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TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

ゆれうごくSさんの研究関心(大学生の卒業論文奮闘記)

今日は大学のゼミナールで3年生が卒業論文のテーマ発表にむけて関心のあることを報告しました。

 

大学生は4年生の卒業時に「卒業論文」なるものをまとめあげなければ卒業できません(まとめなくてもよい大学もあります)。

 

もうすぐ4年生のSさんはまだテーマがゆれうごいている様子です。その様子を報告したいと思います。

 

まずは前々回のゼミ発表です。Sさんは小学校にスクールボランティアとしてかよっており、そこである出来事に遭遇します。

 

外国籍児童の問題でした。

 

 日本語がとぼしく友だちとのコミュニケーションがとれない日々。そんなときにサッカーの授業がはじまります。するとその子どもはいきいきと授業に参加し、これまでかかわりがうすかった学級の子どもたちとサッカーをとおして関係をもつようになりました。授業間の休憩の時間にもサッカーをするようになり、サッカーをとおして友達との共通言語やジェスチャーを学習し、コミュニケーションをすることができるようになったのです。

 

Sさんはスクールボランティアとしてこの一連の変化を観察し、ともにサッカー遊びにも参加しながら外国籍児童と他の子どもたちとの関係がゆたかになっていくことを実感しました。そこでこの体験(事実)にどのような意味がふくまれているのかを理解することから卒業論文の研究テーマをさぐろうとしたのです。

 

そしておもいたちます。

「体育のサッカーが子どもたちをつないだ、外国籍児童の子どもにとって体育とは何だ!」

 

そして議論では運動場面では言葉が何を意味しているのかがわかりやすいとか、身体的なコミュニケーションがあるんだとか様々な意見がかわされるなかで、外国籍児童との「異質協同の学び」というキーワードがでてきました。

 

そこで出原泰明著『異質協同の学び』(2004、創文企画)をよんで次回のゼミでその一部を報告し、内容をみんなで理解していきました。

 

その後勉強会であったので話をきいたところ、

 

「グループ学習でフラッグフットボールをやることにました!」

 

「・・・なんだって!?

 

外国籍児童の子をどうするのかってあの話はいずこへ?」

 

うろたえるSさん・・・。

 

学部生のころは特にこういうことがよくあるなと思います。自分が勉強したことにひっぱられて自分のそもそもの疑問や体験がどこかにいってしまうケースです。

 

たしかにグループ学習も外国籍児童の問題もともに「人間関係(コミュニケーション)」を課題にしているけれども、視点はまったくちがいます。

 

そして今日のゼミ発表です。話をきいてみるとSさんは再びスクールボランティアで、グループ学習の利点を感じたようです。『異質協同の学び』をよんだ後のことです。興味がでてきたのでしょう。

 

 ボランティア先の学校では理科の時間にグループ学習をしていました。そこではそれぞれの子どもたちが自分の意見を発表し、自分とは別の意見がでると自分の意見を再吟味する姿がみられ、さらにはみんなで1つの意見に集約していくよう納得するまで議論をおこなっていました。Sさんはその光景をみてグループ学習の教育的価値について関心をもつようになりました。

 

そしておもいたちます。

 「異質協同の学びって、なんだろう。何がおこっているのだろう。子どもたちがゆたかな学習を展開するグループ学習をもっと知りたい!」

 

 こうしてSさんのキーワードは「外国籍児童」「体育」「異質協同の学び」となりました。当然Sさんを整理させるための質問がとびかいます。

 

外国籍児童の子どもが体育でこそ子どもたちと関係をむすんでいくのはなぜだろう」

 

「そういえば、体育って子どもたちの関係をむすぶためにやるの?」

 

Sさん「いやー結果として形成される人間関係に着目するんだよ。でも、体育のグループ学習もテーマとしてやっていきたいな・・・」

 

外国籍児童の子どもが学校生活をゆたかなものになるようにするためにはどんな異質協同の学びが必要なのかが考えたいのではなかったっけ?」

 

「Sさんが考える『異質協同の学び』って体育授業のこと?学級生活全体のこと?」

 

Sさんは終始たじろいだままです。問題は外国籍児童の子どもについて自分が何を問題としているのか、事実をあらいざらいだして整理しないままに、教科におけるグループ学習にとびついてしまったことにあるのかなと思います。

 

自分としては自分が心をつきうごかされた体験の中で何が問題なのかをめぐって、自分がいったい教育に何をもとめているのか、なぜそのことに疑問をもつのか、自分のものの見方や考え方、そしてその背景にあるものととことんむきあっていってほしい。

 

そういえば、賢い子どもの感想文は表現力に本音がかくれてしまっているとSさんはいっていた。なんとなくそれとにているのかな。

 

なるべくこちらが整理するのではなく、Sさん自身で整理ができるよういろんな問いをなげかけていこうとおもっています。けっしてSっけをSさんにぶつけようとしているわけではありませんからね。

 

がんばれSさん!