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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

パス・ラリー教材の開発にかかわる記述、ついに発見

ようやくみつけた。

 

高津さんや吉崎さんの文献から根本さんが中心になってパスラリー教材が開発されたとあるけれど実際に根本さんの実践はみつからないし分科会の議論でもバレーボールにかかわってはなかなか登場してくれず、うたがいをもっていたけれど、やっとみつけることができた。

 

きっかけは前回のブログで中村さんが梅ヶ丘中学校へのバレーボール実践の見学時の話をしていて、誰の実践だろうかとさがそうとしたことであった。

 

で、さがしていると、なかなかみつからない・・・。人はでてきてもどこの所属かがなかなかかかれている資料がみつからないのだ。

 

でも、バレーボールに関連する資料をみつけることができた。それが体育グループ11月号で、合宿研究会の分科会で「中間項」という視点からパス・ラリーの提案がなされ、議論している様子が報告されていた。

 

タイトルの下には石川さんの名前があった。所属は浦和小だ。ん〜となると、根本さんは浦和小で石川さんと一緒にパスラリーを考えたのか?とおもい、浦和市小学校についての資料をあたってみた。

 

実は丹下さんの考えかたを知ろうと以前丹下さんにかかわる1960年前後の文献をたくさん収集していた時期があった。修士課程の1年目だったかな。それらをぱらぱら〜とみていると、浦和市小学校の研究の中にはバレーボールはでてこない・・・。

 

ということは石川さんは分科会の報告者として名前をあげているだけなのかな。。

 

とおもっていながら何かヒントがないか他の文献もみていたら川口さんが「夏季研究会の問題とその成果」というタイトルで 『体育の科学』1960年10月号に執筆していて、その中に「球技分科会では梅丘中学(東京)根本先生のバレーボールについての提案がなされた」「根本先生は『対人パス』がバレーボールの場合の中間項と考え、6人制のバレーボールを改良し9人制に適用した実験授業の報告をされた」と記述があり、2つの意味での発見だった。

 

みつかってよかった〜(安堵)。

 

ということで、1960年3月に実践を見学した梅根さんの「中間項」が5月に生活教育で発表され、8月の夏季研究会で根本さんが実験的実践までして提案をしている。なんてはやさだ。そして1961年の夏では3つの実験校で比較研究を実施し「パス・ラリー」から始まる6人制のバレーボールの有効性を実証しようとしている。吉崎さんの「泣いたオモちゃん」は1960年4月以降の実践でかつ8月に報告されている。「中間項」への勢いはすごいものがあったんだろうなとおもう。

 

さて、ということで中村さんの文章もまたかんがえてみたい。

 

「やがて大学を卒業し、現在の学校に勤務するようになった私は、恩師の故丹下保夫先生に薦められて、先生を中心とする学校体育研究同志会の夏季合宿研究会に参加し、その『バレーボール分科会』の討論のなかで、9人制バレーボールよりもポジションをローテイトする六人制バレーボールの方が合理的な考え方を内蔵しており、教材としての価値という観点から考えてもより高い水準にあるということを学びました。若い私にとって、教材のなかに合理主義という思想が含まれているということや、教材の価値追求という研究課題があるということなどを知ったことは非常に貴重な経験でした。そこで、このことを自分の授業にも取込もうと考え、バレーボールの授業を、当時行われていた9人制から六人制へと切り替える提案を子どもたちに行いました」。(『体育実践の見かた・考えかた』)

 

ひょっとすると中村さんのこの発言は1960年8月の話かもしれない。ひょっとするとであるけれど。

 

また、次の文も。

 

1960年代の初頭、東京都世田谷区立梅丘中学校でバレーボールの授業が公開され、丹下保夫氏と彼の体育科教育法の受講生および十数名の現場教師たちがこれを参観した。…

 

このとき議論がおこる。丹下さんが触球数が均等ではないのは憲法教育基本法の精神である「教育の機会均等」の原則に反するといった。これに対して中村さんは暴言だとのべ、バレーボールは触球数が同数になるようにという意図をもって考案・実施されたものではないと反論した。このとき「教育の論理」と「スポーツの論理」の区別がまだよくわかっていなかったと中村はふりかえる。

 

それから数日後

 

中村さんは自分の授業でバレーボールの「触球数調査」を実施し『近代スポーツ批判』にその結果を提示している。

 

「体育実践における数字」『スポーツ文化論シリーズ スポーツのルール・技術・記録』1993より

 

この梅丘中学校の実践とは根本さんの実践だ。

 

この大所帯でむかっているということは、これもひょっとすると1960年の根本さんの新しい教材についてかもしれないとおもった。

 

もちろん記録はないのだが、ただ体育グループで紹介されている夏季合宿の研究会で中村さんも質問をしているため、中村さんはこの分科会に参加していたことがわかる。

 

またもしもこの実践がこんなに観察され分析されていたのだとしたら、この実践が体育グループに掲載されてもよいではないか。でも、その後の体育グループではこの実践が紹介されてはいない。 中村さんが見学した実践がこの後のものであるということも確かな証拠がない。

 

ま、いずれにしても中村さんが根本さんのパス・ラリー実践に影響をうけて、6人制を導入しようとしたことはたしかだ。

 

パスラリーとは「対人パス(ラリー)は中学1年生にしか適用できない中間項である」とされ、吉崎さんも「中学1年生の子どもの感じるおもしろさ」として限定的にのべている。そのために高校段階での中村さんはパスラリーの実践をおこなっていない。ひきとったのは運動文化の側の問題だ。

 

また前回のブログで以下のことをかいた。

 

中村さんが丹下さんと論争をくりひろげたあとで早速数日後に実践をおこなったというのだ。

 

高校1年生が最初の体育の授業で、9人制バレーボールの試合を行った時(あれ、最初の体育の授業?ということは見学したのはいつ?という疑問が残る。見学したのは3学期の最後の試合の授業なのだろうか。春休みあけを数日後といっているのだろうか?)

 

このとき中村さんの「高校1年生が最初の体育の授業で」という言葉に影響されて実践時期をうたがった。

 

となるとかんがえられるのは次の2つの説だ。

 

①1960年に実施された梅丘中学校の実践観察後、丹下さんと論争をおこし、その数日後に9人制のバレーボールの触球数調査をした。そして1960年8月に夏季研究集会に参加し6人制バレーボールを実践した。

 ※「高校1年生が最初の体育の授業で」というのは2学期の最初?これは乱暴すぎか。

 

②(1960年に実施された梅丘中学校の実践観察。しかしこのときは論争せず。もしくは観察していない。そして)1960年8月の夏季合宿研究集会に参加したのち、6人制バレーボールを実施した。のちに梅丘中学校の実践を観察して、丹下さんと論争をおこし、その数日後に9人制のバレーボール実践で触球数調査をおこなった。

 ※こちらは学期末に観察したのであれば「高校1年生が最初の体育の授業で」というのがつじつまがあう。

 

②の場合、丹下さんがおなくなりになるのは1966年。それまで5年ほどの期間がある。『近代スポーツ批判』は1968年だ。同志会は中間項以降から6人制バレーボールの実践を展開していることから、9人制の問題を証明しようとする時期もそんなにおそくはないはずだ。

 

まぁ、ありうるのは②のほうかな。

 

 

 

 

それにしても、支部例会どうやって何を発表しよう(笑)

 

ようやく気づいたけれど、2ヶ月で60年のあゆみを整理するのは無謀だ。でも荒削りならできるのではないかとたかをくくっていた。

 

というのも戦術・技術指導の系統性研究の時代にうつれば、戦術・技術的内容がメインになるから、まとめやすくなるんじゃないか。こんなにも歴史的記述でこまらないはず!

 

ということで、3つぐらい時代の異なる実践を並べて実践比較してもいいかなともおもっているけれど、どうするのかはもう少しすすめてからにしてみたい。荒削りでも全体をまとめてみて、きめたいとおもう。

 

いや〜しかし戦術・技術指導の部分も熊本の研究もあったりしてなかなか理解するのに時間がかかりそうだ。現在収集文献は220本をこえている。まだ20本ぐらいしか使用していない。これは大ピンチだぞ。