TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

ソースボリューム、中間項、リードアップゲームについて、メモ

ちょっとソースボリュームについて調べたことメモ

 

 

瀬畑さんの回想。

 

瀬畑さんは1956年に丹下さんにさそわれて参加した合宿で「内容がさっぱりわからなかった」けれど、「重要な体育学について話し合っているのだということだけは、強く感じられた」。そして「それは今の日本の体育についての一つの方向をはっきり示していることであり、私に生きる目標を与えてくれた」とふりかえっている。

 

その後夏休みをあけて瀬畑さんは「ガムシャラにグループ学習の実践を始めた」。

 

おそらく合宿での内容が民主的な人間形成とグループ学習との関係だったのであろう。

 

で、毎週金曜日に川口さんや根本さんらと夜にあつまり、読書研究会をもつ。

 

ここで最初にとりあげたテキストがGroup Process in Physical Education.であったそうだ。(ちょっと調べたがでてこない。この資料はいずれ探して読んでみたいと思う)。

 

瀬畑さんは「ここで得た知識や討議の結果を、私は抵抗とも感ぜずに、そのまま私の実践にぶつけて行った」のであった。

 

で、「やがて若者達の金曜日の集まりに出てきた人全部のものとなり、激烈な討論が丹下先生を囲んで行われた。やがてそれが発展し32年久留米で開かれた体育学会に一つのせいかにまとめられた」そうである。

 

そしてその内容は、「グループという形態ばかりでなく、内容のある学習を進めるために、学習資料集つまりソース・ボリュームの考えが出された。最初は全く苦労してバスケットのソースボリュームを堀越高校の伊東利明先生が中心になって作ってくれた」そうだ。

 

最初に作成されたソースボリュームは伊東さんのバスケットボールのものだ。

 

たしかにバレーボールは1957年12月のワークショップでバスケットボールを参考に作成されている。こういう経緯があったのか。つまり、最初のソースボリュームは1956年夏から1957年の12月の間で作成されていることになる。

 

で、学会発表ということで体育学研究にデータがあるかと調べたら、あった。

 

浦和市小中学校に関する体育学的研究(第5報) : (1) 特にグループ学習におけるリーダー及び学習資料の学習効果に及ぼす影響 体育學研究 3(1), 138, 1958-06

http://ci.nii.ac.jp/els/110001934944.pdf?id=ART0002347584&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1427348861&cp=

 

ここでは瀬畑さんや根本さんを含む6校を実験校としてバスケットボール教材で学習資料を利用したリーダー指導の実験的実践を実施している。結論的にはリーダーに選出する人物の特性をみきわめるのが困難であることがしめされている。

 

おそらくこのリーダーへの着目は前述した英語の本に影響されているのではないだろうか。とうたがってみる。

 

で、瀬畑さんは1957年の夏のワークショップでバスケットボールとバレーボール(女子)の生活単元カリキュラムを作成し丹下さんたちと議論している。このときの議論はオリエンテーションの重要性をめぐるものであった。ひょっとしたらこのときにバレーボールのソースボリュームの構想があったかもしれない。 

で、1957年12月に各教材のソースボリュームを作成している(瀬畑さんはハンドボール)。おそらく各教材のベースとなっているのは毎週金曜日の夜にあつまっていた人たちであろう。その後1958年の6月までにバスケットボールのソースボリュームを6名で実験的実践をしている。瀬畑さんは1958年の10月にはバレーボールの本格的なソースボリューム実践をしている。

 

瀬畑さんはハンドボールのソースボリュームの作成にもかかわりバスケットボールとバレーボールのソースボリューム実践を展開している。これはすごい忙しさだろう。瀬畑さんはこの時期のことを次のようにふりかえっている。

 

「この頃は人数も少なく五〜六人で毎晩一、二時頃まで涙が出そうなつらい思いをして研究し合ったのをおぼえている。だから31〜33年にかけてはグループ学習全盛期時代の同志会であったと私は思っている」「毎日、毎時の実践は金曜日の集会を待てずに、電話で大学にいる丹下先生や仲間達と話し合い、その結果をすぐに、まったくすぐに実践に移して行った。だからその実践は目まぐるしく変り、一週間もたてばひどく変ったし、進歩した指導が展開されていた」。

 

若さ爆発である。

 

瀬畑さん、生活教育14巻1962年9月号より。

 

で、もう1つ。「中間項」について。

 

1960年5月に梅根さんが発言し、そのすぐ後の8月で「中間項」を根本さんが報告している。

 

その背景について丹下さんがかたっているところがある。

 

丹下さんは「バレーボールでは何かということで梅ヶ丘中学の根本先生に考えて貰ったら”パスゲーム””ラリーゲーム”ではないかというアイデアが生れ、実際に実験してみたのが六月の月例会の授業だった」とのべている。

 

根本さんは研究会のメンバーにはいっていた。ものすごい読書研究会・実践研究会の中心メンバーだ。そこで、「中間項」が話題になったときに丹下さんに依頼(「考えて貰った」)をうけて、考えてみたのだ。

 

ちょっと「六月の月例会の授業」というのが、たぶん根本さんがかんがえて実際に子どもたちにためした授業をみんなで観察しにいった、ということなのだろう。ひょっとしたら自分たちで試してみたということなのかもしれない。

 

で、根本さんは8月に実験的実践とセットで報告する。

 

つまり、丹下さんを中心として集団的検討や研究体制が数年続いており、この勢いの中で、ソースボリュームが実践・作成され、パスラリーが実践・作成されていったのだ。きっかけは1人の実践家だが、それを集団体制で一気に豊かなものにして、しかも一斉に展開していく、一斉にえられた成果をまた一斉に反省して修正していくということになる。

 

まぁ〜すごい。

 

そしてこのとき、「中間項」はリードアップゲームとは根本的に考え方が異なるという合意もされているようだ。「ネットボールがバレーのリードアップゲームだが中間項は”一人のパスアップ、壁への連続パス、対人パス、パスゲーム、バレーボール”というような系列であるのをみてもわかるだろう」と述べている。

 

つまりネットボールはそれが型的で、それ以上の発展もないしバレーボールの本質的なおもしろさをふくんでいるとはいえないと批判している一方で、「中間項」は本質的おもしろさからはじまり、ちゃんとバレーボールまで発展するぞと主張しているのだ。

 

リードアップゲームへの批判がバレーボールの発展に影響をあたえていることは間違いない。

 

丹下さん、生活教育1960年12巻9月号より。

 

ちなみに、ネットボールとはどういうものか、調べてみた。

 

昭和24年学習指導要領小学校体育編(試案)

https://www.nier.go.jp/guideline/s24ep/chap2.htm

 

第十一節 第五・六学年の教材例

 

  ネットボール

○ 配置 (図参照)

○ 方法

1.じゃんけんで決定してサーヴを先取した側が、うしろのラインからボールを相手方にネットを越して投げこむ。

2.ボールを投げこまれた側はだれかがこれを受けとめる。

3.受けたら、その場所から、相手方に対してネットを越してボールを投げこむ。(味方同志のパスの回数は通常三回以内とする。)

4.ボールを落としたら相手方に得点を一点与えたことになり、得点した方がサーヴする。

5.一定の得点(二十一点)に早く達した方が勝である。

6.ボールが城外に出た場合は、ボールを投げ出した反対側が得点となりサーヴを取ることにする。(たゞしサーヴの場合は一回の失敗が許される。)

○ 指導上の注意

1.ボールのとんで来る方向を早く判断して動くよう指導する。

2.チームが協力しておのおのが自分の責任範囲を守るようにする。

3.ボールは胸で受けとめないで手で受けるように指導する。

4.競技場の広さ、人員、ネットの高さは適宜変更してよい。

○ 用具 バレーボール、ネット。

 

 

どうもネットをはさんだドッヂボールのようなもので、基本はキャッチしてなげいれるようである。

 

最近のインターネットではネット上からボールを両手でなげいれるという説明もあった。これは当時のもから発展している。これでは練馬区のキャッチバレーボールと同じである。

 

ちなみに練馬区のキャッチバレーボールは、まさにこのネットボールを参考にして考案されている。

 

練馬区キャッチバレーボール協会ホームページより転載

http://www.catchvolleyball.org/

昭和45年東京西部の練馬区桜台地区(練馬駅より1つ池袋寄り)青少年育成南地区委員会の委員長より小竹小校長が相談され、当時の体育主任であった井上先生に、「男の子の野球に対応した女の子のスポーツについて苦慮しているので、相談にのってほしい」と指示を受けたことが始まりでした。

小学生にサッカーやバレーボールをさせることは考えのおよばぬ事で、戦後少し経ってからの指導要領改定試案の中に「ネットボール」が採用されていたのを思い出したのが、現在の原型です。

当時東京西部、練馬区桜台地区の小竹、旭丘、開進三、開進四、各小学校の先生、ママさんバレーボールの皆さんが、ルールなどを検討して、その年の夏休みに特訓、第1回大会が10月開進三小で行われました。
その10年後、練馬体育協会30周年記念事業での練馬区で第1回大会が開催旧名「ネットボール協会」が設立、現在体協加盟後、小学生クラブ以外に一般男女、ヤングと約73団体(約1300名)のクラブが活動しています。

昭和54年に組織された「ネットボール大会準備委員会」が「ネットボール協議会」となり、「練馬区ネットボール協会」を経て現在は「練馬区キャッチバレーボール協会」と改名し、大会の運営等を中心に活動しています。

 

ネットボールがキャッチバレーボールとして独立し定着されたのは、正直丹下さんが1960年に指摘していたことと通ずる。

 

つまり、発展性がないといいきっていた通りに、そのままニュースポーツのキャッチバレーボールとして定着することになったのである。さすがの丹下さんでもここまでは予想がつかなったのではないだろうか。

 

現在、体育同志会ではホールディングバレーボールの実践が小学校でも導入されている。これはバレーボールのおもしろさである空中にあるボールをはじくことを尊重し、発達段階にあわせてホールディングの許容を調整するものである。なので、キャッチバレーとは異なる教材だ。詳しくは今度開催される4月例会で小学校4年生を対象に実践されたものが報告されるのでぜひ参加してもらいたい。

 

さて、話は横道にそれたけれど、

 

とりあえず、①ソースボリュームが伊東さんのバスケットボールからはじまっていること(それは丹下さんを中心とするグループ学習研究から派生したものであること)、そして②瀬畑さんのソースボリューム実践も根本さんのパスラリーの開発・実践も丹下さんをふくむ仲間達との集団的検討の賜物であったということが確認された。毎日連絡していたのだから。。。

 

少しずつ自分の中で整理されはきたものの、本当にすこしずつだなぁ。。。

 

体育同志会のグループ学習研究史もいつの日かおってみたい。バレーボールがおわったときかな。でもきになるのは体育学研究では第2報と第4・5報はあるけれど、第1・3報がないということだ。他にはどんな研究発表をしたのだろうか。このあたりもきになるなぁ。

 

一つ言えるのは、体育同志会はたしかに戦後グループ学習研究をしてきたけれど、

それは、ソースボリュームにみられるように、運動生活をみすえ、運動文化の自治的な学習を組織するためであったことだ。

 

なので生活単元方式をとって体育行事のための体育という教育課程を構成していたのだ。

 

なので、自分たちで計画して自分たちで実行するという段階のグループ学習であって、相互観察や発見的授業を仕組んでいるときのグループ学習とはちょっとちがう。

 

つまり、系統的指導の中で相互観察や発見的授業をしくみ、そこで獲得した観察ポイントや教えあいの方法をもって、総合練習をしている、この段階のことだ。もっというなら校内大会が組織されているとより理想的だ。

 

最近、大阪のグルプロで、総合練習の段階では子どもたちは学んだことを「学び直し」しているとともにそこで「友達を見直し」ていることが議論された。もちろんその仕掛けには学習集団としておいこませる学習システムを教師が与えていることが条件となっている。

 

その意味で、教科体育の中での「総合練習」をどう考えるのか、この教育的意義を学習集団論と運動文化論(生活体育論)の両面からみていく必要があるのかな、そんなことを最近かんがえてみた。

 

記憶のためのはりつけ。

 

中学校におけるバレーボール指導について(1)

http://ir.lib.fukushima-u.ac.jp/dspace/bitstream/10270/1363/1/1-218.pdf

学校体育における中学校バレーボール教材の変遷

http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/10210/1/ikegami_198701.pdf