TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

岡出論文をよむー技能習熟と認識形成の統一をめざした授業づくりー

さて、今回は以前とりあげた岡出さんの論文「日本における認知目標と授業過程に関する論議について」のつづき。

 

岡出さんは体育同志会の数多の実践記録から認知目標の達成を意図した授業過程を構成する原則をとりあげている。

 

(1)問いと答えの間の活動を組織すること(海野、1987)

  子どもが教授した知識を積極的に理解していく学習活動をとりくませる。そのためには次の3つのことを大事にするという。①授業過程を創造的、探究的に組織すること、②子どもによる調査、実験活動、相互観察・比較をとおして抽象化されている科学的根拠や自分の身体にきざみこまれた技能をデータとして具体的に露出させること。③学習の方法(科学の方法)を学習内容の重要な一部として獲得させること。

 

 関連して発問—討論—実験—検証という授業過程の設定やペア学習をできるようにしていく言葉(方法をつたえる言葉)を獲得させていくこころみやデータをとる活動を組織化していくこころみがある。

 

(2)教育内容、素材、教材、教具、練習を区別すること

  「おしえる内容としての教育内容とおしえる手段としての教材の区別」。

  「習熟のための教具と認識をふかめるための教具を区別」

    ※認識の対象が明確に概念化されていないために区別が困難(認識対象の系列化とも関連)。

  「技能習熟のための学習活動と「わかる」ための学習活動を区別」

  「教師がおしえる内容と練習によってわかることの区別」

 

(3)認知目標の系列化を図ること

 子どもの発達段階を根拠にして認識させる対象やその順序(系列)を決定する。

 わからせるレベルを根拠に認知目標の系列化を決定する。

   ※子どもが言葉としておぼえたこと=わかっていることではない(発問研究のおくれは教科内容研究のおくれ。

   ※認知目標の系列化のためには認識対象の解明や認知目標の達成を判断する基準を何にもとめるのかという問題、さらにはわかるレベルをどのように決定するのかという問題が未解決となっている。 

 

(4)教授行為を認識すること

 実験的活動の組織化やペアの組織化のみでは教師の要求する認識には到達させられず、教授行為が不可欠となる↔︎教師自身に指導する中身がみえていないから。

 教授行為には練習モデルの提示や技術ポイントの提示、できばえの評価といった技能習熟に直接かかわる行為と間接にかかわる行為に大別することができる。

 

(1)は子どもたちが対象的世界に主体的にたちむかいみずから認識を構成していくように創造的・探究的な体育授業を組織することが強調されている。(2)(3)は教師の課題(内容)設定の問題で、(4)は指導方法にかんすることである。こうしてみると技能習熟と認識形成の統一をめざす体育実践ではまず前提として「子どもの主体的活動を保障すること」があり、そのためには教師の授業構想がいかに具体化・明確化されているかということがと〜〜っても重要になるということである(2・3・4の視点)。

 

こうしてみると認識形成をめざす授業は「認識形成をめざす教師の授業構想論」として体系化されなければ発展していかないという印象もうける。ではどういう順序で授業を構想していくことがもとめられるのであろうか。

 

原理的には①教材研究を土台として発達段階を考慮した教科内容の具体化がまずくるだろう、その上で②教師が目標とする教科内容に到達するまでの認識内容の系列化(技能習熟場面もふくむ)がきて、そして③各順序における認識内容を理解させる指導方法(発問を契機とする実験・調査、グループ学習の方法など)の設定という段階がひとまずかんがえられそうである。

 

 

 

 また岡出さんはこのような整理が認知目標並びに授業過程に関する議論に限定して比較研究をすすめるさいの視点として次の5つを指摘している。

 

(1)認知目標の対象の比較。特に経験、近く、認識の区別をふまえた上でのそれ。

(2)授業過程を計画する際にもちいられる諸概念の比較。たとえば、発問、教育内容、教材、素材、教材づくり、教具、学習集団といった概念とその意味。

(3)授業でもちいられる教材、教具の具体的サンプル

(4)授業過程で重要な機能をはたす教授行為の分類やその有効性にかんする説明

(5)実践記録の様式ならびに内容の比較。

 

以上の5つの視点をふまえて授業研究をすすめるパラダイムを具体的な授業実践のレベルで解明していくことが、授業を対象とした比較研究をすすめていく際の課題となるとのべている。

 

さきほどの原理としては(1)は①②に関連している。(2)は③に関連している。(3)は具体的な事例をしめすためのもので妥当性の視点であり、(4)は③に関連している。

 

なので、①②教科内容の明確化や系列化のために(1)認識対象の解明がもとめられ、③具体的な授業過程(指導方法)の明確化のために(2)諸概念の区別や(4)教授行為の分類が必要となるということである。

 

ただ、①②については各教材となる運動文化の本質的なおもしろさが何かという視点からの検討も必要となるだろう。「何を、どのように」というときに「おもしろさの質」が問題となるからだ。つまり「何のために、何を」という問いとセットでかんがえたときに、認識を形成することがその運動文化を学習する喜びをたかめる(たのしさがます)ものである必要がある。

 

つまり認識形成をめざす授業づくりとは授業過程の1つの過程であるという理解が必要だ。授業づくりの過程がまずあって、その中で認識形成をめざす授業づくりの過程がふくまれているのだ。おそらく前者は目的を規定し、後者はその内容や方法を規定する。

 

授業づくりというわくぐみで認識形成をめざす授業づくり過程をとりあげていく必要がある。このことを念頭においておきたいとおもう。

 

ところで、岡出さんはこの論文の前半で実際に認識対象の明確化をこころみている。課題をあげながらもちゃんと自分でとりくんでいるのだ。

 

こういう誠実さとか丁寧さにまなばないとな。研究者として尊敬できる人だなぁ。