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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

愛知支部4月例会にむけて―ソースボリューム時代のバレーボール実践③―

さて、奥村・瀬畑実践につづいて、次は吉崎さんの実践にうつりたいとおもいます。

 

吉崎さんは丹下さんの紹介もあって1958年に和光学園に就職されている。

 

そして有名なのは、「泣いたおもちゃん」の話である。この話を吉崎さんは1960年の『体育の科学』8月号で紹介している。

 

<校内球技大会の実践から>

 中2Aさんの作文

 ポジションにわかれて練習をしたが、後衛にあまり、ボールがいかないので、つまらなさそうに、前えい・中えいのやるのをみている。たまにきついボールが飛んで来て、打とうとするが、指先ではじけきれず、落してしまう。それが何回か続くと、自分が打てないから負けるのだと思いこんで、責任を感じる。そういう人の顔を見ると、ほほがプッーとふくらんで、おこったようにむっつりしている。前えいの人が「私がかわってあげるわ」と後えいの人にいうと、その人は、急に顔がくしゃくしゃになり、泣きだしてしまった。

<中略>

 泣いた子どもがクラスのABチームで4,5人いたらしい。反省会をすぐひらいたところ、「ボールが来ないとつまらないし、ボールが来ても受ける気にならないので、おとしてしまう。そうすると、みんなが変な目つきをする。それがいやでますます、やりたくなくなってしまう。」「みんなに注意されると、自信がなくなって、やる気にならない。」「私はバレー・ボールがへたなので、みんなが、へんな目でみるように感じる。それがいやで、ズル休みをした。」などいく人かの人が話した。「いくら、体が弱くても、一生けん命やってくれればそれでよいと思う。注意したのは、今度から気をつけてくれということで、悪気で言ったのではない。自分の体のことは気にかけないで、もっと自信を持って積極的にやってください。」とMさんがいった。それで反省会は一応おわりになった。<省略>

 

吉崎さんは「ポジションのことで泣く子どもが出て来るなどとは、想像もしていなかった」ために「少々ギョツとした」そうだ。 

 

ちなみに、この作文は1960年におこなわれた実践でえられたものだ。

 

つまり、(前回紹介した)瀬畑・奥村さんの実践でも、吉崎さんの実践でも9人制バレーボールにおけるルールの問題(ポジション選択・プレイヤー選択・ローテーション問題)が浮上しているのである。そして問題が運動文化の側にあるのではないかとかんがえるようになっていく。

 

このように生活体育をめざし民主的集団づくりと運動技術の学習を統一させようとソースボリュームを開発し実践を展開していたときに、ここで新たな問題(運動文化の側の問題)が浮上してきたということだ。

 

吉崎さんは「客体としてのバレーボールの規則や構造自身がオモちゃんを追いこみ泣かせた要因を内在化しているのではないか」と疑問をもち、この出来事を「泣いたオモちゃんが悪いのか、泣かせたバレーボールが悪いのか」と研究会で話題にしたそうである。(『たのしい体育・スポーツ』1984秋)

 

気になるのは、吉崎さんと瀬畑さんがおなじ問題を共有(報告)しあって、そのことがこれから紹介するバレーボールの学会発表にむかう契機となったのかどうかということである。今度おあいしたときにインタビューしたみたい。といっても・・・いつだろう・・・。

 

丁度このころ体育同志会では「中間項」という言葉がとびかうようになってくる。この「中間項」にこめられた発想が契機となってのちに吉崎さんたちはバレーボールにかんする学会報告をおこなうにいたっているのである。

 

「中間項」のはじまりは1960年3月に教育学者の梅根さんが体育同志会(丹下)の実験校であった浦和市の小学校に観察にいったときのことである。当時同志会は日生連とかかわっていたので、梅根さんがきたのである。

 

梅根さんは体育実践をみて、キャッチボール・パス・ベースランニングといった要素的知識・技術の孤立的な練習をいきなり要求するのはおしつけ教育におちいる、だとすれば本格的な試合と第1次的な要素との中間項からはいることがのこされたみちであるとのべている。

 

 「個々の要素から入るのでもなく、本格的な試合から入るのでもなく、この極めて日常生活的であって、しかも技術訓練の生活教育的理論ともいうべきものに適合している中間項的技術セットから入り、それを足場にすることこそ、少なくとも小学校段階での正常なシークェンスではないだろうか。そういうようにわれわれは考える」(『生活教育』1960年12巻5月号)。

 

この梅根さんが提示した概念をもとに体育同志会は体育授業や教材観を変容していく。

 

 すなわち、「運動文化の技術の高さと子どもの能力との落差が大きいために運動の本質的なよろこびを見出せない」のであり子どもの運動欲求をみたすためにも「運動文化に子どもをあてはめるのではなく、子どもの能力の発達に運動文化をあてはめる」、「子どもに運動文化を作らせるというのでなく、現在の運動文化を子どもの主体に応じて変容させるということ、運動文化を作りかえるということなのである」と考えるようになる。

 

そして、具体的には次の3点を大切にするとのべる。

 

①その運動のもっている本質(本質的な面白さをつくりだしている技術やルール、やり方)を失わないこと。

 

②それらの最も単純なゲームや運動が子どもの能力の発達、技術の上達に応じて、その運動の技術が系統的に発展していくものでなければならない。したがって最も単純なゲームや運動がより高度な技術を含んだゲームや運動へと系統的に発展するようにつくりかえ、変容するようにあたえることである。

 

③これらのゲームや運動は子どもの能力に応じて、子どものよろこびを誘発するようなものでなければならない。

 

 「こうして、われわれが作りかえるときに、まず着眼しなければならないのは、初心者が、その運動に対して本質的な面白さ、魅力を感じるものは何か、ということを探り当てることである」。

 

上記の引用は丹下・川口『生活教育』1960年12巻12月号増刊によった。

 

この1960年12月の段階で「たとえば、バレーボールでいうならば、相手とのパスすなわちパスラリーのゲームがそれにあたるものではないか、と考えられるのである」とのべている。

 

そして、川口さんは1961年3月(『生活教育』13巻)には「運動文化の技術や系統にこだわらない『新しい教材作り』は結局新しい技術観を持つということになる」とのべ、その新しい技術観をもとにした教材づくりでは「初心者が、またある段階に到達した者が、いかなる技術にその本質的面白さや魅力を感ずるか」ということを土台にすえるとのべている。

 

そして新しい技術の考え方による体育の学習指導の実践をした吉崎実践について紹介するのである。

 

川口さんも紹介する吉崎実践は同号に「子どもが喜んで参加する球技学習」というタイトルで吉崎さんが執筆している。

 

吉崎さんは既存のリードアップゲームを批判し「技術の上達と、子どもの喜びとが矛盾しない」学習内容と指導方法の発見をめざした実践の一部を紹介している。

 

吉崎さんの実践はまず和光学園の中学1年生の子どもたちとバレーボールのおもしろさとポジションの関係について対話をしていくことからはじまる。

 

吉崎さん「後衛がいやだ。球がこないからつまらないという人がいるんだけど、どうしたらいいだろう。」

 

・・・

 

子ども「ポジションを交代させるルールをつくればいいじゃないか」

 

・・・

 

吉崎さん「みんなが楽しくやれれば、みんながじょうずになれるかもしれない。そんなルールはないかな。」

 

子ども「6人制でやればいいんじゃないからしら。」

 

・・・

 

とつづき、吉崎さんは最後に次のような説明をしている。

 

 バレーボールは、パスができないとおもしろくないだろ、いままでのみんなの意見ではボールに触れる人と触れない人の差が大きすぎるということだね。その点6人制のローテーションは攻撃と防御のチャンスが平等にあたえられる。どうだろうみんなでやりやすい、そして誰でもが面白いというようなバレーボールを考えてみないか

 

 

こうして「和光ルール」ができ上がっていったのである。

 

これは9人制バレーボールを6人制でやるものであり、つぎのようにルールがかえられた。

 

①サーブはポイントのあるなしにかかわらず一度とする。

②15点3セットマッチとし8点でチェンジコートする。

③誰もが1セット中8点まではかならず出場すること。

 

また実践は次のように展開したという。

 

①3:3 味方どうしでパスラリーをやって何回続くかを数える

②3:3 ドリブルを適用、前後左右に走りながらパス

③3:3 ドリブル、オーバータイムズ、敵味方にわかれてゲームーあいているところをねらう

④⑤6:6 3時間目に同じ

⑥6:6 ゲーム(リーグ戦)

 

ちなみに、吉崎さんは子どもたちの様子から「中学1年2年では、サーブやスパイクより、パスがつづくことに興味をもっている。休み時間ともなれば、鉄棒をはさんでラリーをつづけることに夢中になるし、鉄棒がいっぱいだと、ボロナワをはってやっている。つまり、本当は、バレーボールを深くやった人の感じるおもしろみと、初心者のおもしろみとではちがうのだ。ということである。・・・このラリーを分析してみれば、バレーボールの本質であると考えられるパスの要素を多分にもっている。むしろ、円陣パスや対列パスのゲーム化したものとみることができる。このラリー・ゲームを学習の中核にすえて、バレーボールの指導が可能となる。すなわち、このようなかんがえかたから、われわれは必要な技術へと発展させていくことができるのである」とのべている。そして実際の実践で「中学1年生では、パス・ラリー・ゲームから入る方がよいといえる。このほか、2年生や3年生では、なにから入るのがよいかーそれは、さらに多くの実践をまたなければならない」と述べる。

 

したがって、吉崎さんの分析は中学1年生の休み時間の実態観察から「パスラリー」が欲求にかなっているとかんがえたのだ。これは中間項が子どもの遊びである三角ベースに注目したように吉崎さんも子どもたちの楽しみ方に学んで「パスラリー」を発見し、分析していった可能性を示唆している。なので、学年によってその楽しみ方がかわれば、またちがう教材がうまれる可能性があるとこのときは考えていたのである。

 

こうして吉崎さんたちは子どもたちが「パス・ラリー」にバレーボールのおもしろさをかんじているとまとめ、そこから実践を展開していったのである。そしてこの中間項のかんがえかたと「パス・ラリー」の実践をもって次に紹介する日本体育学会で報告をおこなっている。

 

といっても報告はバレーボールだけではなく「学校体育における技術指導の調査研究」として陸上運動やサッカーなどもその問題点を指摘し、あらたなかんがえかたを提案している。また他にも「運動文化のもつ階級性」などもある。運動文化の側を研究する流れがいっきに動きだしたような感じをうける。

 

一応、吉崎さんの名前でサイニーで検索したページをはりつけておく。上記のものがきになるかたはこちらを。

http://ci.nii.ac.jp/nrid/9000003222247

 

 

さて、吉崎さんたちは1961年に連続で「バレーボールにおける技術指導の問題点」と「バレーボールにおける技術指導の実験的研究」を報告している。

 

前者は荒木さんが報告者となって質問紙調査を実施し、それをもとに以下の4つの結論をみちびきだしている。

 

(1)ポジションが固定されているため誰もが平等に楽しく行う機会が少ない。ボールの触球数やポジション経験への要求をみたしえない。また後衛を希望する人はすくない上に、「ボールがこないから」「技術が下手だから」という非常に消極的であり、子どもの本質的な運動欲求からすればゆがめられた形としてあらわれている。

 

(2)雑誌『学校体育』におさめられた実践記録には主体である子どもの発達と欲求をマッチさせた技術の指導系統がかんがえられていないことがわかる。

 

(3)民主的な人間形成が形成されるためには、子ども自身の計画の中に個性をみいだし、自主性を重んじながら意図的に指導されるべき。

 

(4)パスができないことを理由にバレーボールをきらう子が26%おり、伝統的、習慣的な指導系統に従属した指導が展開されるままとなっていることは問題である。

 

以上の4つの視点からなる既存の9人制バレーボールの問題を指摘し、ではどうするかということで、次の吉崎さんの報告がはじまる。

 

この報告は、すべての子どもが平等に誰もが楽しく、効果をあげていくことができるように子どもの側にたって、新しい技術指導の形態をかんがえようとしたものである。

 

解明課題は次の2つ。

 

(1)だれもがたのしくとりくむことができ、しかも発展的に上達する技術はどんなものか。

 

(2)だれもがたのしくやれるというようなバレーボール(ルール)とはどんなものか。

 

そして、

 

(1)については1:1のパスラリー、3:3のパスラリーと発展するとかんがえた。

 

(2)については、ローテーションを導入し、同等に機械がまわってくるサーブ、1人1回方式その他ルールをふくめたバレーボールではないかとかんがえた。

 

こうして上記2つをもとに指導方法を考案し、次のような実験をおこなっている。

 

調査対象は瀬畑さんの中学校2年生男女、吉崎さんの中学校2年生男子、そして大森さんの高等学校2年生男女であった。吉崎さんの実践は上述の川口さんが報告したものであろう。

 

実験方法は、実験学級(新しいルールによる6人制バレーボール)と非実験学級(従来どおりの9人制バレーボール)を設定し実験学級はスキル(サーブ・パス・トス)ペーパーのプレ・ポストテストを実施している。

 

結果がちょっとおもしろい。

 

新ルールがよいとするのは瀬畑実践さんより吉崎実践(95%)の子どもの方が4~50%たかかった。吉崎実践では全面的にうけいれられている一方で瀬畑実践では半々だ。この理由は①瀬畑実践が単元途中から実験にきりかえたことと②校内大会は9人制ルールを実施していることがあげられている。

 

今だったらデータとしてつかえないとはじかれてしまうだろう・・・。それでもまえむきな記述がつづく。

 

このような実験に不利な条件でありながら(瀬畑実践にて)約40%の子どもが支持をしているのは我々の方向が間違っていないとみてよいとおもわれます。

 

次に・・・とつづくが詳細は上記のリンクから報告資料をみてほしい。

 

結論的にはどのポジションもやれるしいろんな技術を習得できるしだれでも攻撃ができるという点では、判断は早計だとしても、子どもものやりやすい形に運動文化をつくりかえていくことが、すべての子どもが平等に誰もが楽しく、効果をあげていくことができる可能性をもっているというものだ。

 

こうして吉崎実践における「泣いたオモちゃん」や奥村・瀬畑実践における「のけものにされた森島さん」の衝撃から中間項のかんがえかたにもとづく新しい教材(新しい技術の指導系統)としてパスラリーからはじめるバレーボールが開発され実践が展開されていくのであった。

 

さて、実のところ吉崎さんはバレーボールの中学校1・2・3年生の指導方法を『中学校体育科指導細案』(1962)で紹介している。

 

ここで紹介されている中1実践は1961年の4月に実施されたもので、1:1のパス・ラリーからはじまっているので、3:3からはじまる『生活教育』で報告された3月の中1実践よりも指導が発展している。

 

ではちょっとみてみたい、が、

 

ん~~次回かな。

 

※ちょいメモ

 「パス・ラリー」の出現過程、誰が提案したのかは不明。パスに着目した記述が吉崎さんからあるから、やはり、吉崎さんの発案なのだろうか・・・。

 

吉崎さんがこのころバレーボール実践を多学年にわたって展開していたことがわかる。1つ1つの実践がなんらかの形で報告されている。

 

 1960年初夏泣いたオモちゃん(中2)、(●1960年秋に中1パス・ラリー実践?)、1960年12月丹下・川口論考に「パスラリー」が出現。(●1961年3学期にパスラリー実践?) 1961年3月3:3からの「パス・ラリー」実践報告(中1)、1961年4月1:1からのパスラリー実践(中1)、1961年9月の学会発表1:1から3:3へ発展すると仮説を提案(中2で実験)、 

 

 学会発表で報告されたルールは中2の子どもたちとつくったのか、吉崎さんがかんがえてやらせたのか、この点は不明。

 また、和光ルールはクラスマッチでつくられたことが記述されている(吉崎、1962)。となると1961年の『生活教育』3月号で報告されているものは、オリエンテーションでつくられたのではなくだんだん形になってきたのだろうか。もしくは委員会でのできごとだったのだろうか。そのあたりの経緯は不明