TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

他支部とのコラボでみえてきたものは?(2015年1月例会の簡単な総括)

ちょっとここで1月例会の簡単な総括をしたいとおもいます。

 

ほぼ、おもいつきです。

 

今回のコラボは兵庫支部と愛知支部のコラボということで、どのような成果があったのだろうかとかんがえてみました。

 

成果の観点は、研究のふかまりと組織の2つを中心にせまってみたいとおもいます。

 

①研究のふかまり

 語弊をまねくおそれがあるのですが、教科内容の視点から子どもの学びの確かさを問う愛知と、発達の視点から子どもの学びの豊かさを問う兵庫が、互いの支部の研究成果を活かすことで、「この子どもにとってよい体育の授業とは何か」をめぐる大事な視点を交流できたようにおもいます。

 

ちょっとわかりづらいでしょうか・・・。つまり、1月例会では、愛知は教科内容の視点から、兵庫は子ども・発達の視点から実践にたいする成果や課題をみいだそうとし、その視点を交流していった研究会になったのです。教科の側の論理と子どもの側の論理の両面から議論が展開されたのでした。

 

愛知はどこか歴史的遺産である文化の学びにおもきをおいています。それは愛知の人たちが民間教育研究運動としての思想性を重視してきたことも関係しているのではと個人的にはおもっています。

 

つまり、運動文化とはこれまで人々が継承し発展させてきたものであり、また自分たちも歴史的なサイクルの中で運動文化を民主的に変革する主体者なんだという自覚をもっているのです。

 

だからこそ、これまで運動文化の発展に寄与してきた人物やその思想性(社会的・歴史的事実)を尊重しようとします。同時に、それを批判的に学びとろうとする中でこそ、民主的発展へのたしかなあゆみがなされるともかんがえているのです。

 

このかんがえの基底には民主主義的な思想があります。またのちにこのブログでもかんがえていきたいとおもいますが、運動文化論のかんがえがあります。

 

1人1人が民主主義をおもんじて自由の精神を発揮し、国民にたいする責任をつらぬこうとするのです。

 

こうしたかんがえは組織的活動1つとってもつらぬかれています。だから愛知は組織的活動にたいするきびしい見方をもっているのです。

 

一方で兵庫は特別支援学校や低学年を担当する小学校教員を中心にして、これまで子どもの発達を視野にいれた教育課程・授業づくりに力をいれてきました。そのため子どもの想いや願をすくいとることにかんするするどい眼光とあたたかいまなざしをもっているのです。

 

当日はお互いの研究成果をいかした議論がなされました。

 

特に教育課程を視野にいれた授業づくりという点において、目標とする教材やその指導内容が「(運動文化)固有のおもしろさやその質(戦術・技術)の発展」でつらぬかれているか、そしてそれらが「子どもの発達にもとづいてどうくみかえられているのか」(教授学的改変)という原則がみいだせたことは成果ではないかとおもっています。

 

②組織面での成果

 この点について岨さんが感想で支部をこえた若手同士の交流ができたことを成果としてあげていました。たしかに2日目にはもうすでにあだなでよんでいて、夜の交流がえらくディープだったのは間違いないです。

 

しかし~~~実は、この点については・・・まとめられないのです。

 

なぜなら、夜の飲み会に参加していないからなのです!  残念。一応、私も兵庫の方の顔と名前とはなしかたとかをおぼえたし、次からはきがるにはなせるなぁと、おもったりもしていますが・・・もっとちゃんとした総括がしたいところですね・・。

 

 

③その他

 

 さて、議論と直接は関係ないことですけれど、個人的におもいをつよくしたことがあります。それは「実践記録」をかくだけではなく「集団検討をへてさらに実践記録をゆたかにしていくこと」の大切さを実感したことです。くりかえしになりますが、岨さんの5つの「かく」サイクル(①マス目に書く②頭をかく③汗をかく,恥をかく④視点を手に入れ,益々書く」)の③と④ですね。

 

半崎さんは当初実践のねらいにおうじた総括が実践記録に反映されていませんでした。そのため、実践の経過を報告するものとなり、きいている人も何が成果なのか課題なのかはっきりしませんでした。そのためそれぞれの視点で半崎実践の成果や課題がみいだしていったのですが、当然実践のねらいとは異なるところなのでいまいち核心をつくものがみいだせませんでした。

 

しかし、今回の実践報告ではこれまでの議論をふまえ、実践のねらいにたいする総括がしっかりされていたのでした。そのため半崎さんのねらいにそって貴重な意見がとびてたりと充実した議論となりました。

 

一方で、入口さんもまた数々の実践報告をしているものの、ご自身の実践のねらいにおうじた総括が十分にしめされていないようにかんじました。ぜひとも議論でだされた成果や課題、個人的に大事だとおもったことなどを実践記録にたしていってほしいとおもいます。報告のためにかくのではなく、自分の実践の成果と課題を議論するために、何よりそれは自分のために。

 

過去におこなわれた実践でもながくとりあつかっていくことに価値があるんだとおもえました。

 

佐久間さんも医者の立場にたとえてこのふりかえることの大事さを主張していました。

 

医療の失敗によって患者をしなせてしまった。そのことをふりかえらなければまた次の患者もしなせることになってしまうのだ、と。

 

実践記録は今の自分の力量をしめすものであり、ゆえに次の実践課題をしめすものである。ここをおごそかにしてはいけない。と大阪の中川さんもいっていた。

 

教師の実践のねらいがどこまで内容や方法につらぬかれているのか、その検証作業は実践記録としてまとめなければ十分にみえてこないのであろう。

 

実践記録をかくことの意義をいつかまとめてみたいとおもう。

 

1月例会はこれにて。おつかれさまでした。