TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

運動会で走ること

先ほどちょっと実践記録をよんで感想をちょうだい!とメールがきたので、返信をしました。

 

 

で、それは陸上運動(リボン走)の実践記録だったのですが、なるほどなぁ〜と気づいた点もたたあって、おもしろかったです。

 

リボン走は背中にリボンをつけて走ることで、リボンを浮き上がらせたい欲求をひきだし、自然と全力走体験ができるというものです。またリボンの長さによって浮きあがるスピードが変化するため、より長い(色違いの)リボンを浮き上がらせようと夢中になり興味が持続します。スピードが可視化することで相互観察もしやすくなっています。現在のところ教材研究の課題はどんな戦術・技術認識(わかる)をひきだすのかを明確にすることですね。

 

実践報告が近々あるので内容はそれをきいてからにして、1点だけ、メモしておきたいとおもいます。

 

実践者は運動会後の「もっとはやく走れるようになりたい」「みんなが応援してくれたから頑張れた」という感想をよんで今だ!と陸上実践にとりくまれていました。

 

 運動会後の子どもの感想をすくいあげて、体育授業を子どもの生活実践の場にしたてあげたことは子どもにとって意味のある授業をつくる上で重要な働きかけだなぁと思いました。

 

で、気になったのは「運動会」で子どもが感じた「もっと速く走れるようになりたい」というのはどんな意味があるんだろうということです。

 

運動会の基本は「表現の場」です。運動会では自分の力をだしきった(表現できた)気持ちよさが味わえても、走る気持ちよさを味わえることは意識的でないと難しいでしょう。表現性とセットになるとより気持ち良さが高まるには高まりますが、やはり意識的でないとむずかしい印象をうけます。

 

なら、その感想は非日常的な世界で夢中になって一緒に競走(共走)し合うふかみを味わった体験からうまれた感想なのだろうか。

 

それよりも能力差を露呈(表現)したと感じてしまい「はずかしくないように勝ちたい」という競争心が芽生え、子どもを苦しめるものになっていないのかなとおもったのです。

 

なので、実践の影のねらいとして、①走ることは気持ちがいいんだなぁ!(表現と内容の区別)という実感を味わったり、②「わかれば、はやくなる」「勝つためにはコツがいる」ことに気づかせ、「勝ちたい」を「うまく走れるようになりたい」「記録を向上させたい」という欲求への質的転換をせまったりすることが欠かせないのではないかなと思いました。「勝ちたい」といっても「勝ち方」(意図・願い)がともなってはじめてゆたかな「勝ち」(勝ちだけじゃない勝ち、内容のある勝ち)になるのだとおもいます。

 

今回は子どもたちの感想からは「色々な走り方やスピードを変えるととても楽しかった」とか「遠くのほうを目指して走るといいかなと思いました」や「まっすぐ走ると速くなりました!」や「○○さんがまがっていたので教えてあげたらまっすぐ走れていた」という声がみられ、もし運動会で「 まけたらはずかしい競走」を感じていたのなら、そのイメージをある程度は払拭させられたのかもとおもったりもしました。

 

運動会で走る」ことが「走る」すべてではないこと、「走る」ことのたのしさや記録を向上させるおもしろさがあって、互いの能力を尊重した競争のゆたかさがうまれてくるのかもなんておもったりもしました。

 

「運動会」の表現性は競争への「評価」(鑑賞)を必然化します。

 

そのことは「勝利することがよいことだ」という一面的な価値観「のみ」と結実したとき、人間疎外をもたらすことになるのでしょう。

 

※これは中村さんのバレーボール実践からきづかせてもらった視点。

 

なので、体育の授業で「表現としての走運動・走競技」だけではなく、「走運動そのもののゆたかさ」をたっぷりと味わわせていかなければ、子どもたちにゆたかな競争文化、戦術・技術(卓越性)追求の文化を獲得させられないのではないだろうか。

 

 

「運動会で走ること」でうまれた上述の感想にはどんな意味がふくまれているのか、もうすこし知りたいなとおもいました。

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