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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

(まとめ)ソースボリューム時代のバレーボール実践

非売品となる冊子にこれまでこのブログでメモしてきたことをまとめたので掲載。かなりの長文です。ブログってこんなに文章のせられるんですね。

ただし図や表はのせられなかった。。。

 

学校体育研究同志会におけるバレーボール教材の実践研究史

—生活体育の時期に着目して—

 

1.本稿を執筆する背景

本稿では学校体育研究同志会(以下、体育同志会とする)におけるバレーボール教材をめぐる実践研究史を生活体育の時代に着目して整理し、その成果と課題を解明しようとするものである。その背景には次のことがあげられる。

(1)バレーボール教材における実践研究を発展させていくために

 体育科教育においては人類史において創造された既存の運動文化を教材として豊かな運動文化の獲得と運動文化の民主的な発展を志向する主体者の育成をめざしている。平和な社会を希求し、人々が生活において自分たちの、社会の幸福をつくりだしていく方法の1つをつかみとってほしいのである。こうした教育理念をもつ体育実践をめざすときに過去の理論・実践研究を看過してはらないと考える。過去の研究の成果と課題を正確に把握し、それを土台としてこそ未来にむけた確実な一歩をふみだすことができるのではないだろうか。したがって今回は、これまでバレーボール教材をめぐり集団的な研究を展開してきた体育同志会の研究史に学びたいと考えた。

(2)バレーボール教材の研究成果と課題を把握していくために

 とはいえ、体育同志会の実践研究史は1955年に結成されてから現在にいたるまで60年の歳月がたっている。現在においては「Aクイックから始める指導系統」や「1対1のオーバーハンドパスから始めてラリーの発展をめざす指導系統」がみられるとともに、バレーボールの学習内容についても戦術・技術的内容だけではなく、組織的内容や文化的内容を統一させた実践研究もみられる。そして上記のものが発達段階に照応して展開されるための教材開発や実践研究なども実施されてきた。しかし体育同志会においてもバレーボール教材の実践研究を整理したものはない。またこれらの実践の成果と課題を正確に評価するためには、教材研究や実践研究の背景にある研究史をふまえた考察が必要になってくる。そこで本稿ではその第1段として体育同志会創設期における生活体育時代のバレーボール実践研究史から学びたいと考えた。

以下では上記の2つのねらいをもって、1957年から1963年までのバレーボール実践の研究史をたどった上で、代表的な2つの実践を比較していく[1]

 

2.生活体育時代のバレーボール実践研究史

(1)ソースボリュームを使用したバレーボール実践の展開

 1955年に体育同志会が結成された際の中心的人物が丹下保夫である。丹下は前川峯雄とともに戦前・戦中の軍事体育を反省し、地域や子どもの生活実態に即した生活体育を展望していく。子どもの運動生活を民主的で豊かなものにしようとする生活体育の実践は丹下らの実験校で実施された「浦和市の体育研究」(1953〜1959年)で具体的なものとなっている。すなわち、体育行事(休憩時間での遊戯・運動会・校内競技大会・臨海学校等)を中心とする生活単元方式を基盤とし、体育は体育行事にむけた子どもたち自身の計画によるグループ学習[2]となっていた(体育同志会、1989[3];高津、2004[4])。

しかしながら、生活体育においては「グループ学習と云う形態の指導法のなかで技術をどうとりいれて行ったらいいか判らなかった」という問題を抱えていた。そこで、体育同志会では「研究され、分析された技術の資料集(ソース・ボリューム)を学習者に与える」ことを解決の糸口とし(瀬畑、1958[5])、1957年に開催された第7回ワークショップオリエンテーションにおいてソースボリュームを作成している(1958年10月発行)。バレーボールのソースボリュームは窪田恭子や仁尾和雄を中心として作成されたのちに瀬畑四郎や荒仁によって改定されている(瀬畑・荒、1960[6])。その内容は子どもたちが自主的な練習や大会運営を進行できるように、戦術・技術についての基礎知識と練習方法、練習計画の組み立て方、審判などの大会運営の方法などがしめされており、子どもたちの学習を方向づける役割をもたせている。

記録に残されたもののうち本格的にソースボリュームを使用したバレーボール実践を実施しているのは瀬畑である。瀬畑は1956年12月のワークショップでバレーボール(女子)の生活単元カリキュラムの指導構想を発表し、丹下らと計画を議論している(荒、1957[7])。その後ソースボリュームが作成された翌年の1958年10月頃に中学校3年生のバレーボール実践を実施している(瀬畑、1961[8])。瀬畑の実践では子どもたちがソースボリュームを使用する次のような事例が観察されている。「アンダーハンドサーブの練習のはずなのに、どうも変なかっこうでおかしい。そのうちに林君が『実技シリーズ』を持ってきて研究しはじめた。…そこへグループの者が集まってきたので、バレー部のキャプテンである徳丸さんが、本を持ちながら解説を始めた」。

 

(2)バレーボール教材にひそむ運動疎外要因の発見

このように生活体育におけるバレーボール実践では、グループ練習や校内競技大会の自主運営(主体的学習)において、教授行為を必要とする技術学習をどう統一させていくかという課題をかかえていた。そしてソースボリュームの使用は生活体育実践における教授と学習のジレンマを打開する方法として注目され、実践研究が展開されていく。しかし瀬畑や吉崎高弘は実践を通して新たな問題に直面することになる。それは9人制バレーボールのルールをめぐる次のような問題であった。

瀬畑(1961)は、試合の出場者を選択させる際にコートから外される人ができないMに集中する事実とであう。Mは最後の感想文に「私たちの班では、10人いて1人はんぱです。それでたいがいは、私が抜かされるので、順番に抜かしていけばよいと思っています。…みんないっしょうけんめいやったのに、私だけあまり出なかったので、みんなにすまないと思っています」と綴った。また吉崎(1960[9])も1960年[10]の中学2年生の実践において、低技能の子が試合では触球数の少ない後衛にさせられ、ようやくボールが飛んできたと思ったら失敗しチームメイトへの責任を感じてしまい、最後は友達のなぐさめの言葉に泣きだしてしまう事実とであう。瀬畑の同僚であった奥村道子も同時期に実施された中学校1年生の実践において次のような事実を観察していた。

「どの班にも共通していることは、よく動く者、パスのきれいな者が、ハーフセンターに入り、比較的背の高い者が前衛、低い者が後衛に入っている。バレー部の女子はほとんどが、ハーフセンターか、前衛のセンターである。そして面白いなと思うことは、やはり、フォワードレフトに、打てそうな男子をおいている班の多いことである。背ばかりでなく、体力的にも、どうもバックは見るからに弱そうである」(奥村、1960[11]

 こうした事実とであった3名はいずれも9人制バレーボールにおける固定化されたポジションを問題とし、6人制のようにローテーションルールを導入しなかったことを反省する。たとえば瀬畑は触球数の格差は「自分の決められたポジションについて最大限の努力と責任を果たす」という指導と矛盾しており、「均等に与えられるべき教育がほんのすこしの場面でも矛盾があってはらならない」、「『なぜ背の低い者や下手な者はバックにならなければならないのか』という大きな問題は正課の中でそのままにしていいことではない」と述べている。上記の問題はのちに低技能の子どもの側に原因があるのではなく、教材である9人制バレーボールの側に原因があり、教材となる運動文化には疎外要因が内包されていると考えられるようになる。そして以下に述べるように「中間項」という教材づくりの視点も加わって、疎外要因を取り除いた新たな教材が開発・実践されていくこととなる。

 

(3)「中間項」の発想にもとづくバレーボール教材の開発

この頃体育同志会では「中間項」という概念が教材づくりにおいて重要視されるようになっていた。「中間項」とは教育学者の梅根悟が丹下の実験校であった浦和市の小学校に出向き、丸山健二の体育実践を観察したときに提示した概念であった(梅根ら、1960[12])。すなわち「中間項」とは「要素的技術の練習」と「本格的な試合練習」との中間に位置づく簡易ゲームのことであり、それは三角ベースのように子どもたちの生活文化の中に根ざしながら運動欲求を満たす教材として把握された[13]。体育同志会ではこの「中間項」の考え方をもとに、子どもの喜び(運動欲求)を大切にする新しい教材観を構築していく。それは運動文化の喜びの本質が技術的な向上にあるため、既存のルールを子どもにあてがうだけでは「運動文化の技術の高さと子どもの能力との落差が大きいために運動の本質的なよろこびを見出せない」のであり、子どもの運動欲求をみたすためにも「運動文化に子どもをあてはめるのではなく、子どもの能力の発達に運動文化をあてはめる」という考え方であった(丹下・川口、1960[14])。丹下は1961年にこの「中間項」の発想にもとづく教材づくりの視点が、①その「運動の本質的な技術」を含むもの、②次の段階に向けて連続的に発展するもの、③子どもの欲求・興味・関心に即応し、それをさらに発展させうるもの、④ゲーム性を有するものであることを提示している(体育同志会、1989)。

 体育同志会では1960年8月から1962年8月にかけて「中間項」をめぐる議論が活発化し、集団的な検討をへていくつかの新しい教材が開発されていく(高津、2004)。バレーボールにおいては1960年8月の夏季研究集会にて、根本誠[15]が「対人パス」を「中間項」と考え、「続きっこ(ラリー)→いじめっこ(キル・タッチ)→サーブ→ストップ…」と発展していく指導系統で6人制バレーボールの実験的実践を報告したことに始まっている(川口、1960[16])。このとき「バレーの本質はボールをつくことと考えた。サーブ、キル、タッチは攻撃の手段であって、本質ではないと考える」と議論され、「中間項」教材はネットを介してパスをいかに継続させるのかを競う「パスゲーム(続きっこ)、パス・ラリーゲーム(いじめっこ)[17]」であることが合意されていく。このとき「ラリーゲーム(続きっこ)」にも1対1から発展していく指導系統が確認されている(体育同志会、1960[18])。またバレーボールの問題点についての議論もなされ、「運動したい欲求やよろこびを味わう機会を阻害されている」状況がバレーボール嫌いをうんでおり、「誰もが楽しみ、よろこび合えるためにローテーションシステムを採用する以外に問題解消の方法はない」と判断された(川口、1960)。

 さらに体育同志会ではこの新しい教材と指導系統の有効性を証明するため、1961年の日本体育学会にて連続での研究発表を行っている(荒木ら、1961[19];吉崎ら、1961[20])。1つめの報告「バレーボールにおける技術指導の問題点」(発表者荒木豊)では子どもへの質問紙調査の結果からバレーボール教材の問題が「ポジション・ローテーションの問題(不平等)」「発達と欲求のミスマッチ」「伝統的・習慣的な指導系統への従属」にあると問題提起している。そして2つめの報告「バレーボールにおける技術指導の実験的研究」(発表者吉崎)において「1:1のパスラリーから、3:3のパスラリーへと発展する指導系統」かつローテーションルールやサーブの機会均等(1人1回方式)ルールにもとづく6人制バレーボールの実験的実践をおこない、スキルテストや質問紙調査の結果から新しい教材や指導系統の有効性を主張している。こうした全国的な研究集会を中心とする集団的な研究体制の中で理論的・実践的研究を対外的に進展していったことも注目すべき点であろう。

 ところで、「中間項」教材をめぐる議論の背景には当時、高度に組織化されたゲームの準備段階として考案されていたリードアップゲームへの批判的視野があった。1949年の学習指導要領小学校体育編(試案)では小学校5、6年生におけるバレーボールのリードアップゲームとしてネットボールが紹介されていた。ネットボールはネット越しにボールをなげあうものであり、丹下はこれに対して「ネットボールがバレーのリードアップゲームだが中間項はリードアップゲームとは考え方において根本的に違う」と述べ、リードアップゲームは「バレーボールの本質的技術の、指でボールをはじくというパスの技術が全然考えられていない」と運動の本質的なよろこびを獲得できる運動技術の視点から、また「ネットボールから、バレーボールへの発展にも技術的に一貫した発展性が欠けている」と運動技術の発展系列の視点から批判をしている[21]

 

(4)独自ルールの創造とパス・ラリーゲームから始める6人制バレーボール実践の特徴

 こうして体育同志会では生活体育の実践研究を通して自覚された9人制のバレーボールにひそむ「運動疎外の克服」と、運動文化の本質を見失わないで子どもの喜びを高めることのできる「中間項」教材の追求によって、ラリーゲームやパス・ラリーゲームから始める指導系統と6人制ルールを適用した独自ルールによるバレーボールの実践が創造されていくのであった。記録に残されたもののうち「パス・ラリーゲーム」から始める指導系統や独自ルールにもとづく生活体育実践については吉崎(1961[22]、1962[23])が詳細である。吉崎が提示する中学校3年間の指導計画には、1・2年生では自主的な運動学習を展開できるようにグループ学習や組織・運営をめぐる学習内容が設定されている。そして、1・2・3年生では自分たちの実態にあったルールの創造が共通内容となっており、特に3年生段階になると運動文化の矛盾を理解してより民主的(大衆的)なルールづくりをめざすことが示されている。こうして運動文化への欲求を高め運動文化の組織的運営の力量をつけるとともに、運動文化の疎外要因を自覚させより民主的な変革を可能とする主体者の育成を意図するのである。ただし生活体育においてはグループ練習や競技会の自主運営・組織を基本の学習内容としているために「単元の展開に当たって学年によって根本的に異なるのは『指導のねらい』をどこにおくかだけであり、指導方法や手順においてはかわるところはない」と述べられており、自治集団活動についての指導方法は系統立てて構想されていないことがうかがえる。

 

3.運動文化の疎外要因についての理解の深まり—高校生と対話する中村実践[24]

(1)高校生との人間疎外論争を通して

 上述してきた9人制バレーボールの問題は当時体育同志会が開催していた合宿研究会のバレーボール分科会で討議されていた。この問題を高校生とともに深めていったのが中村敏雄である。以下では中村の追求過程をおいながら当時把握された問題状況を整理しておきたい。

 中村は1960年代初頭[25]の夏季合宿研究会に参加し、その影響を次のように回想している。「九人制バレーボールよりもポジションをローテテイトする六人制バレーボールの方が合理的な考え方を内蔵しており、教材としての価値という観点から考えてもより高い水準にあるということを学びました。若い私にとって、教材のなかに合理主義思想が含まれているということや、教材の価値追求の研究課題があるということなどを知ったことは非常に貴重な経験でした」。そして中村はこの議論ののちに自身が勤務していた東京教育大学付属高等学校の2年生に9人制から6人制の授業に切り替える提案を行う。すると高校生たちは「予想を超える激しい反論」をし、「人間疎外論争を数時間にわたって続ける」ことになった。このとき生徒は次のような感想を示してきた。

 「六人制バレーボールのローティションなんて全く必要がない。人間それぞれに、スポーツの上手、下手のあるのが当然で、勝つためには、上手な者が実力を十二ぶんに発揮できるように、少しでも上手な(人が望む)方向にのばすべきだ。それがつまらなくて授業がいやだったら、休み時間にでもウンと練習して負けないようになるべきだ。…毎回かわっていたのでは、どこでもいいや、という気持ちになって、どこもうまくならないという結果が生じるだろう。分業が大切である。またスポーツの協力精神ということを考えてみても、ローティションは欲の充足であって、協力精神の破棄である。どこのポジションでもチーム全体のことを考えて一生懸命プレーする。これが、スポーツをやる上での基本であると思う。つまり、ローティションは民主的にみえて、本当は、非民主的、かつ非協力的な欲の(勝利への意欲では決してない)充足に過ぎないのである」。

 中村はこの感想に示された中村の合理主義思想への批判的態度や論理が簡単には突き崩せるものではなく、「視点を変えてみれば、たしかにローティションは個人の能力差を無視した、単純な算術平均的平等主義であるようにも思えます」と述べた上で、6人制の授業へと転換するためには「彼の主張の基盤となっている勝利至上主義、能力主義、根性主義的禁欲論、社会分業論などの一つひとつを根底から突き崩していかなければならない」と総括している。

 また次のような感想も現れた。

 「誰もが楽しめる競技の方法を考えるというのはもっともなことであるが、競技がより高度になり、従って能力のあるものしか出来なくなるというのは、進歩の過程における不可避なもので、それを万人が楽しめるものにしようなどというのは、必ず無理が生ずるのではないだろうか。だから、より高度の技術、よりよい記録を作ろうと努力する人には、そのようなチャンスを十分にあたえ、他方、楽しみにやるような人に対しては、能力にかかわらず楽しめるような方法をこうじることが必要であると思う。つまり、運動の目的ということが根本的に違っているからである。楽しむ要素の強い体育の授業などにおいては、中村式の六人ローティションをすることはいいことであるとは思うが、僕にとってみれば、いやいやながらも順番だというので、フォワード・センターなどに連れてこられてやるというのは、大袈裟にいえば、一種の苦痛だというので、それよりかは、バックでも、僕なりに楽しんでいた方がいいと思うのである」。

 この感想に対しても中村は「論理の展開は実に心憎いまでに巧み」であり、「彼を支えている自然淘汰論、現実主義、そして機能主義の匂いまでする論理もまた、そう簡単に打ちまかすことができるものではありません」と総括している。

 

(2)データにもとづく高校生との対話を通して

ポジション

ボールに触れた回数

前衛左

前衛中

14

前衛右

中衛左

中衛中

11

中衛右

後衛左

後衛中

後衛右

 さらに中村はこの問題を触球数調査によるデータをもとにしながら高校生たちと議論を展開していく。中村が触球数調査を実施した背景には丹下との激しい論争があった。中村は丹下らとともに1960年代初頭、バレーボールの「中間項」を仮説的に設定した根本(梅丘中学校)の実践を見学する。このとき授業終了後の合評会にて丹下が「ボールに触れる回数が同じでないのは憲法教育基本法の精神である『教育の機会均等』の原則に反する」と批判したことに対して「本来、バレーボールは『触球数』が同数になるようにという意図をもって考案・実施されたものでなく…非難するのは適当ではない」と反論したのであった[26]。それから数日後に中村は触球数調査を実施し次のような結果をえた(右表)。このとき試合は大接戦となったのにもかかわらず、後衛の3人がボールに触れた回数はわずか7回であり、しかも後衛左はサービスを打つチャンスすらもなく1回もボールに触れていないのである。その本人が次のような感想を書いた。

 「初めのころは、さあいこうぜとか、ネバーマインとかいって皆といっしょにがんばろうとした。ぼくはバレーボールがきらいではないし、意識的にボールを避けようとしたこともない。でもたしかにぼくのところにボールは一度もとんでこなかったのである」。

 翌年中村は高校1年生に結果表と上述の感想文を示し対話を行っている。対話を通して中村は「バレーボールのおもしろさはキルの応酬にあって、しかもラリーが続くことの中にあると生徒は考えていること、およびだれでもキルを打って得点し、チームの勝利に貢献したいと考えていることがわかった」という。しかし現実には上述の感想文がうまれるように「へたの中の代表」のようなものはその欲求や周囲の理解があってもキルを打つポジションには位置づけられないのであり、「こういうことが起こるのは、一体、へたな人間の側に問題があるからと考えるべきなのだろうか、それともスポーツそれ自身の側に人間をそうさせてしまうような条件があるからと考えるべきなのであろうか」と自問している。

 また中村はこのとき高校生に触球数が少ないポジションをどう判断するのか選択式のアンケ

選択肢

回答率

 ルールなのだから、不平を言わずにやるべきである。

6.97%

 そのようなポジションを守る人がいてスポーツが成り立つのだから、進んでやるべきである。

65.50%

 スポーツはみんなのものであるから、ルールを変えてでも、だれでもがたくさんボールに触れられるようにすべきである。

20.54%

 わからない。

6.98%

ート調査を実施している(次頁表)。その結果は「70パーセント以上の生徒が、ルールやポジションに不平を言わず、しっかりやるのがよいと考えており、『ルールを変えてでも』みんなが望んでいるようにするのがよいと考えているのは、わずかに20パーセントしかいない」ものとなった。この数字には「スポーツのルールが永久不変のものではなく、変えることができるものであり、事実、数年という幅の中で変えられているものもある、というルールへの非固定的な考えが定着していないということ」が現れており、自分たちが普段集まった仲間と実施している三角ベースや少人数サッカーなどは「スポーツへの主体的な取り組みだとは思わず、それを非公式とみる考え方」が定着していることを示しているという。

 そして中村は上記の事例には「へたなものというのは、どう考えてもほんとうにへたなのか」ということと「へたなものを後衛に位置づけるような暗黙の了解を生み出すスポーツとは一体何なのか」という2つの問題があると述べている。前者において中村は、低技能の子どもは指導者が「初心者の側に立った学習体系」(人間重視の技術学習の体系)を欠如させたことによって「へたにさせられてきた」と考え、戦術・技術指導の系統性研究を主張していく。後者において中村はスポーツが歴史的社会的にみてもその形態の改変を繰り返すものであることから、疎外要因となっているルールを大衆的で民主的なものに改変していく実践研究や文化研究を主張していく。

 こうして中村はバレーボールの疎外要因を調査結果(データ)や高校生との対話をもとに具体的に把握しようとした。結果として、バレーボールにおける疎外要因を容認あるいは見過ごす背景にある高校生たちの価値観(勝利至上主義や能力主義への共感、自然淘汰論や現実主義的な価値観等)の発見がなされたのである。そして中村は「一たびこのような人間疎外的要因をスポーツが内蔵していると知った以上、これを改善していこうとするのは人間としてきわめて当然のこと」であると考え、のちに運動文化の疎外要因を克服し大衆的・民主的なルールをつくりだす教材(文化)研究と指導方法の解明へと向かうのであった[27]

 

4.瀬畑実践と吉崎実践の比較

 これまで生活体育時代における体育同志会のバレーボール実践研究史をたどってきた。中でも特徴的なのはソースボリュームを開発した直後の瀬畑実践(1958年・中3)と、9人制バレーボールの運動疎外要因の発見や「中間項」の追求をへた吉崎実践(1961年・中1)である(瀬畑、1961;吉崎、1962)。以下ではこの時代における実践的な特徴を明らかにするために両者の共通点と相違点を整理していく。

(1)単元計画(オリエンテーション

 瀬畑と吉崎の単元計画は「全体計画の作成」と「グループ編成」の順序が反対にはなっているものの、生活体育を目標とする自治的な集団活動をベースとして「オリエンテーション→全体計画の作成→グループ編成→グループ計画の作成→グループ練習→試合→評価・反省」と計画されている(右表参考)。

 

(2)学習目標(オリエンテーション

 瀬畑と吉崎はオリエンテーションでバレーボールの歴史やルールを確認した上で、学習目標についての合意を形成しようとする。しかし両者は力点に相違があり、瀬畑はバレーボールを授業で実施する社会的・生活的意味に着目しており、吉崎はバレーボールに内包されている人間疎外の克服に着目させている。

 瀬畑はバレーボールの考案から現在までの歴史的過程を知ることで「日本の社会状態の中でこれからの若い人たちがどう発展させていかなければならないか」を説明し、その改善点として「①国際式バレーボールの発展、技術の向上。②さらに深く生活の中にしみこませること」を強調している。こうして瀬畑はバレーボールをめぐる社会的・生活的意味に着目させ、子どもたちの運動生活にバレーボールを取り入れていくことの意義を理解させていくのである。

 一方吉崎における学習目標は、バレーボールの人間疎外に気づかせそれを解消するルールづくりを通して具体的なものにしていく。吉崎は過去の実践でつくられた和光ルール(サーブ機会均等、15点3セットマッチ、1人最低1回のセット分に出場)のいきさつを解説しながら、意図的にのけものにされそうな子に「ボールの来ないところはあるだろうか」「そのボールのこないところにやられたらどうだ」と発問をなげかけ「首をふっている。ボールのこないところはいやだ」ということをみんなに確認させる。この過程で子どもたちは「だれもが上手になる。楽しくやる。お互いに注意しあってというようなより具体的な目標が出てくる」ようになり、この目標を具体化するルールを考えさせていくのである。さらに中学3年生になると「文化が一般大衆に受け入れられるものでなければ捨てさられるのにも拘らず、一般大衆とは無縁の所でますます発達しつつある。このことは、外側の条件によって一層拡大されつつある」という運動文化の主体者側の要求と社会的要請との矛盾を理解させ、独自ルールにもとづく6人制バレーボールを実施する意義を考えさせていく。こうして吉崎実践においては子どもたちに意図的に発問をなげかけながら運動文化の人間疎外を自覚させ、その克服を課題とする学習活動に合意させていくのである。

 

(3)全体計画・グループ編成(オリエンテーション

 瀬畑と吉崎はその手順に相違はあるものの、単元最後の試合運営を見通した自主的なグループ練習を展開するために、①練習時間と試合時間の配分、②必要な役割分担(審判、道具、記録係等)の確認、③コート数や試合のルールにもとづくグループ人数や編成条件の決定とグループ編成、そしてグループ練習を組織していくために④ソースボリュームの使用方法(計画立案や練習時の参考資料)や、⑤戦術・技術的ポイント、練習の組み立て方、⑥授業の時間配分についての助言が行われている。この指導過程においては教師の助言や発問をうけながらもなるべく子どもたち自身が全員参加で集団的な討議を実施し共通の目的のもとで意志決定をしていくことが重視されている。また目的を共有し目的に準じた(へたな子もうまくなる)練習計画や(能力が均等になる)グループ編成を行わせることを重視している。

 ここで瀬畑と吉崎の特徴的な相違点は3点あげられる。1つめはカリキュラム構想の相違である。瀬畑は生活単元方式のカリキュラムにもとづき校内競技大会(学校レベル)の組織を視野にいれている一方で吉崎は単元終了時のクラスマッチ(学級レベル)の組織にとどまっている。瀬畑はまず上記の大会運営について体育委員会を組織し検討しており、その決定事項を各クラスの体育委員が議長となってホームルームを開催させている。こうして瀬畑は「体育委員会—ホームルーム—グループ」という自治集団を組織する一方で、吉崎は体育委員会を組織しておらず「ホームルーム—リーダー会議—グループ」という自治集団を組織している。

 2つめは戦術・技術学習についての指導内容や方法の相違である。瀬畑は戦術・技術的ポイントや練習の組み立て方について、ソースボリュームを参考資料として基礎技術、応用技術、試合の日程(時間配分)、練習の中心的内容等を解説・討議している。一方で、吉崎においては「パス・ラリー」が強調されていることもあるためか、戦術・技術的ポイントを解説する場面が示されておらず、ソースボリュームは参考資料として提供されているのみである。「パス・ラリー」の学習系統について吉崎は「『1対1→2対2→3対3のパス・ラリー』 → 『ネットをはさんで3対3で続けっこ(オーバータイムス、ドリブル、ホールディング等は採用しない)』 → 『ネットを高くコートをせまくして3対3のいじめっこ』 → 『3対3のいじめっこから6人制のバレーボール』」へと移行させることを提示している。

 3つめはグループ練習の問題解決をめぐる見解の相違である。瀬畑はリーダーを中心としてチームワークを重視しているものの、あらかじめグループ練習における問題解決を民主的な人間形成の契機としては位置づけているわけではない。一方で吉崎は「目標に民主的な集団づくり、民主的な人間関係の育成、協力と抽象的に出されても、ピンとこない」のであり、「『△△君をどうするか』『仕事をしない□□君をどうするか』という具体的な問題で生徒はいろいろのことを学ぶのである」と述べ、積極的に「へたな子をどうするのか」「参加意欲のない子をどうするのか」を問題にしていき「組織づくりの原則」を明確化するのである。瀬畑の時期ではグループ練習で生起する上記の問題がまだ十分に把握できていなかったことが位置づけの弱さに反映されているのではないだろうか。

 

(4)グループ練習の計画立案(オリエンテーション

 瀬畑と吉崎はグループ練習の計画立案においては①教師の説明やソースボリュームの解説、他グループによる計画の丸写しではなく自分たちで練習内容を工夫しつくりあげていくこと、②リーダーまかせにせずに全員がかかわって作成することを重要視する。教師は計画時や練習前には計画内容をリーダー以外の人に意識的に質問をなげかけている。また計画は、グループ練習の全体計画と1時間毎の練習計画を配布されたノートや計画表(グループノート)に記入させていく。計画立案については教科の時間だけではなく放課後や自由時間にもグループ全員で集合し立案をさせていく。このときも全員が集まる機会をつくるよう強調しソースボリュームを参照しながら全体計画のねらいにそった練習計画を考えさせている。計画表には各時間のねらい、練習の内容や要点、係の分担、時間配分、活動記録、反省等を記入するようになっている(下表)。教師は計画について1時間のねらいや要点が適切か、系統的な計画が立てられているか、練習内容の時間配分は適切かどうかをチェックし、助言や発問を通して修正させていく。またグループ練習だけの計画だけではなく試合にでる順番や役割分担なども計画させチェックをする。瀬畑によると「すべての活動には計画が必要であり、見通しが必要であるということから」、「この計画がなければ、どんなことがあっても私は練習を中止にさせる」という。


 上述のように瀬畑と吉崎によるグループ練習の計画立案についての指導はほぼ共通している。相違点は吉崎が「この単元学習で、リーダー会議を欠かせば、つまり事前の指導がなされない場合は放任の授業となるといってよい」と述べ毎週のリーダー会議を重視すること、また瀬畑が必要な知識を助言する指導スタイルとなっている一方で吉崎は発問によって気づかせることを重視する指導スタイルとなっていること、計画内容の系統性については瀬畑が要素的技術から応用的技術へと発展させる一方で、吉崎はパス・ラリーの系統的発展が強調されていることである。

 なお、生活体育における技術指導の問題をのりこえるためにソースボリュームを使用してグループ学習と系統的な技術指導の統一がめざされていったのであるが、この課題を達成することはできいままとなった。森(2013[28])は瀬畑の実践について「系統的な技術指導といっても生徒の実態に即して個別技術の要点を明らかにしようとする程度であり、三段戦法につながるコンビネーションの重要性は理解していても、それを中核とする技術の教授学的な系統の研究・解明は今後に待たなければならなかった」と分析している。吉崎も「技術の目標があっても、内容はなかった」と述べ、「運動力学・生理学・解剖学・心理学などの成果をいかに現場にもちこみ、指導の客観化をはかるということ」を課題としてあげている。

 

(5)グループでの自主練習

 瀬畑と吉崎はグループ練習の授業進行は類似している。まず①授業前にリーダーを通して練習計画をチェック・助言しておく。授業では②道具係や準備係がコートやボールの準備をし、準備が整うと③リーダーを中心に計画表をもとに本時の内容を確認し、教師から一言をもらう。そして④各グループで自主練習を開始する。⑤練習終了時にはグループで反省事項を確認し、計画表に記入した反省を教師にチェックしてもらう。

 グループ練習中の指導としては授業時間内に各グループを巡回し、戦術・技術的なつまづきがみられた場合は直接的に教師がポイント指導をしたり、問題を発見させるために記録をとらせたり、ソースボリュームを活用して自分たちで改善できるようにうながしたりしている。また瀬畑も吉崎も戦術・技術学習とグループ練習の協同性や人間関係をめぐる実態把握につとめながら指導している。上記のようにここでの指導も大筋共通している。以下にもう少し両者の指導の特徴をあげておきたい。

 瀬畑は、グループ練習においては「まずチームワークを作ることがたいせつ」であり、「1人のリーダーを中心として単元の最後に大きな期待を持ったグループを作らなければならない」と述べる。そして教師は第1回のグループ練習で実態をはっきりとつかみ、「そのグループが今どんな問題にぶつかっているか、どう解決しているかを私たちは鋭く観察し、適切な判断と助言を与えてやらなければならない」と述べている。瀬畑は実態観察として次の視点を提示している。①グループ全体の雰囲気の把握。②リーダーの観察、分析とその指導。③グループ内の問題児の行動把握と個人指導。④グループ内の技術のへたな者の位置づけと、その観察助言。⑤話し合いと批判の場の持ち方、その助言。⑥男子と女子の共同学習の雰囲気の観察。

 吉崎は、学級・グループ・個別を対象とした指導を行う。特徴的なものとしては学級への指導があげられ、吉崎は学級全体に共通課題の指摘や各グループの練習計画・問題・問題解決方法の交流をしている。たとえば「技術的に遅れている子、仲間と一緒に練習しない子などの名前をあげ、このような問題についてグループでは、またリーダーはこんな解決の仕方を考えているといったことをみんなにしらせてやる。団結・批判・団結といわないまでもよそのグループで起こっていることをすべての子どもに知らせてやる」のである。吉崎はグループ練習の基本的な指導を次の4つに整理している。①技術的なつまづきには一方的に指導するのではなく「何が一番困っているのか」をきく、②資料集を提示したり仲間の指摘あるいは記録などによって問題点が客観的につかまえられるようにする、③グループで学習する時の原則(なぜ教え合いが必要か、低技能の子どもの発言は無視されていないか、低意欲の子をどうするか)を常に明らかにしておく、④生活指導と教科指導の統一。④については瀬畑も実践後の反省にて、放課後の練習を熱心にやっている学級が勝利していったために「ホーム・ルーム担任と、このような行事や生活指導の手の入れ方との関連を考えないわけにはいかなかった」と生活指導と教科指導の統一を課題としてあげている。

 また瀬畑も吉崎も審判は判定の習熟が必要であるため、練習試合から設定させるように配慮している。瀬畑は審判の判定でけんかやいがみ合いが多々生ずることを問題視し、審判技術の系統的な指導を強調している。また「そのようなプロセスを経てみなければ、かれらはかれらなりのスポーツマンシップを、ほんとうに理解できないと思う。印象に残るような大きな問題であればあるほど、生徒はそれを身につけることができるし、繰り返すことはなくなると思う」とも述べている。

 

(6)校内競技大会・試合の運営

 瀬畑も吉崎も役割分担された仕事を各自が正確に達成することを重視している。相違点としては瀬畑は校内球技大会を開催するため中心的な運営を担う体育委員会への指導を重視し、吉崎はクラスマッチを開催するため各グループへの指導を重視している。

 瀬畑は「校内大会は生徒に運営させる」ために「かれら自身が校内大会の運営のすべてをきめるような指導方法を取っている」とのべる。そのための組織づくりを重視し次のような指導の要点をおさえている。

<組織について>

①体育委員を各クラスから男女1名ずつ選んで委員会を作り、委員長をきめさせる。ここで教師の原案を検討させ、討議させる。

②委員は各クラスの意見をまとめ、ホーム・ルームで討議させる。それを委員会に反映させる。

③各ホーム・ルームは単元ごとにグループを作り、委員会できめられた線に沿って活動する。リーダーをきめ、委員との連絡をしっかり取らせる。

④体育委員会は、体育担当の教師が指導助言する。

<運営について(体育委員会)>

①単元の日程をきめる(練習日程、コートの割当)。

②グループの作り方をきめる(等質・異質)。

③係の分担、仕事の内容をきめる(総務、準備、審判、記録係)

④組合せをきめる(リーグ、トーナメント)

⑤採点法、表彰法をきめる(総合優勝のみ)。

⑥ルール、出場規定などをきめる(11点先取制、全員出場など)。

 試合の指導について吉崎は大きく次の3つの視点を提示している。吉崎の特徴としてはオリエンテーションで確認された目標(疎外の克服)を再意識化させていることや戦術・技術指導も試合の指導として位置づけられていることである。

 1つめは試合運営の準備についてである。全体としては試合開始時間、コート使用割り当て、応援の時のルールなどを確認したのちに、①技術発表としての指導内容として、事前のリーダー会議にて、「各チームで攻撃・防御に関する特色のある作戦が立てられているか」「はじめにきめられた“出場に関するルール”が守られているか」を確認する。また、②運営に関する指導内容として、各係の仕事、審判、記録、用具は当日の準備ができているか、ルールのプリンティングの配布、審判およびラインズマンの決定、スコアブック、得点板、組み合わせ表、ボールの点検、ネット張り、ライン引きなどの分担がきめられているかどうかをみる。また試合開始前にグループを巡回し、記録や試合待ち時間での対戦相手の分析などを発問によって助言している。

 2つめはグループ全員がたのしくやるために何を工夫しているのかを確認することである。ここで重要なのは「出来あがったキマリに対して全員が納得していること。そして上手な者も、うまくない者も平等に出場出来て勝利を得る方法を考えだすこと」を確認することである。これは「『勝つ』という目的のために手段が合法化されるということに対決する教師の倫理みたいなもの」である。

 3つめは、「技術だけによる評定の矛盾に対決する」ものであり、「割当てられた仕事を忠実に全うしても勝敗に関係はないからとりたてていうこともない、という価値観に対する新しい価値観の確立」をめざす。つまり「自己の仕事にいかに忠実であったかというきびしさ」を示して「みんなが喜んで試合をやってくれるという期待」のもとに仕事を追求させ、「変革の意識」を育んでいく。

 

(7)評価・反省

 瀬畑と吉崎は共通して計画表の反省や試合結果を参考にしながら反省をさせていく。しかし瀬畑はグループの反省に閉じている一方で吉崎は学級全体の決定に対する反省をさせている。

 瀬畑は反省の時間をとることが困難なため、時間がかかるスキルテストをやめ、「校内大会を最大の発表の機会として与え、反省は紙に書かせるか、次の単元の始まる時にその目標を決めるための資料として、生徒達に出させるかの方法」や「グループ毎に計画表の反省やスコアーをもとにして、自由時に反省を行わせ、後に計画表と一緒に提出させている」といった方法をとっている。

 吉崎は反省会では「オリエンテーション、全体計画のたて方、ルールづくりなど、実際に活動に入る前の学習内容と方法についての検討が十分なされることが大せつだと考える」と述べている。また評定をペーパーテスト、スキルテスト、計画表、自己および相互評価、教師の観察・出席時数から判断していくことをあげている。

 以上、瀬畑と吉崎の実践を比較し、それぞれの共通点と相違点を整理すると次頁の表のようになる。

表.瀬畑四郎(1961)と吉崎高弘(1962)による実践の特徴の比較

共通の基本的特徴

瀬畑実践(1958年実施)の特徴

吉崎実践(1961年実施)の特徴

<実践の目標>

 生活体育が目標とする子どもの運動生活の組織と民主的な人間形成。その学習過程は「オリエンテーション→グループ練習→大会の運営」となっている。

生活単元方式の体育カリキュラムで自治的なグループ練習と校内競技大会の組織・運営。

オリエンテーションにてバレーボールを体育授業で学習する社会的・生活的意味を理解させる。

教科単元方式の体育カリキュラムで自治的なグループ練習とクラスマッチの組織・運営。

オリエンテーションにて運動文化(バレーボール)の矛盾的把握と変革の必要性を理解させる。

<教材>

 大会・ゲームのルールは子どもたちが体育委員会やホームルームで討議・意志決定していく。

○既存の9人制バレーボールのルールを適用。運営方式は体育委員会で決定する。11点試合や1セット交代など運営上のルール変更はある。

オリエンテーションにて対話をもとに学級の子どもたちに9人制バレーボールの疎外要因を自覚させ、独自ルールにもとづく6人制バレーボールをつくる

<自治集団活動の指導>

 集団的な討議・意志決定を組織する。大会計画やソースボリュームを使用した練習計画の立案(放課後・自由時も)。役割(係)分担の徹底。計画への発問や計画表(グループノート)への書き込み、リーダー指導を重視。

体育委員会(学校集団)—ホームルーム(学級集団)—グループ(小集団)での討議。

○グループ練習の人間関係の問題はチームワークとして重要視するも、学習内容として想定されてはいない

○ホームルーム(学級集団)—リーダー会議—グループ(小集団)での討議。

グループ練習の問題解決(へたな子や低意欲の子への対応)による民主的な人間形成。見本となるグループの問題解決方法を学級全体に紹介する。

<戦術・技術練習の指導>

 グループ練習を巡回し個別・グループ指導。ソースボリュームを活用して習熟ポイントや練習法を修正させる。

オリエンテーションの時間にソースボリュームで技術と練習方法のポイントを指導し、練習計画の参考にさせる。

オリエンテーションの時間にパス・ラリーを強調するとともに、ソースボリュームを参考に練習計画を立てさせる

 

<大会・試合運営>

 練習試合からソースボリュームを使用して審判方法を指導。役割分担の組織(試合前:道具係・準備係、試合中:審判・線審・スコアラー、記録等)。

体育委員会を中心とする運営体制づくり

○審判方法の系統的指導が必要。○けんかやいがいみ合いを通して次第にスポーツマンシップやフェアプレーを学ぶ。

○技術発表としての指導。

オリエンテーションで確認したことの再確認

技術だけの評定に対する対決(係活動の意義)

<評価・反省>

 練習計画表に記入した毎時の反省や大会結果をもとに活動を評価・反省する。

○スキルテストは時間の関係で実施しない。

オリエンテーションからグループ活動までの学習過程をふりかえらせる

○スキルテストの実施。

 

5.本稿のまとめ

 体育同志会における生活体育時代のバレーボール実践研究史は瀬畑実践に代表されるように、生活単元方式の体育カリキュラムにもとづく、ソースボリュームを使用した9人制バレーボール実践の追求に始まる。その後、実践を通してつきあたった「運動疎外の克服」が課題とされるとともに、運動文化の本質を見失わず子どもの喜びを高める「中間項」教材の追求がなされていく。そしてその成果をうけて吉崎実践に代表されるように、疎外要因を解消する独自ルールとパスゲームやパス・ラリーゲームから始まる指導系統による6人制のバレーボール実践が展開されていった。いずれにおいても丹下らが主張した生活体育の主張を反映しており、ソースボリュームを使用した自治的な集団学習が組織されている[29]。一方で、1958年に実施された瀬畑実践と比較すると1961年の吉崎実践においては生活体育の後退がみられるとともに[30]、運動文化の疎外要因を自覚した新たな実践課題を追求するようになっていった。

 こうして生活体育時代においては前期に「グループ学習と校内競技大会の自主運営・組織」が実践課題となり、後期においては生活単元方式が後退する一方で、「運動文化の疎外要因を解消するルールづくりにはじまる、グループ学習とクラスマッチの自主運営・組織」が実践課題となっていることがわかる。児童中心主義にたち子どもの生活実態にねざそうとした生活体育は、子どもに寄り添ったがゆえに子どもが享受する運動文化の側の問題にぶつかったのである。

 以上、本稿では生活体育時代における体育同志会のバレーボール実践研究史を理論的かつ実践的な動向として整理してきた。その結果生活体育時代においては上記に示された大きく2つの特徴的な理論・実践群を把握することができた。しかし本稿では研究史実をたどっていく性格がつよくなってしまった。たとえば吉崎を代表とする理論的・実践的な動向は生活体育論から運動文化論へと体育科教育の目標論をめぐる理論的支柱が発展していく移行期であり、本稿においてはこうした理論的展開とバレーボール教材の実践研究史の関連性が十分に分析されてはいない。また戦術・技術指導の水準を詳細に分析することはできなかった。今後の課題としたい。

 

6.生活体育時代におけるバレーボール実践の成果から示唆される課題

(1)運動文化の組織領域をめぐる学習内容の明確化

 体育科教育が運動文化の主体者形成を目標とするとき、地域・社会生活におけるスポーツ活動を自分たちで組織・運営していく必要があるため、運動文化の組織領域をめぐる学習内容の解明が課題となってくる。生活体育時代においては学校内に体育的生活を組織することで子どもたちの運動文化の組織的力量をつけるとともに民主的人間形成をめざしていった。この実践群においては「体育委員会(学校集団)—ホームルーム(学級集団)—各グループ(小集団)での意思決定」が手続き化されており、各集団において討議されるべき内容(大会ルールの決定・全体計画や練習計画の立案方法・役割分担の仕方やグループづくりの原則・グループ練習における問題解決等)やその指導方法を把握することができる。したがってこの成果をふまえ、①運動文化の組織領域としてどのような学習目標を想定するのかを検討した上で、②教科学習において組織領域の学習をどこまで要求していくのか、③教科と教科外を統一させた実践においてどのような組織領域の学習内容を用意するべきなのかということを、明確にしていく必要があるだろう。

 また生活体育時代においては子どもたちの社会生活における運動文化実践を視野にいれていることから、現代においても組織領域の学習内容を選定するためには次の2つの課題にせまる必要があるだろう。1つは現代の地域社会においてスポーツ活動を組織・運営していくためにはどのような行政上の手続き・条件や課題が生起しているのかを理解した上で、学校体育で学ばせるべき中身を選定していくことである。もう1つは、バレーボールにおける疎外要因を自覚した今、疎外要因を解消するためには、バレーボール教材における組織領域の学習内容にどのような独自性が想定されるのかを解明していくことである。生活体育時代の後期において明らかにされたのは、学校を卒業したのちの子どもたちの運動生活を豊かにするためには運動文化に内在する疎外要因を自覚的に解消していく自治的な集団活動が必要であるということであった。この課題を達成するためには実際の(地域・社会生活における)スポーツ活動の組織・運営方法の学習とともにバレーボール独自の学習内容(戦術・組織・文化)を解明していかなければならないのである。

 

(2)運動文化の疎外要因とそれらと結合する価値観の発見

 瀬畑・吉崎実践にて9人制バレーボールにおけるポジションの固定化が問題とされたとき、体育同志会は運動文化に疎外要因があることを自覚していく。同時に中村は高校生との対話の中で「疎外」が発生し容認される背景には子どもたちのスポーツをめぐる価値観(能力観、評価観、スポーツ観)が根強く存在していることを発見していく。つまり中村の言葉をかりれば、教育的価値を追求する体育科教育においては、教材となる運動文化の疎外要因とそれを許容する価値観との「闘争」が迫られるのであり、教材の教授学的改変と指導方法の両面を統一的に追求しなければならないのである。そしてその実践過程の1つの姿として描き出されるのは、「へたな子でも得点がとれる(みんながスパイクやシュートやタッチダウンを決められる)」という経験によって可変的な能力観を育むことであり、その結果機能分担を特徴とするスポーツにおいても「へたな子はボールがこないポジションに」という疎外状況をつくりださない子どもを育てることになる、というものである。そのためには誰もが運動文化の本質的なおもしろさである「得点をめぐるプレイや場面」を体験する機会均等(ルール)の保障と、そこでの活躍(得点)を保障するための発達段階に応じた教材や指導過程の工夫が必要となるのである。仮に機会均等が保障されても「へたな子がタッチダウンできない」(またはその可能性がまったく見えない)ときにはあきらめの気持ち(固定的な能力観)をうみ、事実でもって機能「主義」的な思想を育む場合も想定されるからである。さらに、スポーツ活動においては低技能の子への特別ルールを設定してプレイの質を保障しつつも「ともにたのしみ競い合う」ことが可能であることから、今後どのようなスポーツ観を形成していくのかを見通して実践研究を蓄積していく必要があるだろう。

 また中村がもう1つ実践過程の姿として描き出しているのは、固定的ルール観の変革である。これには2つの場面が想定される。1つは協会ルールにもとづくチームを組織・運営する場面で、大きな大会のための練習をする際にも、みんなが楽しめるルールを保障していくことであり、みんなが楽しめる戦術を構成することである。もう1つは地域スポーツとして発展させる場面で、自分たちだけの場合もあれば、老若男女がたのしめるようにルールや環境(道具・施設等)を工夫していく場合もある。創造する運動文化の目標像(場面)の差異がルール改変のポイントの変化としてあらわれるのであり、この点を体育授業でどう学ばせていくのかも考えていく必要があると思われる。

 こうして「運動文化の疎外要因の発見」と「疎外を許容・当然視する価値観の発見」は今後のバレーボールをめぐる教材研究と教授—学習過程の研究において重要な研究成果であり、今後の研究課題を示唆するものとなっている。この課題は体育科教育において普遍的なテーマであり、特に後者においてその時代における社会(生活)状況を考慮した分析が必要であり、どのように疎外要因と結びついていくのかは常に問われ続けていかなければならないものであろう。

 

[1] 時期区分の根拠は1963年夏頃から体育同志会では荒木豊の理論を中心とするバレーボールの戦術・技術指導の系統性研究が展開され、実践の様相が大きく変化することにある。

[2] この時期の「グループ学習」概念については多様な意味が含まれており次の2点を確認しておきたい。1つは丹下が「グループ」を「学校集団—学級集団—小集団」の広義の意味で把握していることである。もう1つは丹下が「グループ学習を基本として系統学習をその中に統一しようという試み」を「グループで自主的協力的に運動技術を系統的に学習させようというもの」と述べるように、「グループ学習」に「自主的協力的な学習」=「自治」の意味を付与していることである。したがって、生活体育における「グループ学習」概念は「グループ(学校・学級・小集団)での自主的協力的な自治活動」という広義の意味で把握される。以下では「グループ」を「小集団」の意味として使用し、「グループ学習(練習)の自主運営」「グループでの自主的な練習」といった表現を意識的に使用していく。参考:窪田恭子記録(1960)質疑(丹下オリエンティション).体育グループ、11号(復刻版『運動文化論』参照).丹下保夫編(1962)中学校体育指導細案.明治図書

[3] 学校体育研究同志会(1989)国民運動文化の創造.大修館書店

[4] 高津勝(2004)生活体育論から運動文化論へ.学校体育研究同志会編 体育実践とヒューマニズム、創文企画.

[5] 瀬畑四郎(1958)はしがき.体育グループ、6号(復刻版『運動文化論』参照).

[6] 瀬畑四郎・荒仁(1960)学校体育実技シリーズ バレーボール.丹下保夫監修、柴田図書.

[7] 荒仁(1957)全体討議会記録.体育グループ、3号(復刻版『運動文化論』参照).

[8] 瀬畑四郎(1961)バレーボール.丹下保夫編 グループ学習による体育技術指導—中学・高校—、柴田書店

[9] 吉崎高弘(1960)実践記録をなぜ書くか.体育の科学、8月号

[10] 年代は次の文献を参考にした。吉崎高弘(1984)「泣いたオモちゃん」の話.たのしい体育・スポーツ、秋.

[11] 奥村道子(1960)バレーボールにおける技術指導.丹下保夫編 中学体育の技術指導、明治図書

[12] 梅根悟・丹下保夫・丸山健二佐藤英一郎(1960)単元・送別レクリエーション ソフトボールとドッヂボール.生活教育、12巻5月号.

[13] 「中間項」をめぐる解釈は多様である。森は梅根が使用した「中間項」概念には①カリキュラムレベルの考え方として生活実践と科学や技術の基礎の中間に位置する(両者を媒介する)「問題解決過程」に関わって、②体育指導における教材や技術練習の中軸となる内容や系統として、③本格的な試合とは異なる子どもに固有の生活文化(スポーツ・遊び)の一形態としての意味が付与されており、この時期の体育同志会では②の視点から構造転換していくことに焦点化していったと述べている。森敏生(2014)生活体育論の実践研究—その実像と現代的意味を問う(その1).たのしい体育・スポーツ、3月号.

[14] 丹下保夫・川口智久(1960)子どもの喜びを高める体育科の創造.生活教育、12巻12月号増刊.

[15] ただし、この頃毎週金曜日に研究会を開催しており、丹下は研究会にて根本に「考えて貰った」と記述している。根本の発案ではあるけれど、丹下の依頼をうけたものであり集団的検討をふまえたものであることを指摘しておく。丹下保夫(1960)スポーツの秋によせて.生活教育、12巻9号.

[16] 川口智久(1960)夏季研究会の問題とその成果.体育の科学、10巻10号.

[17] 吉崎の次の記述は「中間項」の発想からパスラリーゲームをとられる様子を読み取ることができる。「中学1年2年では、サーブやスパイクより、パスがつづくことに興味をもっている。休み時間ともなれば、鉄棒をはさんでラリーをつづけることに夢中になるし、鉄棒がいっぱいだと、ボロナワをはってやっている。つまり、本当は、バレーボールを深くやった人の感じるおもしろみと、初心者のおもしろみとではちがうのだ。ということである。…このラリーを分析してみれば、バレーボールの本質であると考えられるパスの要素を多分にもっている…このラリー・ゲームを学習の中核にすえて、バレーボールの指導が可能となる」。当時、根本も吉崎も「子どもの喜び」を発達段階を考慮して想定しようとしていたためにパスラリーゲームは中学校1(・2)年生に適したものと考えられていた。

 吉崎高広(1961)子どもが喜んで参加する球技学習.生活教育、13巻3号.

[18] 学校体育研究同志会(1960)<球技分科会>、全体会議記録.体育グループ12号.

[19] 荒木豊・丹下保夫・松本昌三・大森新一・吉崎高弘・瀬畑四郎・高山博・鈴木善雄・窪田恭子(1961)バレーボールにおける技術指導の問題点.体育学研究6巻1号.

[20] 吉崎高弘・丹下保夫・鈴木善雄・窪田恭子・高山博・荒木豊・大森新一・瀬畑四郎・松本昌三(1961)バレーボールにおける技術指導の実験的研究.体育学研究6巻1号.

[21] 丹下保夫(1960)スポーツの秋によせて.生活教育、12巻9号.丹下保夫・川口智久(1960)子どもの喜びを高める体育科の創造.生活教育、12巻12月号増刊.丹下保夫(1963)体育技術と運動文化.大修館書店(1983年再版).

[22] 吉崎高広(1961)子どもが喜んで参加する球技学習.生活教育、13巻3月号.

[23] 吉崎高広(1962)バレーボール(中学1年生・中学2年生・中学3年生).丹下保夫編 中学校体育指導細案、明治図書

[24] 本節では次の文献を参考にしている。中村敏雄(1968)近代スポーツ批判.三省堂.中村敏雄(1983)体育実践の見かた・考えかた−評価・評定問題を核にして−.大修館書店.中村敏雄(1989)メンバーチェンジの思想—ルールはなぜ変わるか—.平凡社.中村敏雄(1993)体育実践における数字.中村敏雄編 スポーツ文化論シリーズ② スポーツのルール・技術・記録、創文企画.森敏生(2014)生活体育論の実践研究—その実像と現代的意味を問う(その2).たのしい体育・スポーツ、4月号.

 当時の中村の実践研究は実践記録という形では保存されておらず上記の中村の著書の中で部分的に回想されている。したがってここに示す中村の分析は当時の中村の正確な解釈かどうかは判断することはできないことに注意しておきたい。

[25] 中村の教え子であり同僚でもあった二谷貞夫によると中村は「1961年には、体育の授業で六人制バレーボールを指導しはじめていた」そうである。1960年8月の夏季研究集会では中村の発言が討議記録として残されており、また根本の提案をうけてバレーボールの問題を議論していることから、中村が回想する時期や内容と一致する点が多い。そのため1960年代初頭とは1960年8月の夏季研究集会のことである可能性が高いのではないだろうか。もしそうであるならばバレーボールの「中間項」教材をめぐる議論が中村の今後の体育教育論に影響を与えたとして興味深いことである。

 二谷貞夫(2009)恩師・中村敏雄先生—9人制バレーボールの師匠.友添秀則編 中村敏雄著作集別巻中村敏雄の人と仕事.創文企画.学校体育研究同志会(1960)<球技分科会>、全体会議記録.体育グループ12号.※尚、2015年3月29日(日曜日)に開催された第5回中村敏雄シンポジウム(NPO法人体育とスポーツの図書館主催)にて、二谷は当時大学4年生であり、バレーボール部で指導をうけた中村に附属高校まで会いにいき対話の中で上記の説明をうけたことを発言している。

[26] 中村はその後「スポーツの論理」と「教育の論理」を区別できていなかったことを反省する。のちに中村は後述するように「教育の論理」の視点からバレーボールにおける人間疎外を克服していかなければならないと主張するようになる。丹下との論争は中村の「体育教育論」が展開される契機であるといってもよいだろう。また中村自身も回想するように「丹下氏による以上のような問題提起から生まれ活用されるようになった『触球数調査』は、その後『心電図』『パス相手図』などの発見を促し、ボールゲームにおける一人ひとりのプレーを数字や記号に置き換えることを可能にし、それまでは主観的に行われていた練習や試合に関する評価や反省を、数字をもとに客観的に、しかもそれを教師だけでなく子どもたち自身によっても行えるということを定着・前進させた」のであった。中村も「バレーボールにおける『ラリー数』『攻撃回数』等の調査から技術学習の到達目標を数字によって示せることに気づいた」のである。こうして運動文化の疎外状況を解明するために実施された調査がのちの体育実践に強い影響を与えていったことがうかがえ、9人制バレーボールの問題の解明が体育同志会による研究の発展においていくつかの重要な契機であったことがわかる。

[27] その後の中村のバレーボール教材の実践研究史については次の文献が詳細である。

石田智巳(2014)中村敏雄の4回制バレーボールの実践.たのしい体育・スポーツ、1・2月合併号.

[28] 森敏生(2013)グループ学習による体育技術指導—瀬畑四郎のバレーボール実践.たのしい体育・スポーツ、11月号.

[29] ちなみに和光学園においては『体育学習資料集』(1977年改訂版)が使用されており、内容は「Ⅰ体育学習のねらい」「Ⅱ学習の進めかた」「Ⅲ体育学習の年間プラン」「Ⅳ教材ごとの練習のしかたと要点(10教材)」となっており、総合版のソースボリュームとしてうけつがれている。バレーボールの部分は32~39ページとなっており、「和光ルール(主なもの)」の紹介からはじまっている。

[30] この背景には1958年の学習指導要領改訂によって生活体育の転換をせまられたことも強く影響していると考えられる。丹下保夫(1964)体育科教育論争(中).現代教育科学、第74号.

 

ん〜〜みかえしてみると考察が雑。そして瀬畑・吉崎実践もやっつけしごとのようで考察が不十分となっている。もしこれを土台にしてどこかにのせる場合は修正したい。

 

組織領域の学習がどう主体者形成にいきるのか、もうすこしかんがえていきたい。