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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

中村さんの9人制バレーボールから6人制バレーボールへ、そして4回触球許容回数制バレーボールと移行する過程のメモ

バレーボール教材 愛知支部の活動

さて、これまで瀬畑さんと吉崎さんが9人制バレーボールで人間疎外の状況を目撃してきたことが6人制の独自ルールにもとづくバレーボール教材開発にむかっていったことをのべてきている。

 

ふと家にある本をひらいてみたら、中村さんも同様の問題をあつかっていたとわかった。

 

すなわち次の記述である。

 

1960年代の初頭、東京都世田谷区立梅丘中学校でバレーボールの授業が公開され、丹下保夫氏と彼の体育科教育法の受講生および十数名の現場教師たちがこれを参観した。…

 

このとき議論がおこる。丹下さんが触球数が均等ではないのは憲法教育基本法の精神である「教育の機会均等」の原則に反するといった。これに対して中村さんは暴言だとのべ、バレーボールは触球数が同数になるようにという意図をもって考案・実施されたものではないと反論した。このとき「教育の論理」と「スポーツの論理」の区別がまだよくわかっていなかったと中村はふりかえる。

 

それから数日後(なんてはやさ)

 

中村さんは自分の授業でバレーボールの「触球数調査」を実施し『近代スポーツ批判』にその結果を提示している。

 

「体育実践における数字」『スポーツ文化論シリーズ スポーツのルール・技術・記録』1993より

 

その授業とは次のようなものであった。

 

高校1年生が最初の体育の授業で、9人制バレーボールの試合を行った時(あれ、最初の体育の授業?ということは見学したのはいつ?という疑問が残る。見学したのは3学期の最後の試合の授業なのだろうか。春休みあけを数日後といっているのだろうか?)、

どのポジションのプレイヤーが、何回ボールに触れたか、ということを1チームについて1セットだけ調べたものである。

 

前衛 左 8回  中衛 左 7回  後衛 左 0回

   中 14回    中 11回    中 3回

   右 5回     右 3回     右 4回

 

21点対18点という大接戦であったが、後衛の3人がボールに触れた回数はわずか7回、しかも後衛左は0回であった。そして彼はサービスを打つチャンスもなかったのである。彼は試合後次のような感想文を書いた。

 

「初めのころは、さあいこうぜとか、ネバーマインとかいって皆といっしょにがんばろうとした。ぼくはバレーボールがきらいではないし、意識的にボールを避けようとしたこともない。でもたしかにぼくのところにボールは一度もとんでこなかったのである」

 

翌年、再び中村は1年生のバレーボールの授業で、上記の表と作文をみせて感想文をかいてもらった。

 

大きく次の3つに代表されるものにわけられたという。

 

①「へたの中の代表のようなぼくの考えでは、重要なポジションにまわってくると、いままでのへたさと、責任とによって、いっそうミスが多くなり、それによって負けたなんていわれたら他の人に悪いような気がして、余計に劣等感が強くなる。だからぼくは後衛でも中衛でもぼくなりに楽しめるポジションでプレーしたい」

 

②「へたなやつはあまり重要でないポジション、というよりもあまり責任を感じさせないポジションに置いたほうがいいのではないだろうか」

 

③ぼくがもしもバックに行ったとする。そしてボールがほとんどこなかったら『ヤメチマエ』という気持ちになるだろう。自分が、ただ名目上だけそこに置かれているなどと考えたら、ほんとうに情けない気持ちになるだろう」

 

中村さんは「これらの感想文には、競争の中に置かれた人間の姿が率直に現れている」と述べている。またこのとき次のような対話をおこなったという。

 

中村「バレーボールをやっていてもっとも楽しく、おもしろいのはどういう時か」

生徒「ラリーが続いた時」

中村「それでは、パスだけあってもラリーが続けば楽しいか」

生徒「キル(ジャンプして相手のコートへボールを打ち込む)の応酬があってラリーが続けばもっと楽しい」

中村「きみたちがもっともやりたいと思っているプレーは何か」

生徒「キルを打って得点すること」

中村「だれでもキルを打ちたいと思っていると考えてよいか」

生徒「思ってよい」

中村「それではこの表の後衛左のプレイヤーが、自分もキルを打ちたいとみんなに行ったとしても、それはまちがっていない、と言ってよいか」

生徒「もちろんまちがっていない」

中村「きみたちのクラスで、いま、任意に9人を選んでバレーボールのチームをつくれと言ったとして、だれが前衛にいき、だれが後衛にいくかということについて、お互いの間に、ほぼ暗黙の了解があるのではないか」

生徒「ある」

中村「一体だれが後衛の左にいくのか」

生徒「…」

中村「それでは、その後衛左に位置づくであろうと思われる人が、自分にもキルを打たせてほしい、キルの打てるポジションにいきたいと言った時、きみたちはどうするか」

生徒「…」

 

 中村さんはこの対話から「バレボールのおもしろさはキルの応酬にあって、しかもラリーが続くことの中にあると生徒は考えていること、およびだれでもがキルを打って得点し、チームの勝利に貢献したいと考えていることなどがわかった」とのべている。

 

また次のようにものべる。

 

ところが現実には、試合をする以上は勝ちたいし、そのためには、キルのうまいもの、パスやトスのうまいものをそれぞれの能力を十分に生かすポジションに位置づけたいということになり、「へたな中の代表」のようなものは、自分もキルを打ちたいと思う気持ちがあっても、また周囲のものが打たせてやりたいと思っても、現実にはそれが行われ得ないという状況下におかれざるをえない。

 

人間として生まれた以上、だれでもが同じようにスポーツを楽しみたいと思うのは当然であり、できることならだれにでもこのことが保障されるのが望ましい。ところが、実際にはそうではなく、…いつの間にか「勝ち残り」という習慣ができあがっていて、うまいもの、強いものが長い時間楽しめるようになっているとか、ソフトボールをしようと思っても、ポジションはライトかセカンドで、打順はビリにさせられてしまうとか、バスケットボールをやると全然ボールを回してもらえず、シュートの成功感など味わったことがないとかということが、現実には、学校でも職場でも起こっている。

 

こういうことが起こるのは、一体、へたな人間の側に問題があるからと考えるべきなのだろうか、それともスポーツそれ自身の側に人間をそうさせてしまうような条件があるからと考えるべきなのであろうか。

 

先の感想文の①②はへたな人間の側に問題があるという受けとめ方をしていると思われる。

 

 

ここには2つの大きな問題がある。その1つは、へたなものというのは、どう考えてもほんとうにへたなのかということであり、もう1つは、へたなものを後衛に位置づけるような暗黙の了解を生み出すスポーツとは一体何なのかということである。

 

 

 

ちなみに中村さんは上記の感想文に対して次のようなアンケートを実施したそうである。

 

「次の文章は、ある生徒がバレーボールの校内大会を終わったのちに書いた作文の一節である。この文章を読んで、あなたはどのように思いますか。下記の記号イ〜二までのうち、自分の考えともっとも近いものを一つ選び、記号を○で囲みなさい」

 

「ボクは後衛のレフトをやったわけだが、サブをまぜないでボールに手を触れたのは1回だけである。自分の前や横にきたボールを見送ったということもない。つまり、試合中にボールはボクの所に1回しかとんでこなかったのである」

 

イ ルールなのだから、不平を言わずにやるべきである。

ロ そのようなポジションを守る人がいてスポーツが成りたつのだから、進んでやるべきである。

ハ スポーツはみんなのものであるから、ルールを変えてでも、だれでもたくさんボールに触れられるようにすべきである。

二 わからない。

 

これは高校一年生が入学した時に実施した調査の一部で、70%以上がルールやポジションに不平を言わずしっかりやるのがよいと考えており、「ルールを変えてでも」みんなが望んでいるようにするのがよいと考えているのは、わずかに20%しかいないということがわかる。

 

 

『近代スポーツ批判』1968より

 

その後中村さんは9人制から6人制へと移行する過渡期(昭和30年代初期)において高校生に6人制で授業をやりたいといったところ「予想を超える厳しい反論に直面させられることになった」のである。

 

ある生徒は次のようにのべる。

 

「六人制バレーボールのローテイションなんてまったく必要ない。それぞれにスポーツの上手・下手があるのは当然で、勝つためには上手な者が実力を十分発揮できるように、またへたなものはなるべく下手なりにボロを出さないとかするべきで、それがつまらなくて授業がいやだったら、休み時間にでもうんと練習して負けないようになるべきだ。…ポジションが毎回変わるのではな結局どこもうまくならないという結果が生じるだろう。

 

また、

 

「僕はどちらかというと運動神経の鈍いほうでいつもバック(後衛)に追いやられる組みなのだが、…僕にとってみれば、順番だというのでフォワード・センターなどに連れてこられてプレーするというのは、大げさにいえば苦痛であり、それよりかはバックにいって僕なりに楽しんでいたほうがいいと思う」

 

 

との意見もあがったそうだ。※全文は『体育実践の見かた・考えかた』1983にあり。

 

ここで中村さんは6人制にも問題をみながら上述の意見を整理している(ここがすごい)。

 

前者の意見について「この意見は六人制バレーボールに対してかなり攻撃的であると同時に、私の説明した合理主義思想ということに対しても厳しい批判的態度を示しています。『どこのポジションでも、チーム全体のことを考えて一生懸命プレーする。これが、スポーツをやる上での基本である』などという論理は、とてもやすやすとは突き崩せそうもありませんし、『ローティションは民主的にみえて、本当は、非民主的、かつ非協力的な(個人の)欲(望)の充足に過ぎないのである』という主張も、視点を変えてみれば、たしかにローテーションは個人の能力差を無視した、単純な算術平均的平等主義であるようにも思えます。つまり私が彼をして9人制支持から六人制支持へと転換させるには、彼の主張の基盤となっている勝利至上主義、能力主義、根性主義的禁欲論、社会分業論などの一つひとつを根底から突き崩していかなければならないということです」。

 

後者の意見について「この意見もまた先のものと同じようになかなか手強く、授業では、むしろこのように消極的で『やるき』がなさそうに『僕なりに楽しむ』子どもの方に手を焼くことが少なくありません。それにしても彼のいう『競技がより高度になり、従って能力のあるものしか出来なくなるというのは進歩の過程における不可避なもの』であるという主張は、その後見事に適中し、当時、高校男子のバレーボールでは、ネットの高さが2.20mでしたが、今日のそれは2.40mと高くなり、まさに身長をも含めて『能力のあるものしか出来なく』なるという事態に至っています。しかも彼は、『それを万人が楽しめるものにしようなどと(いってローティションをとり入れようとすれば)…必ず無理が生じるのではないだろうか』と述べて、暗にその『無理』がいま自分に生じようとしていることをほのめかすなど、その論理の展開は実に心憎いまでに巧みであるといわざるをえません。このような彼を支えている自然淘汰論、現実主義、そして機能主義の匂いまでする論理もまた、そう簡単に打ちまかすことができるものではありません。この時私はつくづくと授業とは闘争であると思ったことを記憶しています。つまり、彼らよりも年長の私が理想主義を掲げて、少なくとも学校のなかでは、あるいはこのクラスのなかだけでも『ユートピア』を作ろうではないかと呼びかけているのに対して、むしろ子どもたちの方が世の中というものはそういうものではなく、もっと物ごとを現実的に考え、行動すべきであるとたしなめているといってもよいような図式ができ上がっていたのではないかと思います」。

 

とはいえ中村さんは、上述の意見に対して「ある程度は予想していたものの、このような反対意見に今度は教師のほうが納得できず、バレーボールそっちのけの人間疎外論争を数時間にわたって続けるということになった」。

 

そうである。

 

そして中村さんは3・4時間の論争をくりひろげたものの、最後はとりあえず技術史年表を作成し、いまや6人制バレーボールが時代の先端を行くものであるなどと言って論点をはぐらかし、実技学習に移っていったそうである。

 

そして6人制の問題についても自覚していったのであった。

 

「六人制では誰でもスパイクを打てるようになろうということが技術学習の主要な目標になる。そのためには身長の低いものでもスパイクを打てるネットの高さにしなければならない。しかし試合になるとこの高さは、身長の高いものにとって練習の時のような強いボールを打つことができないという問題が提出された。強いボールのレシーブがむずかしく、ラリーが続かないため『バレーボールらしく』なくなるというわけである。ネットを斜めに張ればよい、身長別のグループ編成をすればよいなどの意見も提出されたがそれぞれに難点があって考えあぐんでいるところへ、これを自分たちの研究課題にしたいとバレーボール部員たちが申し出てきた。そして数日後に彼らが提出してきたのは、触球許容回数を一般に行われている「三回制」より一回多い「四回制」(レシーブ→パス→トス→スパイク)にすればよいというものであった。そこで結果がどのゆになるか不明のままこのルールで学習を進め、試合を行うことにした」。

 

結果は四回制の方がはるかに「バレーボールらしい」試合になっていることがわかるものとなった。ラリー数の調査結果が国際試合にちかく、触球数も増加したからだ。

 

『メンバーチェンジの思想』(1989)・『体育実践の見かた・考えかた』(1983)より

 

こうして中村さんはのちに「高校1年生にバレーボールを指導するとき、必ず『触球許容回数』(1チームがボールに触れてよい回数、以下触球数と略称)を『4回』にしたい、と『正式』ルールの修正案を子どもたちに示し、意見を求めることにしている」という。

 

そして「しかしこの提案はときに嘲笑を誘発することがあり、そうでない場合でも失笑をまぬがれることは少ない。中学時代にバレーボール部員であった者たちのなかには露骨に不快感をあらわすものもいる。彼らの意見は、

 

(1)『3回制』が『正式』ルールであり、このルールでプレーするのが当然である。

(2)『4回制』では触球数が多いためにかえって『攻め』のフォーメーションづくりが混乱する。

(3)『4回制』では、ラリーが続きすぎて容易にデッドにならず、試合時間が長くなる。

 

などである。これらが『うまい子』たちによるものであるのは明瞭であるが、しかしこのような反応からは『へたな子』たちも含めて、教師が自分たちの技術水準を不当に低く見ているという不快感と、彼らの抱いている『正式』ルール神聖観も感取される」。

 

『教師のための体育教材論』1989

 

さて、中村さんと子どもたちがつくりあげてきた4回制のバレーボール教材についてはまたいつかとりあげることにして、ここで注目したかったのは、冒頭の部分だけである。おもわず勢いよく4回制まですすんでしまった。中村さんと子どもたちとの対話の魅力にひきつけられてしまったのだ。

 

中村さんは1960年の初頭に9人制バレーを実施し、その問題を子どもと対話しているのだ。

 

これは瀬畑さんと吉崎さんの影響をうけたものであることはまちがいない。1958年と1960年の実践であるから、中村さんは2人の実践をうけて9人制の問題を自覚していた。だからこそ触球数調査をおこなったのであろう。

 

つまり中村さんがデータを利用するようになった契機は丹下さんの「教育的平等論」をめぐる発言であったのだろう。

 

もちろん中村さんは9人制のバレーボール選手であったためにこうしたデータについては知見をもっていたのであろうが、教育的な意図をもって導入したのは丹下さんとの論争が契機になっていたはずだ。

 

その後中村さんは子どもの認識研究としてデータ手法を様々な教材で開発していくが、もともとは運動文化の平等性の問題を解明するためにとりくんだというところが興味深い。文化の側への問いをふくむものであったのだ。今はもっぱら認識研究がメインだ。

 

なんとなく心電図が開発された背景にもそういう思想があったのだろうとおもう。これはもっと勉強しなければならないけれど、心電図もパスがわたっていない子を発見する手立てだった。

 

つまり運動文化の人間疎外を解明する手段としてデータ調査がおこなわれていったのだ。

 

おっと、また横道にそれてしまった。

 

とにかく、9人制バレーボールの問題にきづきパスラリーの開発・実践にいたった経過に中村さんの実践研究も位置づける必要があるということがいいたいのである。

 

パスラリー教材は1960年12月に川口・丹下さんの論考にでてくるから、ひょっとしたら中村さんは開発にはたずさわっていないのかもしれない。でもつよい影響をうけている。

 

また丹下さんの発言は、瀬畑・吉崎さんの問題をふまえての発言となっていたのかもしれない。あれ、中村さんはいつから教師になったのか?

 

中村さんの『著作集(別巻)』2009をみてみる。

 

1954年からだ。

同志会入会が1959年か。

 

ということはがっつり議論に参加しているはずだな。

 

こんな記述もみつけた。

 

「やがて大学を卒業し、現在の学校に勤務するようになった私は、恩師の故丹下保夫先生に薦められて、先生を中心とする学校体育研究同志会の夏季合宿研究会に参加し、その『バレーボール分科会』の討論のなかで、9人制バレーボールよりもポジションをローテイトする六人制バレーボールの方が合理的な考え方を内蔵しており、教材としての価値という観点から考えてもより高い水準にあるということを学びました。若い私にとって、教材のなかに合理主義という思想が含まれているということや、教材の価値追求という研究課題があるということなどを知ったことは非常に貴重な経験でした。そこで、このことを自分の授業にも取込もうと考え、バレーボールの授業を、当時行われていた9人制から六人制へと切り替える提案を子どもたちに行いました」。(『体育実践の見かた・考えかた』)

 

後半はついでにメモしたもので、前半には夏季合宿のバレーボール分科会への参加とある。う〜〜。ソースボリューム実践の時代ではこの分科会の記録が十分に残されておらず、詳細に分析するのは難しそうだが、もう一回資料をあたってみあいといけないな。

 

ということはやっぱりパスラリーの前の話でもある可能性があるなぁ。

 

歴史をたどるというのは難しい。

 

とりあえず、問題を共有しているということをまず確認しておきたい。

 

ちなみに4回制バレーボールのとりくみについては『たのしい体育・スポーツ』2014年1・2月合併号に石田さんが執筆されているのでこちらを参考にしてもらいたい。

 

また中村さんがもっともバレーボールを題材として詳細に論じているのが『体育実践の見かた・考えかた』1983なので、こちらも参考にしてもらえればとおもいます。

 

ちなみにちなみに、中村さんのバレーボール研究史と体育科教育の構想の関連性はいくつか発想の契機となっている部分がみられ、「中村学」としても注目すべき研究テーマになるのではないだろうか。

 

 

あ、ちなみちなみにちなみにの宣伝で、中村さんをめぐるシンポジウムが開催されます。このブログを誰もみないだろうけれど(笑)

 

第5回中村敏雄シンポジウム
「中村敏雄の人物史・思想史を探る(1)~高校教師時代の中村敏雄の人と仕事」



■期日:2015年3月29日(日)  14:00~
     (当初の予定3/28土から変更になりました。)
■場所:体育とスポーツの図書館(豊田市足助町城山49-2)
     図書館へのアクセスはホームページをご覧下さい。