TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

愛知支部4月例会にむけて―ソースボリューム時代のバレーボール実践―

さて、実は4月18日に愛知青年会館で開催される愛知支部例会にて、バレーボール教材の学習会を担当することとなった。

 

というのも今年度のグループ学習プロジェクトはあの「東郷のマゾ」(東洋の魔女にもじって)といわれたHさんのホールディングバレーボール実践を共同研究しているからだ。

 

プロジェクトベースで月例会を開催しているために学習会の担当もプロジェクトがもつことになっている。

 

そこで、これまで地道に関連資料を収集した体育同志会によるバレーボール教材研究関連の資料(実践記録・教材研究等)約200本から、①体育同志会のバレーボール教材研究史、②中でもホールディングバレーボール教材の研究史に着目し、③バレーボール教材研究の成果と課題をみちびきだしていきたいとかんがえている。

 

約200本の資料をいっきによむことが困難なので、これまた地道におっていきたいとおもう。

 

といっても、学年ごとにわけて分析するか、時代ごとにおっていくのか、これがまたむずかしい。やりながらいろいろなきりくちを自分でみつけていくしかないだろう。

 

さて、ざっくりと資料をながめてみると、体育同志会のバレーボール教材研究史を以下の時期区分にとりあえず仮説的に区分してみた。

 

①「生活体育」模索期

 ソースボリュームをもちいた生活体育実践(瀬畑氏)と中間項理論にもとづく「パスラリー」教材の開発・実践(吉崎氏)である。

 

②「技術指導の系統性研究」期

 荒木氏による運動文化の特質・基礎技術規定を中核とした技術指導の系統性研究が1964年からはじまる。その後荒木さんによる新指導系統にもとづく体育同志会の全国研究大会球技(バレーボール)分科会での実践研究が展開される。

 

③「技術指導の系統性研究の再構成」期

 荒木氏らがみいだした新指導系統の研究が実践的に展開されるにつれて様々な問題がしょうじている。これをうけてスパイクの2:0からはじまる指導系統にラリーを中心とする指導系統がまざりあっていくとともに4回制バレーボールやホールディングバレーボールなどの教材が開発されてくる。特に小山氏の実践研究が近年注目すべき成果となっている。

 

④「文化的学習内容」期

 その後、体育同志会における教科内容研究・教育課程研究の隆盛にともなって丸山氏の歴史追体験授業や矢部・制野・黒川氏らの文化的学習内容を措定する実践研究が展開されてくる。

 

⑤「小学校におけるバレーボール教材・実践研究」期

 上述の④と平行して新指導要領に小学校でもバレーボール教材がネット型にはいりこむようになり、体育同志会では中・高で研究されていたホールディングバレーボール教材を小学校体育で導入して実践研究をふかめようとするうごきがおこっている。

 

※といっても、実は以前にも小学校5・6年生でバレーボールが教材として配置されていて、テニスとともに除外されたのは1958年10月に公布された小学校学習指導要領体育編からであった。その理由は①バレーボールが小学生にとって技術的にむずかしすぎること、②ネットボール、バウンドボールのような簡易なルール(いわゆるリードアップゲーム)にして行わせると、子どもたちが興味を持たない、③バレーボールで体得させる技能は、別のスポーツで十分体得させうる、というものであった(指導要領作成委員小沢久夫『新体育』1958年10月号)。参考『もっとも新しいバレーボール』豊田博

 

ちょっと後半の区分があやしいがひとまずこんなところにしたい。

 

ということで、今回は①のソースボリュームをもちいた実践研究についてとりあげてみたい。

 

といっても全部資料をあつめてみたわけではない(特にソースボリュームはみたことがない)ので、なんどか追記・修正をこころみるとおもう。

 

さて、体育同志会が発行していた『体育グループ』6号で1958年2月3日に瀬畑さんが1957年12月に開催された第7回ワークショップオリエンテーション(合宿)について次のような文章をよせている。

 

今度の合宿では教材研究と云うテーマで討議が進められた。・・・グループ学習の一般的傾向として軽視されていた技術が、我々同志の間で何とか解決しなければならないと痛感されていた・・・しかしそれを具体的にどう与えていくか、学習者の自主性を尊重し、人間性を尊重するなかで教材をどのような態度でとりあげていくかは大きな問題となっていた。

 

 それが現場の研究として合宿で積み重ねられて行くうちにその解決の糸口をつかんだのである。研究され、分析された技術の資料集(ソース・ボリューム)を学習者に与えることによって、具体的な糸口をつかんだわけである。

 

 私はこの第6号の発行を機として我々がその大きな壁を突き破ったと信じている。それ程今度合宿に於ける研究討議には意義があったし、我々同志会員もその研究内容を自負して良いと考えている。

 

つまり戦後の軍隊教育下の体育教育の痛烈な反省にたちはじまった子どもたちの民主的な人間形成をめざして子どもたちの生活へとむすばれていく主体的な学習を組織していこうとした生活体育では、「グループ学習と云う形態の指導法のなかで技術をどうとりいれて行ったらいいか判らなかった」という課題をかかえていたのである。

 

そのおもいをもっての教材研究のすえ、子どもたちに技術の資料集をわたし自主的な練習過程の中で資料集をもちいながらたしかな技能習熟をめざしていくという「グループ学習と運動技術の学習を統一」させようとするねらいがうまれていったのである。

 

基本は運動文化の組織領域を前提におきながら主体的な技術学習をめざすところが興味ぶかい。戦前・戦中の兵式体操など軍隊式の体育を想起すればこれはもうすごい時代の変化だとおもう。しごきの体育から自由の体育へ転換したのだから。でも放任にならないようにとその指導内容をめぐって苦悩する中で今回の実践構想が開発されていったということ。

 

ちなみに丹下さんは生活体育のことを「いつも子どもの幸福をみつめている教育」とよび子どもの(遊びではなく)現実を重要視する児童中心主義としてその方向性をかんがえていることを瀬畑さんとのやりとりの中で述べている(11号、1960年)。

 

またここでグループ学習のとらえかたについての議論がなされ、最終的に丹下さんはグループについて「学級も立派な一つ集団であり、グループである。しかし現在一般にいっているグループ学習のグループは学級の中で小集団をつくってやるのがグループである。生活体育では、学校集団、学級集団を考えている、全体のこれらの集団が民主化される指導を重視している」とのべている。

 

つまりグループとは広義の意味ではたしかに学校・学級集団ともとることもできるけれど、狭義の意味では学級集団の中の小集団をさすこともできると明確な定義をさけた上で、そのねらいが「民主的集団の形成」にあると自身の思考回路を説明しているのである。

 

なので、生活体育におけるグループとは「学校集団―学級集団―小集団」という階層性を包括的にとらえた概念としてこのころ使用されているとかんがえた方がよさそうである。具体的な小集団の話から学校集団の話まで抽象度がゆれうごき、何をさしているのかをみきわめる必要がありそう。

 

上記の「グループ学習と運動技術の学習の統一」も「民主的集団づくりと運動技術の学習の統一」というテーマとしてとらえておいたほうがよさそうだ。なんとなく先日の冬大会の石井実践がしめすテーマもこれにちかい、がここは横においておこう。

 

さて、同誌に丹下さんは、私は技術指導が重要であることは認めるが、それはスポーツの大衆化(みんながたのしめるスポーツ―)の立場を破壊しないことを前提として認めるのである、とものべている。

 

ここにはハード・トレーニング、技術・体力の向上のみを問題とし、うまい・へたを徹底的に二極化した待遇を措置するなど、スポーツの魅力を喪失するプロスポーツ・社会体育の状況への批判がった。

 

 「今後のスポーツのあり方としてはまず社会に対しての判断力、洞察力を持って新しい社会(生活)を創造する人を狙いとし、自己の社会(生活)をより幸福にするための考え方と技術を持つような人を養うことが体育の方向であると考える」。

 

「いつも子どもの幸福をみつめている教育」といってもこうした社会におけるスポーツの現状認識が背後にある。「子どもの幸福」とは社会生活を視野にいれていることがうかがえる。

 

こうして、子どもたちが自主的に練習方法や計画をもつところに技術の内容をソース・ボリュームとして子どもにあたえ「科学的に指導していく」というかんがえが推奨されていくこととなった。

 

ところで、第7回ワークショップオリエンテーションでは「バレーボールのソースボリュウムを使用しているところがないので、バスケットボールを手がかりにする」とあり、窪田さんによって報告されている。

 

ちなみに、窪田さんはおそらく、1976年6月13日に愛知支部結成の準備会をたちあげるときに当時全国事務局として助言をしに招待されている方だろう。バレーボールのソースボリュームづくりにかかわっていた人だったのだなぁ。

 

さて、報告によると「対象校は仁尾先生のところとする」とある。

 

しかし、仁尾さんの実践記録は残念ながらみつけらなかった(ないのかもしれない)。

 

ただし、1958年10月に瀬畑さんが中学校3年生を対象としてバレーボールの実践を実施しその実践記録を『グループ学習による体育技術指導―中学・高校―』(1961、柴田書店)に掲載している。また瀬畑さんはどうも校内大会を組織しており、同僚である奥村さんによる実践記録が『中学体育の技術指導』(1960、明治図書)に掲載されている。前者の中に学校長と奥村さんの対談(?)もあり、瀬畑さんが学校づくりとセットで実践研究にとりくんでいったこと、そのときに同僚である教師がどのような実践をおこなったのかがみてとれ、あわせてよむと大変興味ぶかい。

 

ちなみに奥村さんはソースボリュームを使用していない。教師による指導が中心である。しかし、瀬畑さんに相談にのってもらいながら実践がすすんだと説明があるように瀬畑さんによるはたらきかけが随所にみられ子どもたちに自己決定させる場面も多々ある。そのことは奥村さんの指導観を変容させたようだ。

 

たとえば、「瀬畑先生にいわれて、何か、不安ながら、全員参加のクラス対抗を実施してみたのである。その結果、今までの私の考えは、全く間違っていたということを痛感すると共に、子どもたちが本当に喜んで体育をする姿を、初めて見出したのである」とのべている。

 

ところで、当時9人制から6人制のバレーボールへと移行しはじめたころで、名称やルールがことなっていて興味ぶかい。

 

奥村さんの実践記録では「バレーボールなんて女のやる種目だよ」「女はバレーボール、男はサッカーがいいな、ねえ、先生、そうしてよ」といった声が冒頭で紹介されていて、時代をかんじる。といっても、自分が小学生のときにもそういう感覚はすくなからずあったように感じる。。。とはいえこうもはっきりという時代だ。

 

また9人制ではローテーションがないため、次のようなことがおこる。

 

「どの班にも共通していることは、よく動く者、パスのきれいな者が、ハフセンターに入り、比較的背の高い者が前衛、低い者が後衛に入っている。バレー部の女子はほとんどが、ハーフセンターか、前衛のセンターである。そして面白いなと思うことは、やはり、フォワードレフトに、打てそうな男子をおいている班の多いことである。背ばかりでなく、体力的にも、どうもバックは見るからに弱そうである」。

 

奥村さんはローテーションルールを採用すべきだったと反省している。

 

実践としてはボールのどこをうったらよいか、どう返球したらよいかといった発問から子どもたちに発見的な学習を組織している。また当時主流であっただろうパスからの指導系統ではなく子どもがバレーボールにどんなことに興味や意欲をもつのかと思考し、「子どもたちたちが本当にやりたいと思うことは、守ること、受けることよりは、攻めること、打つことではないのだろういか。あのすみ切った空のもとで、豪快なボールを出せるということは、何ともいえないうれしいことであり、満足できるものである」とかんがえた。そして奥村さんは「1年生に興味を持たせるために、パスを共に攻撃的な動作としてオーバーハンドサーブを教えたのである」。

 

子どもの喜びを高める指導という1960年頃の実践テーマがすけてみえる。

 

 

さて、ようやく瀬畑さんの実践だ。

 

ん~~次回にするか。