどうか、次の課題は難しそうかどうかという印象的な基準だけでは、子どもたちの能力差はうまることなく要求だけがすれ違い、不安や不満の欲求が蓄積してしまうかもしれない。また具体的な固有名詞の関係を媒介として「できない友達がわかり、できるようになる」こと(喜び)や「わかるによって自分の到達点がみえ、より意識的操作が可能になる」こと、そしてそれらによる「ゲーム性の高まり(たのしさの拡大)」が実感としてえられれば、子どもたちの固定的な関係(能力差がむすびついた友達観)をのりこえることができたかもしれない。「わかる」をともなった「ともにうまくなる」ことをくぐりぬけさせることでこそ「ともにたのしみ競い合う」対等な世界がうまれてくるのであり、「できない子」の声から共通の課題と課題解決方法をさぐる発見的な取り組みをしくんでおきたい。

 ここで意識しておきたいのは、子どもたちの「あの子はできるけれど私はできない」「できない子がいるとつまんない」という自己・他者疎外感の解消であり、それには「うまい」「へた」観の変革による対等な関係づくりが不可欠であるということである。K実践では目標—内容—方法の一貫性がみられるものの、内容面における決定打がかけているために、子どもたちの固定的な関係の背後にある「うまい」「へた」観の変革に十分にせまりきれていないようにみえる。

 

(3)戦術・技術の共同的探求を契機として対等平等の関係づくりをめざしてはどうか?

 ではどういったしかけを用意する必要があったのか、考えてみたい。たとえば、はじめのシュートゲームでボールコントロールがうまくできずにラインをこえる前にシュートしてしまったことが「ルール違反」として意見がだされているが、Kさんも気づいているように、ここでラインをこえたところでボールをとめることや転がるボールをシュートするためにどんなことを工夫すればいいんだろうという投げかけをしたりしてもよさそうである。またコーンを2つにした場面でも、コーンの置き方を工夫し、コーンの間をとおしたりコーンを複雑においてさわらないようにドリブルでぬけていったりするなどゲーム感覚をもたせて「ボールタッチの技術(わかる)」をひきだしてもよかったのではないだろうか。もし序盤で「ボールタッチの技術がわかり、できる」ようになれば、作戦を使用して攻める段階で課題となった「ボールタッチ」の習熟につながったり、さらには「まちぶせ役」の子は必ずしも「うまい子」だけに限られなかったりしたかもしれない。こうしてできない子の声から「ドリブルでカラーコーンをよけるためにはどうやってボールをければよいのか」「キーパーをはずしてシュートするためにはどういった方法があるのだろうか」といった共通の課題にせまる発問をなげかけ、解決方法をグループで探したり教え合いをしたりしていく。そして「へたな子もうまくなり、ディフェンスへの要求を高めていくこと」や「うまい子も新たな発見をし、意識的な技術として高めていけること」を体験する中で、主体的な達成感を獲得するとともに能力(「できる」)は変化することを実体験する。そして能力は高まるという見方から、できない子に対して「わかれば、うまくなる」という友達観をもつとともに、「みんながわかって、できるゲームがたのしい」という対等な世界を要求するようになるのである。少々理想的な発展をしめしたけれど、私たちが望むのは上述したような「うまい」「へた」を相対化[1]した上で遊びや生活の中で豊かな運動文化をつくりあげていくことができる主体者像ではないのだろうか。K実践を運動文化の主体者形成にせまる実践として位置づけその挑戦的な試みに学びたいと思う。

 

2.K実践の方法について[2]

(1)みんながたのしめる「ルールづくり」と「集団づくり」の統一

 K実践は「ルールづくり」と「集団づくり」を統一する手法を特徴としている。すなわち、「みんなが(できて)たのしめるルールづくり」をめぐり、教師が様々な子どもの意見をすくいあげる過程で集団を意識化し、教師に支持されながら「集団の自己決定(葛藤・合意)→決定内容の遵守→ふりかえり→集団の自己決定(葛藤・合意)…」といった自治的な学習活動を展開しているのである。子どもたちはルールづくりを自分たちの学級の集団的な問題として受けとめ、授業そのものが学級集団としての実践課題となってくるとき、学習活動そのものが子どもたちの生きた実践的な生活になるのであり、そのときはじめて学習主体の形成も可能になるのである(石川、1994)。ここには教育的意図と体育的意図の両面の意義が内包されている。そのことについてまずは以下にふれておきたい。

 

(2)子どもの人格的な自立をめざした自治集団活動の組織(石川、1994;折出、1989)

 「人格」とは独立した個人のあり方やその人間性を意味している。個人が自己の人格を発達させていくためには、自己のめざす方向へと目的意識的に対象的世界へ働きかけ自分づくりをしていくことが必要となる[3]。したがって人間形成をめざす学校教育においては、子どもたち自身の発達欲求にもとづく主体的で自立的な学習がもとめられるのである。

 ここでいう子どもの自立とは、「自分でできる、考える」という生活主体としての独立性とともに、「みんなに支えられてまたはみんなで、できる、考える」という発達主体としての依存関係の質的発展性(発展的協同性)の両面をもつ[4]。学級集団がバラバラな集団では独立ではなく孤立におちいってしまい、そこには差別や偏見、不信などが子どもたちの間に固定してしまう。一方で学級集団がなれあいや過保護・過干渉になり依存関係に主体性や発展性が喪失されると個人の意思が見失われ発達がのぞめなくなってしまう。そうではなくて、1人ひとりが大事にされる安心した学級集団の中で、子どもたちがそれぞれの個性(可能性)を伸ばし問題を解決していける民主的な関係性をつくることが、自立を形成するのである。こうして「自立」とは集団的で能動的な行為であり、「自治」の形成によって達成される。K実践においては低学年の子どもたちが教師を中心とする自治集団活動を展開することで、子どもの人格発達をめざす上記の課題に挑んでいるのである。運動文化に主体的に働きかける(意欲をもって取り組む)学習を組織していくことは、子どもの人格発達(自立)へ寄与する体育実践の重要な要因となっている。

 

(3)運動文化の主体者形成をめざした自治集団活動の組織

 体育実践において子どもたちの主体的で自治的な集団活動を促進することは運動文化の主体者形成という教科目標としての意義もある。特に自治集団の形成とは運動文化が社会的自治的な集団関係の中で発展させられることをふまえると重要な意義をもっていると考えられる。一般的に集団内部には対立や矛盾が存在し、民主的運営においてはこれらの対立や矛盾を話し合い(合意)によって解決をしていくこととなる。運動する組織の発展とはこの対立や矛盾の発展的解消の繰り返しである。それは学級集団においても同様である。子どもたちにはうまくなりたいという共通の要求がある。それゆえにへたな子はおいていかれる不安もある。そしてへたな子にあわせるとうまい子はおもいきってたのしめない不満もある。こうして要求が対立・矛盾する要素をもっているのが集団である。K実践でも高い要求(「キーパー・ディフェンスをつけたい」)をもつ子どもとそれに抵抗する子どもの対立が一貫しておこっており、これらの折り合いをつけながらルールづくりがおこなわれている。特に「ルール違反が故意のものではなかった」ことや感性的ではあるが「できない子の気持ちに共感しながら段階的な発展を提案する」ことなどが合意されている過程は注目できる[5]。「最初はへたな子でもたのしめるルールにして、うまくなっていくとともにだんだんうまい子もたのしめるゲームをつくっていこう」といった「みんな」(1人ひとり)を大切にする学習となっている。子どもたちには「Aさんが大事にされることは、あなたがつまづいたときにも大事にされることなんだよ」というメッセージを発信し、つまづいた子やできない子を大切にすることが、自分たちも大事にされることになるんだという安心感をもってもらいたい。

 またK実践がルールづくり学習を中心としていることもまた体育科教育においては注目すべき点である。丸山(2015[6])はバレーボールにおけるルールの変遷史を大学生が追体験する実践(「ルール改正の予想—実践—検証」)を通して、「歴史という座標軸の中でのスポーツルール観」が「スポーツのルールが全体的、固定的なものでなく可変的なものであるというルール認識」、「老若男女・障害者も含めたすべての人間が楽しむ文化としてのスポーツに対するルール認識」、そして「未来志向的な変革意識を持ったルール認識」を育むことを示している。別言すると、①ルールは自分たちがたのしめるように改変してもよいこと、②ルールを改変することで誰もが対等にスポーツをたのしみ競い合うことができること、③運動文化が今後私たちの生活を豊かにしていく文化となるように民主的・大衆的なスポーツ(ルール)をつくっていくことが望ましいこと、これらが「わかる」ということである。K実践においても上記の3つのルール認識にせまる討議過程がなされている。小学生の段階でも子どもの発達段階の視点からみんながたのしめるルールづくりを組織して知的興味や活動欲求をひきだすという目的だけではなく、それがどのようなスポーツ観を育成していくことになるのかも問う必要がある。またK実践のねらいと関連してルール観の変革が「うまい」「へた」観にどう影響するのかも考察しておきたい。

 

(4)K実践の集団づくりの課題

 上述したようにK実践は子どもたちの集団的で能動的な活動をとおした自己形成を大事にしているという点で、子どもの人格発達や運動文化の主体者形成を見通した豊かな実践として位置づけることができるだろう。ところで、自治集団の形成は主体的で集団的な学習活動をとおしておこなわれる認識と行為の統一的な形成により可能となる。したがってやはりK実践においては「戦術・技術についての教える中身」が不明確となっており認識形成において弱点をもっている。たとえば、K実践ではカラーコーンを増加する根拠を課題の段階的な発展性にもとめているけれど、そうではなくて、子どもが難しいと思うカラーコーンを回避してドリブルするための方法(ポイント)を学習させるとともに、みんながそのポイントを習得しカラーコーンを回避するドリブルができたかどうか、うまくなったかどうかを基準にして次のルール設定を考えさせていきたい。戦術・技術をめぐる共通学習内容(わかる)の視点がよわいため、具体的な事実をもとにした問題解決のための集団的合意が十分にえられないままになっているのである。授業において教師は学習集団として子どもをおいこみ、子どもたちに集団がわかり、うまくなる活動を要求することで、子どもの自立・自治がうまれてくることを自覚しておきたい。

 

3.K実践における教師の教材づくりと子どものルールづくりについて

(1)教師の教材づくりー「シュートゲーム」の特徴ー

 K実践ではじゃまじゃまサッカーの前に教師が開発したシュートゲームを位置づけている。形式はじゃまじゃまサッカーと同様で、中盤のボール運びをなくしシュート局面に限定している。またディフェンスをおかないことでまずはドリブルしてシュートする基本のたのしさを味わわせることがねらいにある。ゴールはネットにひっかかったボールをとりにいくときに他の子にシュートされたボールがとんできて危険なため、ゴール内にあるボールをとりにいけない状況がうまれることを想定してコーンを2つおきその間をとおすこととした。しかしコーン2つでは強くシュートをうつとボールをとりにいく必要がでてスタートラインにもどる時間がかかってしまうことからシュートの強さを抑制することになる。そのため、周囲の子にボール拾いの役割をもたせることで強いシュートをうつ意識を保障することとした。興味深いのはこれらの教材づくりが東京支部研究大会での実技分科会や匠の会での議論を通してでた意見をふまえて集団的に検討していったものだということである。シュートをコーンの間をとおすことにしたのも実際に参加者から「ボールを取りにいくのが怖い」という声をうけての修正であった。集団的な教材づくりを背景としてKさんの戦術・技術的なねらい(ドリブルシュートのおもしろさをたっぷり味わう)を実践化するにいたらせているのである[7]。注目したいのは、K実践では「シュートのおもしろさを味わわせる」ことを柱として教材を改変していったことである。単なる子どもの興味・関心をひきだすためではなく、サッカー教材で教えたいことが教材づくりの柱にある。しかし、「シュートはしたけどゴールしたかどうかはわからない」というゴール感の演出に課題がでている。また当初ねらった「シュートのおもしろさ」をめぐってどのような総括がなされるのだろうか。注目したい。

 

(2)子どもたちのルールづくり学習で気になったこと

 K実践ではシュートゲームを実施した後で、「シュートゲームをもっと楽しくするために、何かいい方法はないかな?」と発問し、自分たちでルールをつくっていく集団的な動きをつくりだしている。またその際短い時間で強い意見をとりあげるのではなく、じっくりと子どもたちの様々な意見をださせながら合意をつくっていくための時間を確保している。

 K実践のルールづくり学習の中で、子どもが考えた能力別でたのしめるルール設定について取り上げておきたい。それは8の字コートの「おじゃま」を半分にわけて、片方を障害物(コーン)の設置、片方をディフェンス1人にしてはどうか、という提案であった。ここでは個々の能力にあったコースを選択することになっているが、その課題が障害物(コーン)とディフェンス(人)では必要な技術に差異がうまれてしまう。子どもたちのルールづくり学習を組織していく際にはどういった特徴をもつルールなのかを教師は見極められるようにしておきたい。この点に関連して吉本均の教材づくり論に示唆をうけることができるので、紹介しておきたい。

 

(3)吉本均の教材づくり論—「統一と分化」の教授学的原則—

 吉本(1981[8])は子どもの発達の可能性をひきだす教材づくりにおいては、教師の発達観が問われ、特に①個人差の絶対化(固定化)のあやまりと、②平均化のあやまりをおかしてはいけないと指摘する。

①個人差(能力差)にあった課題を選択することは、その子の個人差を固定化した能力主義的な授業(選別システム)におちいりかねない。一方で②個人差を無視すると「平均的な子ども」を想定した画一的な授業となってしまう。「能力に応じた」教材加工があったとしても、どの子も可能性を伸ばせる手続きがそなわっていなければならないのである。子どもたちに「能力はかわる(発達する・うまくなる)」という考え方がめばえることは、子ども同士で自分たちの可能性をひきだす「育ち合う」関係につくりかえる契機となることも意味するため、大事にしたい。

 そこで、吉本(1981)は山本貞美(1982[9])の8秒間走をあげながら教材づくりにおいては「統一と分化」の教授学的原則を働かせていく必要があると述べる。「8秒間走」とはスタートラインを調整し走距離を個人の走力におうじて分化させることで「全力を出しきる」という統一的な達成目標に子どもたちを追い込む教材である(下図)。

 

 

 

 

 山本の8秒間走では、子どもたちは個々の能力にあわせながらも「8秒間全力疾走する」条件(統一)をつくり、誰もが個々の可能性を高め(分化)、せりあい(競走)をたのしむことができる教材となっている。短距離走のスピードを高めるための共通の条件が設定されることで走技術をめぐる共通の課題(わかる)をひきだすこともできる教材である。しかし、山本実践では共通の目標が「全力をだしきる」ことになっており、共通学習内容(わかる)の設定は未解決の課題となっている。同志会でも同様の教材開発・研究がなされており、たとえば愛知支部が集団でおこなった跳び箱運動の教材研究がある。跳び箱運動の教科内容は「空間表現」と「鑑賞・表現能力」の育成にあると考え、共通学習内容(学ぶ中身)は共通の技における空間表現の仕方(技術)であり、その鑑賞である。したがって、跳び箱の高さはそれぞれであってもよい。大事にしていることは「わかる・できる」中身がみんなの共通のものとなっているかどうかである。

 

4.おわりに

 子どもたちの能力差に依拠した固定的な関係性をかえるためにはやはり、子どもたちの学習活動の中でそれらの関係性を相対化しのりこえるように働きかける必要がある。戦術や技術をめぐる自治的な集団活動をとおした子どもたちの能力観の変革がK実践の課題となっている(図1)。そしてそれは科学の世界(わかる)を介してのみ達成される。そのため教師は子どもたちに「わからせたい中身」をもちその授業では「どこまでわかり、できることができるようになったのか」も問わなければならない。そして今後の実践の見通しとして、特定の作戦をひきだす環境(ルール、コートやゴールの大きさ)を考えるとともに、その作戦で必要となる戦術や技術を想定し、「わかる、できる」系統的な学習を組織していく授業構想をたてることが課題となるだろう。そのためにも今回の実践から「わかる中身」を明確化していくことがひとまずの課題となろう。

 

[1] 「能力観の相対化」とは出原泰明に示唆をうけたものである。出原(『体育の授業方法論』1991)は「うまい」「へた」観をどうみるか(pp.100-106)の部分で次のような見方を提示している。「うまい」「へた」観の変革の契機は,①「へた」を未学習の状態としてみる、②誰でもはじめは「へた」だったとみる、③「うまい」と「へた」は表裏一体のものだとみる(うまい人にもどこか必ず「へた」がある)、④「うまい」「へた」は途中経過とみる、ことにある。少々強引だが出原の「うまい」「へた」観には①一過性②発展性③相対性④過程性といった特徴がみられ、「能力の相対化」とはこれら4つの特徴をイメージして使用している。スポーツ活動においてはこうした能力観をもって能力を個人とむすびついた属性ではなく所有(可変)のものとみると同時に、その能力を前提としてみんながたのしみながら成長できる目標をくみたてていくことが民主的運営の条件となる。

[2] 本節は以下の文献を参考にしながら作成したものである。しかし読み手のわずらわしさを回避するため引用箇所の明記は最小限とした。

 石川正和(1994)子どもの人格発達と集団づくりの探求.大空社.

 折出健二(1986)人格の自立と集団教育.明治図書

[3] 私たちも同様である。自分の目標とする方向性をみさだめ学習し、目的意識的に教育実践(対象的世界)を変革していくのである。こうした能動的活動を媒介として私たちは自己形成をとげていく。教育主体として「精神の自由」(個の自立)を発揮することは人格形成の道であり民主主義の道である。※「個の自立」=生活主体としての独立性と依存関係の質的発展性。

[4] 安富(2011)も参照されたい。安富は「助けてください」と言えたとき、人は自立していると主張している。安富歩(2011)生きる技法.青灯社.

[5] 少し横道にそれるが、ハーバーマスは合理的なコミュニケーション関係には①真実・事実が確認される、②意図(誠実性)が確認される、③規範が確認される、ことをあげており、K実践においても「ルール違反」という①事実(真実性)が確認され、それが「故意である」という②意図(誠実性)が提示され、そして目標となるカラーコーンをおき守る(規範性)という確認がなされている。またディフェンスの設定についても①(コーン1つ、または2つ、キーパーありの条件下で)何ができるかを確認しながら(真実性の確認)、②もっと発展させたい気持ちとそれに不安を感じる気持ちを顕在化させながら(誠実性の確認)、③段階的な発展(規範性の確認)がなされている。

[6] 丸山真司(2015)体育のカリキュラム開発方法論.創文企画.

[7] ちなみに、このシュートゲームは「じゃまじゃまサッカー」教材の感覚づくりとして「ドリブルシュート」の基本のたのしさを味わわせるものとして位置づくと解釈できる。匠の会としては「シュートゲーム」自体の検討をおこなっておきたい。

[8] 吉本均(1981)子どもの可能性を引き出す授業の論理.体育科教育,29(10).

[9] 山本貞美(1982)生きた授業をつくる 体育の教材づくり.高田典衛監修 山本貞美著,大修館書店

 

 

 

 

次回5月29日はKさんの再総括(特にシュートゲームの部分※教師の実践のねらいの部分)と高校実践の報告・議論です。