TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

遠山啓『いかに生き、いかに学ぶか』(太郎次郎社)―読書ノート―

今日は里美さんの本の最後の読書案内にあって、遠山啓がこんなのかいているんだぁ~と興味をもってよんでみた『いかに生き、いかに学ぶか』をよんでのことです。

 

遠山啓さんといえば、水道方式が有名ですよね。

 

自分としてはさけてはとおれない人物なのです。

 

でもこれまでさけてきたのです。

 

著書は数冊だけれどもっています。でも本をてにとろうとするとど~も「数学」のイメージがわーっとやってきて、てをひっこめてしまうものでありました。

 

 

どうやら「数学」というものにあまりよいイメージをもっていないんだろうな、、きらいとかそういうのではないのだけれど・・・。

 

でもそんなさけてはとおれない遠山啓が、よみやすそうな本をかいている!

 

これは、とおもいかってみました。

 

本書は文学の一部しかとりあつかわない、多様な科目をうけなければならない、すきな勉強ができない、そんな学校の勉強にいやけがさして「本当の学び」をもとめて高校進学をやめはたらきにでた女性と遠山さんとの往復書簡を、テーマごとにならべているものです。

 

どうもこれは遠山さんの演出だそうで、女性の手紙はほとんど「意見をください」「おしえてください」という末尾でくくられ、それにこたえるというちょっと単調なものとなっている。

 

また女性の家にあつまる高校生たちとの話が中心となっているために、ほとんどが高校生活での問題を内容としています。

 

 

手紙だけではなく実際に家にいって討論するとか、そういう設定をつくってみたらおもしろかったんじゃないか、なんておもいました。

 

 

遠山さんは著書の中で人間の人生における普遍的なテーマを、現代社会にいきる高校生たちの素朴な疑問にこたえる形で論じています。いわば遠山さんが自身の人生経験をもとに生きることや学ぶことについて自問自答した書物となっているのです。

 

ということで、遠山さんの経験上やはり、学校の問題がおおく、「本当の学び」を保障する教師たちの存在はあらわれず、むしろ「本当の学び」からめをそらす学校のあり方を指摘するものがおおい。

 

ちょっとテーマごとにきになったところだけメモしておきます。

 

1.世の中へ

 進学する人間には「なぜ進学するの?」とはきかないのに、進学しない人間にだけ理由をきくのは不公平。まったく余計なおせっかい。

 

2.人間と文化

 人間は文化をもった動物である。

 人間をとりまいているもの、人間がそのなかで生活しているもののほとんどすべてが、人類が長い年月をかけて苦心のすえに創りだしたもの、つまり、文化なのだ。

 人生の目的は他人と競争することではなく、なにかの仕事―自分でなければならない―をすることだとおもっている。

 中途半端だから天狗になる。

 

3.いきること、しぬこと

4.生・死・愛

 人間は自分が死ぬことを知り、しかも、不死永生を欲している動物である。

 人間のからだはしょっちゅう変化し古いものがしに、あたらしいものがうまれつつある。ほろびるものが、なんとかしてほろびたくない、いつまでもいきつづけたい、そのために自分の生命をうけつぐものをつくりだす、それが愛。人間のばあいには、子孫ではなく、仕事をのこすことも永久にいきる道だというつもりだった(饗宴より)。

 ベートーベンの音楽づくりは愛。でもベートーベンと自分をくらべてどっちがえらいかなどとねぶみするのは第三者にまかせておけばいい。かけがえのない、この自分の生命をうけつぐような仕事をみつけだし、それを実現するために全力をつくせば、それがディオティマの愛というもの。

 

5.生地と柄

 人間はだれもが善人と悪人の混合物。

 もしどんなわるい人でもよい人にかこまれると自分のわるい面をだす機会がなくて、その面がしだいにしぼんでしまう。反対に悪い面をむけると相手もわるい部分をむけてきて、うらみあいがはじまり、しまいにはころしあいになる。そうなることの原因はお互いに相手を知らないことだとおもう。

 

6.わらいについて

 わらいは正常さと異常さの対立からうまれてくる。

 ガリバーの例:小人国はおかしいが大人国の話は自分よりつよい者の欠点を発見したときのおかしさ。背景には人間はおなじでなければならないという同類意識もしくは連帯感のようなもの。

 あいだに何かの連帯感と民主主義がないとわらいはうまれない。絶対者や独裁者のいるところにわらいはおこらない。

 

7.術・学・観

 科学が真実をあきらかにしうるのはみずからの研究する分野をせまくかぎったことにあるといっていい。科学は万能でも無能でもなく、中間。

 学はそれぞれの出発点がありときに対立することもある。術が土台となり、学が柱となり、観が屋根となる。観はこまごまとした部分的な知識ではなくて、それらをとおくまでみわたし、みとおした、ひろくてふかいものの見方。

 術のスポーツもいろいろな理論があり練習するとはやく上達する=学の一種。

 観というのは1人ひとりが自分で苦労してきずきあげていくもの。1人ひとりがそれまでに自分の体験したこと、みにつけた技術、学んだ知識を総動員して人間とは、世界とは、生命とは何か、あるいは人間は、とくにこの自分はどういきていったらいいかをかんがえる。そうしてえられた人生観・世界観・社会観などを観とよぶ。

 苦労してつくりだした観は、それをだいじにするし、ますますそれをまもりそだてようとするもの。家の土台がひろくなり柱がおおきくなると、家もちいさくてはまにあわなくなり、おおきくならざるをえない。

 人間は妨げられないかぎり、人生について世界についてもかんがえる。それうぁ人間の本性だし、それがほかの動物とちがうところ。

 学校では生徒たちが自分で観をつくっていくのに必要な時間をあたえていない。自分の力で観をつくりあげるためには1時間や2時間の授業ではとてもたりない。自分の頭で自由にかんがえるためのながい時間がいる。

 ※観をはぐくむには計画(カリキュラム)がいるということ、(石井実践)。

 いまのような学校教育では観をもたなくなる。そうではなくて、すべての日本人がつくりだした他人からのかりものではない観をもち、自分の足であるいていくようになりたいとおもっている。

 観は自分でつくりあげなければならない。逆にこれまでのいろいろの人がつくりあげてきた様々な観を肥料にしないと自分だけでひよわな観しかできない。

 

9.文科的と理科的と

 「科学的」ということばの意味:正確無比・毛筋ほどの誤りもない・人間の感情に左右されない。でも実際はちがう。科学は事実をしるだけでは満足しないで、事実のあいだ何かかくれた法則がないかをいづれさがしだそうと、いつも虎視眈々とねらっているからだ。

 かくれた法則をさがしだすには正確さだけではなく想像力がなければならない。

 科学社はまちがいを犯す。科学は正確さだけでは成立しておらず、想像力がおおきく活躍するからこそ、まちがいがうまれる。

 人間はすべてのことにむいている。

 

11.日本人と戦争

 おれたち日本人の生き死にの問題だとしってかんがえたら、解答はみつかるかもしれない。これまではかんがえてみなかったからだ。(戦後未経験者か?)

 戦争はおかまいなしにやってくる。無理やりに関係をつけひっかきこんで殺す。そんなに生やさしいしろものではない。

 日本は軍事的に強国だという信念が日本人の心の奥にのこっているかぎり、戦争の危険はなくならない。弱国は弱国としてどういきていくかを考え抜くべき。弱さの強さというべきものをもっている。日本がねらわれるとしたら、日本が強大な軍備をもってほかの國に脅威をあたえるばあいだけだろう。弱国である。

 人をうごかす力とう点では、善悪の問題は生き死にの問題よりはよわい。

 戦争はひとびとの背後にちかづきものわかりのよさそうな声音でそっとささやく。あなたがおかんがえのように戦争はたしかに残酷で、非人間的で、文句なしにやるいことです。だが、そのままでは就職もできず、飢え死にするほかはありませんよ。背に腹はかえられない。

 

12.仕事と地位

 仕事が目的で地位を手段と考える人と、それとは逆に、地位が目的で仕事は手段だとかんがえる人の2種類ある。仕事思考・地位思考。

 

13.競争心について

 競争心は人間の根強い本能である。競争心が人間をかりたてる力をもっていることはたしかだが、一方、競争心から出発するような仕事はたいしたものではない。競争心のおそろしさは、人間のほんとうの目的をわすれさせて、そのかわりに、思いもかけなかったべつの目的をもってきて、それを追究するするように仕向けることにある。

 競争相手にえらぶということは、その相手のまねになっていることがおおい。競争と模倣とはおなじものだとはいえないが、きわめてにかよったものだとはいえそうだ。だから、競争心を動機としてやられた仕事には一流のものはほとんどない。せいぜいに二流以下の仕事しかない。

 

14.働くこと、怠けること

 日本では「働き者」というのはほめことばで、「あそび人」はけなしことば。

 人間は働く権利と同時に、怠ける権利や遊ぶ権利ももっているはずだ。ところが気づいている人はいない。

 人間がほかの動物とちがってずるいなまけものだということは人類の歴史にとって重要な意味をもつ。そして、人間がなまけものでずるい利己主義者であるというやっかいな問題は解決されていない。

 

15.大目標と小目標

 人間がいきていて何かの行動をするときの目標は1つではない。そこには大目標・中目標・小目標も或る。

 大目標というのは世界地図のようなもの。きわめておおまかで小さな目標。友達の家をたずねていくときの道案内としてはやくだたないが、世界の国々のおおまかな位置や方角をしるにはやくだつ。細かい道順の市街地図では道案内は便利だが世界をしるにはやくだたない。

 人生には世界地図もいるし、市街地図もいるし、そのほか大小さまざまの地図がいるし、それらをつかいこなすちからがいる。

 人生のおおきな目標を自分の力で発見し、それをはっきりと目の前にすえるように努力してみたまえ。

 

おまけ

 「「点眼鏡」:点数至上主義が支配する教室では、教師はしらずしらずのうちに、点数という眼鏡をとおして生徒をみるようになる。テストの点数が人間の価値尺度になる。さらに生徒同士も点眼鏡でおたがいをながめるようになる。自分の子の人間としての価値を点眼鏡でみるような親も。こどもたちはかぎりなく自由への願いをもつ。でも受験的競争世界における序列主義に絶望感をいだき自分自身にみきりをつける。

 

以上、遠山さんのテーマは、人間と動物と文化、人間の特性、人間と社会システム(労働・学校)といった問題をとりあつかう。

 

ところどころ参考になるのだが、、、どう総合していくか・・・。