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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

講演:「よい体育の授業とは何か」を問うことの意味―自らの実践を,仲間とともに,問い続けていこう。問い続けるあなたこそ主人公―

では早速。

 

第1報告者は基調提案として岨さんから「よい体育の授業とは何か」を問うことの意味、と題した報告でした。

 

「よい体育の授業とは何か」というと高田典衛が有名だが岨さんは何をかたるのであろうか。そんなことを考える人はおおいのでは?

 

1.まずなぜ合同合宿をしたいか、その理由について説明をしてくれました(まとめです)。

 

①以下の文章とおもいはおなじだということ。

「大切なことは目の前の子どもたちの現実や自分の足元を見てこれだという実践課題を設定し、自分自身のエネルギーを心底注ぎ込む『こだわった実践』を行うことです。そして、その実践を支部や学校の同僚、全国の仲間という『まな板』に乗せて集団的に批評検討する、そんな実践研究を若手とベテランがコラボをしながら全国各地で展開すること」(丸山真司『たのしい体育・スポーツ』2015,1・2月合併号)。

 

ん~なるほど、内容もさることながら愛知の人ということでかぶせてきたな(たまたま?)。

 

②「実践記録をかくこと」と「集団検討」を中心として実践の力量をたかめていくこと(兵庫支部の2013・2014年度の活動の重点にのっとって)。

 

これは今年度の愛知でも重視したことで実践記録をかく学習会をした。ちなみにユニークな岨さんの、五つの「かく」サイクルを紹介すると、「①マス目に書く ②頭をかく ③汗をかく、恥をかく ④視点を手に入れ、益々書く」(坂元忠芳『教育実践記録論』を参考に)だそうです。

 

③「ローカルコミュニティレベルの教育実践を拠点としその成果を相互交流すること」(大阪みのお大会―今年の夏の全国研究大会―)第6回推進講座森報告より)。

 

これはちょっと具体的にどんなイメージをめざしているのかわからなかったです。

 

④若者の声を直に聞くこと(「足助のスポーツ図書館に行ってみたい」)。

 

 なんたって今回の宿泊場所のディナーはフランス料理なのだから!同志会らしくない?なんて声がきこえてきそう。愛知の人は定番らしいけど。いや冗談ですよ。

 

 こうしてみると若手からベテランまで現場教師の研究活動への参加を意識しながらも全国的なレベルでの実践的課題を視野にいれる岨さんのめくばりがよくわかります。そしてちょっとしたユニークさも岨さんだなぁとおもうのです。

 

さて、次から本題です。でも、どうもお題とのかかわりがみえにくい・・・。

 

2.次は昨年の全国研究大会(冬大会)での岨さんの発言の背後にあるものの説明でした。

 

岨さん発言とは「グループ学習を授業の分析だけ、学校の中だけの問題にしない。学校の外も視野に入れて捉えていくことが大切ではないか」というものです。

 

その背景には次の3点のおもいがありました。

 

①太田堯さんの「ちがう・かかわる・かわる」をこれからの実践・研究のベースにすべきではないかということ。(詳しくは『全集第2巻』をおよみください。)

 

②昨今の政治的・社会的状況(経済格差の拡大)から子どもを捉えるということ。

 

③体育で形成する社会的統治能力(出原泰明)を視野にいれること。

 自主的・集団的能力・自治的能力、国や地域の主人公にふさわしい広い意味での政治的能力の基礎の形成(スポーツの主体者形成・主人公の育成とはこのこと)

 

ん~~これは最近岨さんが重視していること(学んでいること)をふまえて、自らの問題意識にのっとった実践課題の提示ということでしょう。「よい体育の授業とは何か」をめぐって、こういうふうに広い意味で体育をとらえないとと警鐘しているのであろうか・・・。

 

3.さていよいよ、「よい授業」とは、です。

 

やはりでました、高田典衛(『体育授業入門』)です。さすが岨さん、おさえるところはおさえるなぁ~と関心しました。

 

①教師の側から

 1の段階:場当たり的でお義理でやっているような授業

 2の段階:何とか計画を立てて、まじめに取り組んでいる授業

 3の段階:自分なりに教える内容を絞っている授業

 4の段階:一人ひとりの力を引き出している授業

 5の段階:見ていて感動を覚えるような授業

 

②子どもの側から

 ・せいいっぱい運動させてくれた授業

 ・わざや力を伸ばしてくれた授業

 ・友だちと仲良く学習させてくれた授業

 ・何かを新しく発見させてくれた授業

 

さて、その次が岨さんオリジナルです。

 

③教師が「よい授業」を創造するために

 ・実験的実践をする(課題がある)

 ・子どもの作りだした事実を大切に(ベースに)

 ・学習集団を組織化する力を(方法の共有)

 ・いい教材、教材研究、教材解釈が決め手

 

ん~~内容は確かにわかる。でも、どうして「よい授業」の話の中に、教師が「よい授業」を創造するための姿勢がしめされているのだろうか・・・。悩んでしまいますね。

 

どんどんいきまして、

 

4.岨さんの実践史(省略)

 

5.さあ、これぞ結論、「よい体育の授業とは何か」を問うことの意味、の説明です。

 

まず「よい体育の授業とは何か」をめぐって自らに問われていくことが列挙されます。

 

①どんな体育の授業をしたいのか(目標―内容―方法―評価を問う)

②どんなカリキュラムにしたいのか

③どんな子どもになってほしいのか

④どんな教師になりたいのか

⑤どんな学校にしたいのか

⑥どんな社会になってほしいのか

⑦どんな人間になりたいのか、どんな生き方をしたいのか

⑧どんな仲間がほしいのか

 

ここまでは問う内容の話だ。ようやく岨さんの結論だ。ここで岨さんはよびかけます。

 

よい授業を求め続けることは課題の質と拡がりが生まれる」それは一人では無理。

 

あれれ~~、ん~~~これが結論??

 

ここまでの話の流れで岨さんが何をいいたかったのか、つかみきれなかった。だからこそ「よい体育の授業をするために体育の授業をするわけじゃないのではないか」なんて意見をいってしまった。

 

つまり「よい体育の授業」という言葉が何か典型的なモデル(授業像)をもつものであったとしたら、それは子どもや教師のねらいとはきりはなされた(脱文脈化した)もので、へたをするとその授業像が一人あるきをしてしまう可能性だってある。

 

でも、それに対する岨さんのこたえはどうもかみあわない・・・。どういうことか。

 

報告後に岨さんと話をして、実はようやくわかったことがある。

 

岨さんは最後にこうもよびかけていた。

 

「自分自身がよい授業をしたわけではないけれど、だからこそ仲間と一緒に問い続けることの意味があるのだ」。

 

そして、

 

「武器は実践報告、いい授業だったかは結果、その創造のプロセスこそが大切。あなたこそ主人公」。

 

実は岨さんの報告はここに力点があったのです。岨さんは「よい体育の授業とは何か」をしめすつもりはまったくなかった。だから「よい体育の授業」という典型的な授業像をここでかたるつもりはなかった(高田さんの紹介にとどまった)。むしろ、教師が自分の授業を問い続けることこそが岨さん自信の実践力をつちかってきた柱となっており、自らを証拠物ととらえて、仲間とともに自らの授業を問い続ける教師の姿勢こそ重要なんだとつたえたかったのだ。

 

そうすると話の筋がよやくとおり、すっきりする。4の実践史もそうだし、3の教師が「よい授業」を創造するためにめざす方向性がしめされているのもそう、2も教師が「よい授業」を問うときにその視野を深め・広めるためのものなんだとわかってくる。

 

参加者の半分以上は勘違いをしたままこのセッションをおえることになったんだろうな。。。

 

ところで、話はそれるが教師はどんな問いをもって実践研究にむかっていくべきなんだろうかと考えた。岨さんが列記するように授業はカリキュラムレベル・単元レベル・授業レベルと階層性をもっており、さらには「よい授業」を問うときに子どもにとってまたは教師にとってという「誰にとって」ということも問題となる。さらには教師といっても、岨さんのように授業づくり論や教師の成長論としてもかたることができる。なので、「よい」の前に何か言葉をつけて限定的な問いにしていく必要があるでしょう。自分としては、「この子どもにとってよい体育の授業とは何か」を問うことに意味があるんじゃないかと考えた。でも一方でそれは体育の独自性をうしなう可能性がある。教科としての論理と子どもの論理を統一するような問いとして「この子どもにとってよい体育の授業とは何か」という問いを大切にしていきたいと思う。

 

でもその前に教師のねらいが明確にされないといけない。実践記録をかいした実践研究(教師と実践記録)についてはまたいつか。。。