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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

実践を観察してーグループでの自主練習や実践者とのかかわり方についてかんがえたことー

愛知支部以外の研究活動 フラフト

3月12、13日にとある小学校の小4フラフト実践を観察してきた。夏大会でも実践報告されるものだ。

 

自分としてもえるものがあり、とてもいい授業だった。今回はひととおり戦術学習をおえ、グループでの自主練習をおこなう習熟時間となっていた。本時のねらいは「練習・修正をして、みんながタッチダウンできる『作戦』に近づけよう!」というものだ。

 

「練習・修正をして」という点がさすがである。

 

上記のねらいの授業を観察したので、発見したのはグループでの自主練習による自治集団形成の実践課題についてである。習熟のための時間を「自分たちの作戦づくり」と位置づけ、「作戦遂行・評価・修正の学習サイクル」を柱とする自治的な集団学習を展開するためには、それまでの戦術学習において「どこをみればよいのか」という「観察(分析)視点」とそれをうけて「どこを修正すればよいのか」という「修正視点」をどうわからせていくのか。という課題がある。上記2点のほかの視点もあるだろうからグループでの有機的な自主練習=自治的な学習集団を形成するためにはどのような「わかる」が必要かを整理しておきたいとかんじた。

 

グループの自主練習ではおそらく「作戦遂行→作戦失敗の原因の分析→作戦の要素である戦術・技術の部分的な修正→再実施」という過程をへるとおもう。なので①観察ポイントは「作戦ごとのポイント」において「ディフェンスをひきつけたかどうか」「時空間をつくったかどうか」といった「戦術的な意図の達成」についてであり、②修正ポイントはやはり「時空間をつくりだす戦術・技術(フェイント、ハンドオフ、フォワードパス、ラン、オフェンスガード)」において「何歩目にどうする、何秒後にどうする、どの位置までどうする」といった「戦術・技術の具体的な調整」になるだろう。いくつかポイントもしぼることができそうなので整理しておきたい。

 

そういえば、前に同じ実践者の方の器械運動の実践をきいたときにおもったのと同じことに気づいたとおもいだした。その方は前も「運動技術の系統的指導 → グループでの教え合い → 連続技発表・集団演技」というような実践経過になっていて、そこでもやはり、最初の技術指導の系統的指導の段階で、グループでの教え合いを成立させるための技術的な観察視点をどう「わからせた」のかということが話題となった。有効な指摘ができないと技術学習と集団形成が相互に高まっていかないのだ。

 

今回も同様の実践者であることもあって、「戦術の系統的指導 → グループでの習熟・作戦強化 → リーグ戦」という実践過程になっていて、また同様の課題をみつけた。今度は球技版だ。クローズドスキルとオープンスキルで特徴は同じだが内容がちがう「わかる」が必要なのだ。

 

この気づきはとても新鮮だった。実践者に教えられたなとおもう。もともと実践者の指導計画をみればそのような計画になっているのであろうけれど、授業の成果と課題をわかろうとする過程で自分で発見的に学ばせてもらった、という具合である。

 

自治的な学習集団を形成する実践プランの典型例だし、典型課題になりうるとおもう。集団づくりの方法をめぐって多くの示唆をこの方からうけている。

 

で、子どもたちの様子であるけれど、具体的な様子はまたの機会にしておきたい(観察ノートはつくったが大量になってしまったので)。ちょっとだけのべると、各班にはそれぞれの課題はあるけれど、基本的にはほとんどの班が自主練習を展開できていた。中でも2つの班はかなりレベルが高い集団的な戦術認識の交流をしている。意図的な攻防をたのしみ、自分たちの動きは作戦どおりだったのか、違ったときはなぜ違う結果になったのかといった分析が鋭く交流される。プレーしながらもチームの動きとしての評価をくだしているのだ。合意した作戦遂行のイメージと実際の結果とのズレから発見したことをいいあっているのであろう。それまでに目的意識的な学習の豊かな蓄積(経験的知識)がなければこの理性的認識を働かせることはできない。自分のイメージとちがうと、「今動きちがうんじゃない?」と必ずいうし、「今どうして〜しなかったの?」という質問をする。すると「今のは○○はここでガードしていたけれど、そのときに○○(ディフェンス)はここにいたんだよ」と誰かが理由を回答する。するとなるほどと納得する(ちなみにこのときはじゃあどうガードするかという話にはならなかったけれど)。こうして誰かの疑問を契機として事実確認をしあい、修正点をみつけだしていく。また原因がわからなかったり偶然の失敗だったり動き方の間違えだったりしたときは、納得するタッチダウンや攻め方ができるまで何度もためしている。「もう1回やらせて」とか「もう1回やってみて」という声かけが自然とでる。「作戦強化の仕方」の原則をよくわかっているなとおもう。とてもいいムードになっていた。作戦美みたいなものをもとめる印象すらうけた。一部始終学習風景を撮影して分析したかったけれど、今回はビデオ撮影はしないと校長先生に説明してしまっていたので、していない。残念。

 で、そのうちの作戦で、すごいのがあった、とても4年生が考えたとは思えない!おもわずきいてしまった。「誰が考えたの?」。すると自分の質問にこめられた期待をうけとったのかもしれない。ちょっと気まずそうに「え、おじさん」とこたえた。前に観察されていた方が教えたそうだ。そりゃ〜すごい作戦ができているはずだ。たぶんその方もこのグループの学習集団としての高さにおもわず指導してしまったのだろう。このグループならできると判断できなければ教えないだろうから。可変的で綺麗な作戦だった。※ちなみにこのグループをべたぼめしているが、それはあくまで戦術認識を媒介とする作戦づくりの組織的過程がすごかったのであって、みていると1人の子の作戦を勝手にきめちゃったり、フェイントで相手を意図的にひきつけたかどうかという分析はあまりできていなかったし、一部の人で話しあってしまい全員の意見を集約していない場面もあり、課題はあることを念のためつけくわえておく。

 

 

 

さて、今回は1つまよったことを紹介する、というかメモしておく。

 

それは、観察者が感じたことをいつ実践者にフィードバックするのか、という疑問である。

 

それは過去の自分の体験からきた疑問である。

 

何度かこれまでの実践を観察する機会にめぐまれてきたのであるけれど、全授業過程にがっつり授業にはいりこむこともある。

 

観察者としては限界があるため、誤解がうまれない範囲内で、あくまで参考程度に、とおことわりをいれつつも、やはりその内容に実践者が影響されてしまい、ときに混乱させ、ときに実践者本人がもっていたねらいやこれまでの指導の蓄積が見失われしまうことがあった。

 

実践者の思考をうばうようなことをしているんじゃないか、そう反省した。

 

 今回の実践者は「自分の納得」を大事にする方で、おそらく納得しないものはとりいれない、だからその点安心ではある。でも、実際に実践過程にかかわるのは今回がはじめてなので注意しておこうとおもった。それに自分が提示した観察ノートにしめされた実践課題が頭にのこっていたら、実践記録をまとめる際に、あ、あの課題もいれておくか、という状況がうまれかねない。

 

まぁもちろんまったく見当違いの内容で、話にならないかもしれないけれど。

 

どこまでフィードバックするのかはもちろん状況による。今回は途中から乱入したもので、はじめから実践を一緒につくっていこうというねらいやシステムをとっていないので、やはり、実践者が実践記録を自分の力でまとめたときにこそ自分の観察ノートと実践記録をつきあわせながら、ここの解釈はおかしい、この点はそうだとおもうし、ひきとるべき課題だ、といった交流をするべきなのではないかと思う。

 

ちなみに、今回愛知のプロジェクトでかかわった小学校のバレーボール実践の方も「自分の納得」を大事にする方で、とても安心できる方だった。ときに活発な議論でプロジェクトは10時から18時にまでおよぶ日もあったぐらいだ。それができたのは、計画段階からかかわり、自分の言葉で目標—内容—方法をかんがえてきてもらい、こちら側はそれにちゃちゃをいれたり一緒に学習会をしたりしながら整理しくみたてていく、でもやはり最後はその方の言葉で整理してもらう、そういうスタイルを貫いてきたからだ。貫いてきたというか、そういう実践者だったので自然にそうなった。

 

教育実践は何より授業主である教師が主体であり、観察者は教師の実践をみとどけ、共通体験をしておきながら、教師が自分の言葉で実践を整理したときに、話し合うようにしたい。自分の考えが整理できたときこそ、他者の意見が整理されてきくことができるのだ。

 

もちろん、実践者に何をみてもらいたい?という要望をだして、その情報を提供するというやりとりなど、合意のとれた状況ならいいだろう。

 

「学者にはまかせられない」とかつて中村さんはいっていたけれど、観察者としてかかわりながら、いつのまにかそういうスタンスに教師がなっているような、そんなかかわり方ができたらとおもう。

 

来年のバレーボール実践は授業を何度も観察しにいくけれど自分はまったく介入しないでおくのもおもしろそうだ、なんておもった。

 

というわけで今回はいい体験をした。これからの議論がたのしみだ(まだ来週観察するけれど)。

 

みなさん、夏大会はぜひグループ学習分科会におこしください(笑)。

 

おっと、今日の観察ノートをまとめるつもりでカフェにはいったのに、日記を更新してしまった。これはいけない。わすれないうちに作業にとりかかろう。