TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

小3フラフッグフットボールの実践―「シンクロ」をキーワードに文化の学びを―

さて、岨さんの基調提案のあとは実践報告が2つありました。

 

1つは半崎さんのフラッグフットボールの実践(小3)です。

 

半崎さんの実践報告はプロジェクト・例会での実践計画づくりにはじまり、昨年の合同1月例会、大阪GGP合同プロジェクト、全国研究大会ときて、再び合同1月例会にかえってきたものでした。

 

報告する毎に半崎さんは実践記録に分析をつけくわえていくので、そのぶん実践記録がゆたかになり、議論の質が高っていると感じます。これはまさに岨さんの5つの「かく」サイクルの「③汗をかく、恥をかく、④視点を手に入れ、益々書く」にあたるものですね。

 

さて、半崎さんの実践はこだわりの実践でいくつかのねらいが共存しております。背景としては、今まで技術指導の系統性をかんがえるのに手一杯だった半崎さん自身の、子どもたちとむきあう挑戦的実践をこころみたい(一皮むけたい)というおもいがあります。すばらしいですね。

 

①パスプレイをふくむ3:3で子どもたちに戦術を駆使したゲームをたのしませたい。(これまでパスプレイは導入してこなかった)

 

②フラフトの文化的特性をふくむキーワードとして「シンクロ」をもちいてみる。(これまで文化性を意識してこなかった)

 

③運動能力がひくく運動にたいして劣等感をつよくもつ「できないM」が心からたのしいと思える授業がしたい。勝敗がからむとまわりがみえなくなる「できるH」がグループ学習での教え合い・考え合いをかいして仲間とともにうまくなり、勝敗以外でもたのしさをかんじられる授業がしたい。(これまであまりグループ学習を意識してこなかった)

 

こうしてみると今回の実践は半崎さんにとって転機としたい実践だったんだなとおもいます。実践の概要については『たのしい体育・スポーツ』2014年1・2月合併号と7・8月合併号をごらんください。

 

ここでは、半崎さんが子どもたちにキーワードとして提示した「シンクロ」についてかんがえてみたいとおもいます。

 

 半崎さんの実践は昨年の1月例会で川口智久さんが述べた「シンクロ」という言葉が子どもたちにもわかりやすいものであるということ、そして「シンクロ」という言葉がフラフト文化を理解することにつなげられるかもしれないと考えたことにヒントをえていました。

 

その川口さんがフラッグフットボールの特集をくんだ『たのしい体育・スポーツ』2014年3月号に「アメリカン・フットボールの成立過程とその社会的背景」と題して6頁の論考を執筆しております。それらを参考にしてかんがえてみました。


「シンクロ」とはフラッグフットボールの原型となるアメリカンフットボールに内在するプレイの思想性(開拓者精神)をさします。

 

アメリカの開拓者はかつてそれぞれの役割をいかして慎重に西海岸へとフロンティアラインをおしすすめました。

 

戦地では確実に相手を制圧する計画的な進行が不可欠です。それぞれが仲間の行動を把握しながら自分の役割を完璧に遂行していくことがもとめられます。仲間の行動と自分の行動の計画的なタイミング(必ずしも同時ではない)の一致が必要不可欠となります。

 

こうしてチームが団結し意図的・計画的な意志を共有させ攻防を展開することを川口さんは「シンクロ」という言葉で表現したのです。

 

個人的な見解ですけれど、シンクロとは戦術・技術のシンクロとともに仲間とおもいを一つにして成功するぞ!という想いのシンクロもありそうですね。

 

では半崎さんの今回の実践では「シンクロ」という言葉がどうつかわれたのでしょうか。

 

実は、「シンクロナイズドスイミング」の「シンクロ」をイメージとしておしえてしまったので、子どもたちは「同時に動くこと」や「同じ動作をすること」が「シンクロ」だとおもいこんでしまいました。そのため実践の序盤は「シンクロ」という言葉でフェイントやブロックの質が問題とされていったのですが、ディフェンスがうまくなり、それぞれの役割がでてくるころ「シンクロ」という言葉は自然ときえていきました。むしろ動作レベルの「シンクロ」イメージが戦術的思考の邪魔にもなってしまったのです。無念。

 

ということで、半崎さんの課題はフラフトでもとめられる戦術や技術(「わかる」中身)は何かを再検討し、それを「シンクロ」という言葉に対応して整理していくこととなりました。

 

またフラフトの戦術・技術に文化的理解をおりこんでいく授業も必要ではないでしょうか。

 

おそらく同時に動く(技術レベルでの)シンクロではなく,別々に動く(戦術レベルでの)シンクロとして言葉を理解させるためにはやはり教室でアメリカンフットボール歴史学習をしていく必要があるんじゃないかなとおもうのです(俗にいう?「教室でする体育」ですね)。

 

その他議論で発見された課題を列記しておきたいとおもいます。

 

①感想文から「できないM」のよい変化(成果)をよみとるとともにあらためてM子にとってよい体育の授業とは何だったのかをふりかえる。

 

②「ディフェンスをだます(みせかける)動き」として技術をとらえなおし,2:2の「わかる」中身を再検討する。

 

③半崎さんはパスプレイをふくむ3:3でじっくりと「わかる」をはぐくみたいとおもい、2:2では「教え込んだ」とのべました。しかし半崎さんのそれは単に教師から子どもへと一方的に指導したわけではなく、指導によって子どもたちのプレイから攻防の発展的関係の必然性をひきだし、そこからみいだされる戦術・技術的ポイントを共通課題としてグループで習熟していく学習集団形成の論理にもとづくものでした。しかし問題は半崎さんも総括しているように子どもの技能習熟の達成具合を評価する方法を十分に準備できなかったことにあり、その結果教師が先へ先へとひっぱりすぎた指導になってしまったのでした。すなわち、半崎さんが「教え込んだ」という言葉は何を意味しているのか、半崎さんはどう理解して使用しているのか,具体的な指導場面をイメージしてふりかえってほしい。

 

さて、これで初日がおわりました。このあとみなさん宿にいき、なんと夜中の2時3時までもりあがっていたようです。その日の研究会の時間よりもながいではないか。おそるべし合宿例会。