TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

愛知支部11月例会まとめ

報告「子どもの変化・変容をどのように読み取るのか?」のまとめ

 

1.報告の前提として3つの話

 

 

①近年障碍者をめぐる新たな条約や法律が制定される一方で、相模原市の事件のようにまだまだ人権意識の後進国となっているわが国においては、まず教師が人権意識(障害者権利条約第24条)をもって学校づくりをすることが大切。

 

 

②学校は本来「仲間とともに学び合い、文化を享受するところ」であるが、近年「ともに」文化を享受することが困難な状況が生まれており、そこをどう克服していくのかが問われている。

 

③障碍児教育に携わる教師の仕事は、「障害のあることでの生きづらさや苦しみを聞き取り寄り添い、子どもたちの願いや要求を育む文化を『ともに』創り出すこと」にあり「それが創り出せるかどうかが子どもの変容を生み出す鍵」ではないか。

 

2.障害者権利条約第24条が問うこと

 

 

 障害者権利条約第24条では⑴子どもたちが人間として尊重され、大切にされること、⑵それを通して自分自身の尊厳に気づき、自分や人を大切にしようとする人権意識を育てること、⑶潜在的な能力を十分に発揮できる教育内容の創造、⑷自由な社会に効果的に参加することができるようにすることが問われており、具体的には次のような実践的課題がある。

 

①1人ひとりが大切にされる:本人が思ったこと・感じたことが大事にされなければ、その子が大切にされたとは言えない。「違っていていいが当たり前」の対等・平等な関係づくりをめざす。

 

②子どもが「わかって、できる」能力を主体的に発揮できる活動や文化を保障する:子どもは今の能力を発揮することで次の発達要求が芽生えてくる。そのため本来もっている能力を発揮できるよう、子どもが「手応えと達成感」をもって「主体的」に取り組める教材づくりをめざす。

 

③「将来のために○○できないといけない」ではなく「『今の充実』」の積み上げが将来の充実につながる」:近年の就労重視の教育では子どもたちの発達要求は満たされず、将来も自分の要求がわからず自分の楽しみを見つけられない不安定な生活となってしまう。そうではなく「今の充実」が積み重なり、「楽しい経験の蓄積」や「自分の楽しみへの理解」が将来の生活の安定につながる。

 

④自由な社会に効果的に参加できるようにするには、社会的障壁を取り除くこと、周りの人の差別意識をなくすことや人権意識こそが大切になる。

 

3.特別支援学校ならではの?「3とも」の捉え方

①ともにうまくなる:①を「身体を動かすことの気持ち良さを味わう」「身体操作(自己調整)による達成感を味わう」領域として捉える。この領域を通して、自分の身体やうまくなれる自分(まんざらでもない自分)への肯定観と信頼感を育んでいく。また身体を動かすことで新しい自分との出会いの場にもなる。

 

②ともにパフォーマンスを楽しむ:自閉症の子どもは競争意識がなく「ともに楽しみ競い合う」では実態とのズレが生じてしまう。そこで「競い合う」その前の前には何がある?と考え、「ともに楽しみ、パフォーマンスし合う」(2011)・「ともにパフォーマンスを楽しむ」(今回)という表現に修正し、これならば多様な子どもたちの実態が含意される。そしてこの一部に①があり同時に「うまくならなくてもおもしろい世界がある」ことも含まれる。

 

③ともに意味を問い直す:子どもたちは自分に意味のないものは取り組まない。自分にとってたのしく、学びがいや達成感のあるものを求め、自分にとっての意味を見出した時に、主体的に能力を発揮する。その要求を汲み取るために教師は常に子どもの行動の背後に必ずある、その子の思いや感じたことや意味を「聞き取り、読み取る」=教師の「意味の問い直し」が必要となる。子どもの行動や言動に「なぜ?」と問い、仮説を立てて「どのように」を吟味して、課題を探る。ここでは教師と子どものViEWには必ず「ズレ」があるという自覚が必要となる。また教師集団で子どもの事実を交流しあわなければその子のまるごとが見えない。こうして教師(集団)の「意味の問い直し」は活動ごとに繰り返し実施されるものとなる。教師自身が教育実践を通して子ども観・障害観・発達観・教科観・集団観・学校観・教育観・社会観を問い直していくことが土台にならなければ①や②の領域の豊かさは保障されない。「ともに意味を問い直す」は出発点となる土台であるとともに、繰り返し立ち返る土台でもある。

 

4.子どもの変化・変容を見ていく視点

 

 教育実践を通して子どもにとっての意味を問い直す際、子どもの変化・変容を「どう」読み取るのかの方向が大事になる。すなわち、教師はまず「子どもの何が変化したら嬉しいのか?」と自分に問うことが必要となる。意味や価値を「どう」読み取るかは、具体的には次のような視点がある。

 

①発達的視点:「困った行動」は発達課題(わかって、できる力)に見合う活動が保障されなかったり、人間関係が満たされなかったときにでてくる。生活年齢とのギャップや興味関心を丁寧に見る。

 

 

②障害の視点:障害や障害ゆえの苦しみ・悲しさ、障害に関する自身の受け止め方などについての理解を深め、それが「わかる・できる・ともに」にどんな影響があるのかを読み取る。

 

③生活実態の視点:親の支え、生活・家庭環境、誰とどんな活動を共有できるか、困り感をどんな伝え方をするかなどを読み取る。

⑴「ともに」を探る:「教師とともに」から「仲間とともに」へと広げていく。このとき、友だちの存在への意識・葛藤・矛盾がうまれる。そこから「手応えと達成感」のある教材を媒介として「みんなとともに」の世界を味わわせる。この見通しの中で子どもの現在の「ともに」の位置を探る。場の共有・目標の共有・目的の共有・感情の交流・意味や価値の共有がどこまでできるのか。

 

⑵「活動を楽しむ」有り様を探る:コミュニケーション的有り様(要求実現に向けてのやりとり・NOのやりとり・間や切り替え・感情交流・困難の乗り越え様)・言葉や認識の深まり・主体的な身体・手指の操作の有り様-自己調整の有り様・自分からの工夫や試行錯誤の広がりなど

 

 

⑶時間的なつながりの中での変化を探る:単元ごとと授業での読み取り・長い目で子どもたちの変化を捉えること・それでも各授業やその時々の読み取りの積み重ねで見えてくる。

 

⑷授業・題材の深まりの中で変化を探る:子どもと教材理解の深まり・ねらいと意図に立ち戻って。  

 

所感:関心にそって考えたこと2つ。

 

 3ともが全発達階梯の実践を柔軟に分析している包括的なモデルであると考えるとき、特別支援学校の視点から3ともを独自に解釈してきた点が興味深い。独自の解釈の典型例であると思う。「私の○とも」の発想が大事。

 

 「ともに」の困難性があらわれている今日だからこそ、子どもをどのように読み取るのかの「どう」の方向性が何より大切で、教科観・教材観・授業観・子ども観の問い直しが不可欠。

 

研究会:特別支援学校実践報告

研究会案内(子ども理解・特別支援学校の実践)

 

11月23日(水)13:00〜18:00
愛知青年会館(伏見駅から徒歩10分程)

 

大宮とも子さん(特別支援学校教諭)
「子どもの変化・変容をどう読み取るのか」

堤吉郎(日本福祉大学

「大宮実践から特別な教育ニーズについて考える」

 

大宮さんの、子どもの行動の背後にある思いや願いに気づくために教材を媒介として子どもたちに働きかける過程がおもしろいです。どの発達階梯にも通ずるものがある、子ども理解の手法です。大宮さんのすぐれているのは教育目標を柱に据え、関連の中で教材や働きかけを行っていること。その教材を介した対話的関係のつくり方(その過程)に刺激を受けるかと思います。

 

案内(貼り付け)
特別支援教育は教育の原点である。ひとりひとりの子どもを本当に大切にする。大宮さんは特別支援学校で長い間、実践を積み重ねてきた。現場でひとりひとりと向き合う中で教育の原点にあたるものを見つけてきた。人権意識が薄くなっている社会の中で子どもの人権を守ることはできるのか。私たちは自分の実践においてひとりひとりをおろさかにしてはいないか。子どもたちが手応えを感じ達成感を得る実践を行うためには、教師にどんな力が求められるのか。大宮さんの「できる・わかる・ともに」の教育からたくさんのことを学びたい。きっと自分の実践にはねかえってくる。ひとりでも多くの同僚をさそって議論に参加してほしい。

自分たちの練習計画をたてて実践する授業

体育における学習内容に焦点をあてたら、

 

「わかる、できる、考える」というスローガンが頭に浮上する。

 

もっというと

「わかる(知識)、できる(技能)、考える(思考・創造)、生きる(価値観)」

みたいな。

 

ここでの考える活動をいれようとするならば、確認する・たしかめる、検証する・実験する・調査する、ふりかえる・総括する、そういった活動がくっついてくることになる。

 

考える活動とその他の学習方法との関連を検討することは近年の教育界の動向においてももとめられていることで、いずれ検討したい。

 

さて、今回は前回のつづき。

 

小5のホールディングバレー実践ではねらいの1つに、「自分たちの練習計画をたてて実践する」ことがくみこまれていた。

 

そのための手立ては以下のようであった。

 

①3:3の段階で「穴をうめるフォーメーションを考える」時間をつくり、自分たちのフォーメーションをつくり、実践させた。

 

②3:3の段階で自分たちで練習計画をたててとりくませた。

 

③4:4の段階でゲーム調査から自分たちは攻撃(アタック率)重視なのか、守備(ラリー回数)重視なのか、その特徴を理解させる。そしてバレーボールのおもしろさについて考えた上で、最終ゲームにむけて、自分たちはどんなゲームをめざして、どんな練習を計画していくのかを考えさせ、実践させる。

 

④その際、自分たちはブロックをいれるのかいれないのかを考えさせてフォーメーションを考えさせる。

 

ここでのポイントは、

 

「 自分たちで練習計画を立てさせる際に、見通しをもたせている、ということ。 」

 

そのための手立てとして、

(1)感覚づくりとして授業開始はいつも基本の練習を自分たちで進める展開となっており、自主練習の見通しをもたせていた。

 

(2)3:3の段階で失敗も想定しながら自主練習に取り組ませている(本番の1回でおわらせない)。

 

(3)「自分たちのチームの特徴」を提示する。

 ゲーム調査(ボールの落下位置調査)から総アタック数、ラリー回数、アタック決定率を算出し、その結果から自分たちが攻撃・守備のどちらが強く・弱いのかを提示している。じゃあ、どうするか、という見通しを立てやすくなる。

 

(4)リーグ戦の目標をチームで合意させる。

 バレーボールのおもしろさってどんなところにあるのかを発問によってひきだしながら、自分たちのゲームイメージを考えさせた上で、それに近づくための練習を組織している。

 

 ※ここでバレーの文化学習をしくんでもよかったのかもな〜。

 

(5)したがって、まず方法に関わる経験(失敗もふくむ)を1度させておいた上で、次は「目標(どんなバレーにするか)」をみすえ、「現状(自分たちのチームの特徴)」を把握し、「計画(どんな課題解決にとりくむのか)」づくりをとりくませている。

 

これまで主体的・自主的なグループ練習については実践されてきたけれど、こうした具体的な方法論については議論されてこなかったのではないか。

 

※「みんなでみんながうまくなる上で有効な『わかる中身』」を探求しないと、こうしたものはみえないからなのだろう。

 

「足場づくり」の方法論とでもいうのであろうか。

 

「はい、じゃあ自分たちで練習してうまくなる時間だよ〜」といって放任になるのではない。

 

これがすぐれた実践の仕掛けだなとおもう。

 

ただ、まだ十分に整理されていないのでもう少し考えていきたい。

 

ところで、どうして自分たちの練習計画をたてさせるのだろう。

 

それはスポーツを自分たちで組織していく力をつけることは、生涯スポーツにつながるから、と、そういうことになるのであろうか。

 

かつて草深さんはスポーツ権利主体にふさわしく獲得されるべき3つの権利と学力について述べていた。

 

(1)すべての子どもがスポーツを自ら行いうるような技能的・技術的能力(スポーツ享受の権利

 

(2)スポーツ自治の権利とかかわって子どもたちがスポーツを組織・運営・管理していく能力

 

(3)スポーツ行政保障請求の権利スポーツ政策関与権)にかかわるスポーツの社会科学的認識

 

このうちの(2)にあたるということだろう。

 

スポーツ活動を自分たちで組織・運営していく力をつけることが学習権としてとらえられている。消費スポーツが発展する中、自分たちのたのしみとして組織する力をつける環境がうすまってきている、という現状認識がここにあるのではないか。

 

でも、小5から?という疑問もうかぶのかな。

 

でも、小5からやらないと?という疑問もあるし。

 

いったい小学校の段階で、自主練習の学習をいれる意義をどう考えていけば良いのだろうか。これについては再考の余地があるとおもう。

 

・ゲームの位置づけを学ぶため?

 ゲーム=次の練習課題をみちびきだす手段。

 

・「自分たちで練習してうまくなった経験」に主体者形成にふさわしい意義がこめられているのかもしれない。

 失敗した経験も宝だ。ここが見落とされる危険性はここにあるかもしれない。ただ、失敗の先に成功がないと見通しはうまれない、ともいえる。これまでの学習をふまえて自分たちで考えた目標、内容、方法、評価をいかす。「自分たちはどうありたいか」「どんなプレー・ゲームをめざすのか」というのは「自分たちの考え方」も学習の対象にしていくものである。

 

・社会科学的内容との関連がもてる。

 自分たちはどんなゲームをめざすのかという合意形成の時間を組織する際には、教材の文化的なおもしろさなどを歴史的経緯とともに学習していくことが可能となる。独自ルールを創造している際には必要にもなる。 

 

うーん、少しあげてみたが、今回の実践の子どもたちの感想から「考える」活動があったからこそうまれた内容がどこにあるのかをさぐってみたいと思う。ヒントがあるかな。

 

そういえば、ある子が「自分で考え行動する」ことを学んだと記述していた。「考える」ことを大事にした学習ではそんな感想がでるのかと驚いた。

 

バレーボールではチームプレーだが、そのボールをとりにいくのかいかないのか、どこにパスをするのか、といった予測・判断が1人ひとりにもとめられる。

 

チームプレーだけど1人ひとりが役割を意識してするべきことを考える。

 

また授業ではポイントを探求し、課題をみつけ、課題解決方法(たとえばフォーメーションの組み立て方)を考え、練習していく、といったサイクルが大事にされていて、考えて練習していくとうまくなれるしたのしくなることに気づいていく。

 

こうした経験が上記の感想に裏打ちされているだろう。他にもあるかな〜。

 

それとやっぱり現代スポーツはますます消費スポーツ化している、という事情を考慮する必要がある。戦術や技術はお金でかえる時代なのだ。

 

うまくしてどうする?どんな組織領域の学習がいるの?

 

この問いとともに、あらためて運動文化の組織領域の学習内容について目標ー内容ー方法を考えていく必要がありそう。うーん。

 

※5月の博多。

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ホールディングバレー:4人目の位置づけについて

明日開催されるホールディングバレーボールの実践報告のための準備におわれている。

 

連日実践者のかたがかよってきてくれて、いきおいがすごい。

 

そのいきおいは、分析のおもしろさからうまれる。

 

実践を分析するなかで、今回、「あれ、以外とやるじゃん」という発見があった。

 

それに、次につながる多様な発見もあった。本質につながる子どもの記述もあった。

 

これだから、実践報告をする、ということの意義はおおきい。実践報告をする、というのは、実践報告をする準備過程と議論過程と次の実践を構想する過程の3点において学びが開かれている。

 

さて、この実践は小5の実践だ。

 

いくつかねらいがある。

 

メインは指導系統の開発にあり、

 

「 3:3から4:4への発展過程は、

     ブロッカーの必要性をひきとって展開する、

                      でいいのか? 」

 

というもの。

 

ブロッカー導入後、実践においては「4人目は守る人になるほうがよいのではないか」という子どもの声をうけて、「4人目をブロッカーにするか、4人で守るのか、どちらか選択する」という学習活動を展開した。

 

すると、6班中2つの班はブロッカーを設定しなかった。

 

こうした動向からブロックははやかったかなぁと実践者はおもっていたが、どうも感想文と映像データを調べてみると次のような特徴がみられた。

 

①たしかに初めはネットからはなれてとんでいたり、打ったらとぶというようにタイミングが遅かったり、フォーメーションに混乱がでてきたりしていた。でも、映像をみるかぎり、能力的に、認識的に問題があるとは考えられなかった。

 

②クラスのほとんどの子がブロックについての気づきを感想に記入している。しかもその内容は、①ブロック技術のポイント、②ブロックの役割(コースの制限)、③ブロックカバーの必要性、④ブロックをかわした攻撃、といったように、ブロックの戦術・技術認識につながる豊かな記述がちりばめられていた。

 

③その後、教え合いやグループ練習をへて、へたな子もブロックができるようになってきた記述が3班にみられた。

 

④ブロックができないことを問題にしている班は、「全力で」「がんばれば」といった根性論がキャプテンを中心に広がっている班であり、ブロックについての戦術・技術的な記述がみられない。

 

これらをあげたときに、どうもブロックの導入に問題があったわけではなさそうということになった。今回は時間やねらいの上で、ブロックの共通のわからせたい中身を用意していなかっただけで、ブロックの導入によって十分にゲームの質が高まっている。

 

ブロックによっていいことは、緊張感が持続する、ということ。相手がどこからいつ攻撃してくるのかを構えているから、ボールが相手コートに入ったときでも「いつか、どこか」を見極めようと相手の動向に集中するのである。

 

それの緊張に影響をうけてか、後ろにいる人たちにも緊張がうつっているのが映像からよくわかる。

 

緊張感がゲームにうまれている。

 

ただいくつかの論点もみつかってきた。

 

(1)ブロックの指導系統の確率

 昨年の実践でディフェンスは①「構え」(アタッカーに正対して腰をおとしてフットワークを軽くする)②「分担」(アタッカーがねらう穴(スペース)をなくすフォーメーションをつくる)③「予測・判断」(トスやアタッカーの特徴からどこに打つのかを予測して守る)が指導系統になるのではないか、という話となった。

 

今回のブロックでは感想をみていると、まだ詳しくみていないがこんな感じになろうか。①「ブロックそのものの技術」(手を上げて高くとぶ、ネットにはりつく(が、前にとばない)、おとすのではなく手のひらを前にむけてはじき返す、役割:コースを制限する、など)②「ブロックをとぶかとばないかの判断」(相手のトスやアタッカーの状態からとぶかとばないかを判断する)③「ブロックとフォーメーションの連携を考える」といったものになるのだろうか。

 

(2)4人目の導入時に、「背が低いから」といった能力的消極論を理由にした4人レシーブ体制の選択ではなく、戦術・技術論を背景にもしてどう「ブロックあり・なし」を選択させるのか。

 

(3)おもしろさの質の違いはどうなっているか。

 3:3は「予測」まで到達したときに「かけひきをふくむラリー」をたのしむようになっていた。そしてブロックが投入されると、「ブロッカーによるアタッカーの打つ方向の予測」がはいってくる。そのあと、「ブロッカーをかわすコンビネーション」がはいってくるのだろう。つまり、バレーボールのおもしろさをひきだす「かけひき」の質が、①空間(スペース)をめぐる直接的攻防から、②ネット際の攻防へと場面転換がなされている。

 どうも②の部分のどんな「かけひき」をひきだすのか、という点については今後の検討課題である。ひとまず、「ブロックをとぶかとばないか → 強いアタックをうつか、遠いアタックをうつか」という判断に焦点化するとよいのかなという提案をしておこう。

 

 どんなかけひきのおもしろさをひきだすのか、それがバレー型としての特質をどうふくんでいるのか検討していく必要がある。

 

(4)指導系統は3:3から4:4ではなく、5:5か?

 この点は明日も議論したいところだ。ひょっとしたら、5:5になるのではないだろうか。矢部さんの指導系統も3:3から5:5だ。それはフォーメーション上、Dfの動き方がそのまま生きるからである。となると、3:3から4:4でいかされることも考慮しなければならない。

 

さて、次は「自分たちで練習計画をたてる」ことについて。

 

※サイクリングロード、う、なんでもない。

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前期最後の授業・・・

今日は前期最後の授業であった。

 

科目はバレーとフラフト。

 

両科目とも、メッセージとしては、「道具やコート、ルールなどを工夫することでいろんなたのしみ方がうまれる」ことを理解してもらい、地域スポーツで実際にバレーやフラフトを組織する際の参考になる知識を獲得してもらうことである。

 

ただ、これは「比較してみよう」とか「やってみよう」といった方法がメインで、あんまり本来のメッセージで学習内容を貫徹させられなかったなとおもう。

 

たとえば、地域のPTA種目でつかえる、とか、老若男女が参加できる大会を組織する、とか、経験者・未経験者が一緒にプレーしてうまくなる大会を組織する、といった状況設定をしっかりしてあげられたら、もっと気づいた点などがあったのかもしれないな。

 

さて、ちょっと具体的に。

 

(1)フラフトは、フラフトが大きくわけて4つのリーグや協会があること、それからアメリカでは7対7の新しいゲームがでてきていることなどを紹介した上で、タオルでの5対5を実践してみた。

 

あと、NFLルールで、ブロックありとなしルールの比較をおこなった。

 

最後のゲームということもあって、習熟してきているし、見応えのある展開となった。

 

ただ気になったのは、いつも指示している人が同じ、ということ。

 

片方のチームは人数が多いから交代制で指示する人がなんとなく変化しているが、片方のチームは休みが多くて交代できないから、同じ人が指示をだしつづける状態となった。

 

小学校ではQB輪番制かつQBが作戦をきめる、という実践がなされている。これを導入する価値はたしかにあるなとおもった。指示まちだけのプレーヤーがきになった。

 

ところで、アメリカで流行している7対7の映像をみるとおもしろいことにきづく。

 

それは、スクリメージラインをこえてもバックワードパス(ピッチ)が可能となっている、ということだ。

 

またブロックも条件つきで許容されたり、かなり接触が許容されているものもある。

 

パントがあって、攻守交替時はスタートラインからの攻撃ではない。

 

つまり、きわめて、アメフトに近づいているのである。

 

全米の若者で広がっている、ということにやはり必然を感じざるをえない。やはりアメフト型のフラフトを要望する声が大きくなっているのではないだろうか。

 

肝心の地域スポーツとして組織するための力、という点ではちょっと課題を感じた。最初にのべたように状況を説明する必要があったとおもう。

 

もう1つは、フラフトを通して、地域スポーツを展開する上で、共通の原則として、学習させていく必要があったということ。

 

フラフトではなくても、自分の得意種目でもいろんなルールの工夫のされ方がある、それは能力差をこえてみんながたのしみ競い合うための手段となっている。

 

この点をもっと強調してもよかったかな。

 

(2)それからバレーでは、最初に宮城・高知・愛知(・東京)で実施されている地域バレーの映像をみせた上で、いろんな工夫があることをつたえ、そして、①ミックスバレーのルールと、②ホールディングバレーのルールを実施してみようとなげかけた。

 

①ミックスバレーは制限がない場合が多いが、場合によっては男子はバックアタックのみというものがあった。ただし、未経験者の方が多い実習では、難しそうだった。

 

そこで、経験者の男子はバックアタックのみとした。

 

それで結構経験者も強く打てるし、テクニックも問われるから、たのしめていたのではないだろうか。

 

②ホールディングバレーはコンビネーションに関わる説明を不足したためにやや単調な試合はこびとなってしまった。ただ、結構もりあがった。確実にスパイクにいけるところがやはり初心者の場合はいいなとおもった。

 

やはり、地域スポーツを展開する上での原則を伝える、という目標設定の方がよかったようにおもった。

 

また文化としてのスポーツをたのしむ、という点はないなぁとおもった。

 

次回、テスト前に少しだけそのあたりの説明ができるだろうか。

 

ちょっと考えてみたい。

 

さて、ひとまず前期はテストをのこして、これでおわり。

 

なんとか、のりきれたね・・・。うまくいったことよりうまくいかなかったことの方がおおいけれど、しっかり総括して、実践報告をしていきたいとおもう。

 

ひとまず、今日まで、おつかれさまでした。(自分に)

 

※足助の真弓橋

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例会のもち方

昨日の例会では昨今の社会・教育情勢、会の研究の到達点等を前半に学習会をした。

 

そして話は支部としての取り組みで「何のために」という点を本当にみんな大切だとおもっているのか?という問題提起から広がっていく。

 

というのも、支部テーマが近年変更されていないという問題があって、ず〜と同じテーマを追求していることになる。でも成果が蓄積されているわけではない。

 

本来ならば1つのテーマですすんだときにその1年でみえてきた成果が次のテーマに反映されていくはずなのにそうなっているわけではない。

 

だから、テーマにしめされた目標部分がちゃんと支部の1人ひとりのものになっているのかを問題にしなければならないとおもう。

 

そこで、

 

国民運動文化とその体制の創造とか、運動文化の民主的な継承・発展・変革・創造の主体者形成というけれど、目の前の事実からその先に何が広がっているのかを考えているのか、目標部分が自分たち1人ひとりのものになっているのか、という問いがだされる。

 

そこから、じゃあどうゆう活動をしていくか、それには①自分たちの実践をもとにテーマにそって自分なりに考察をしていく、②すぐれた実践家・研究者の学習会とそれをうけた自分たちでのシンポジウムを開催して実践に切り込む視点をえて、その上で①にはいる、ということが提案された。

 

自分としては①である、②は外部の人に視点をもらう、ということもあって、自分の考えを膨らます、内省する経験が不足するのではないか、とおもう。

 

ただし、それはシンポジウムの仕掛け方の問題であろう。

 

とはいえ、ここで勉強になったなとおもったのは次のこと。

 

(1)外から人をよぶのは、自分たちが事前学習をしたり事後学習をすることを覚悟した上でのことであるべき。

 

 外から人をよんで最近の事情をしって、はいおわり。というのがよくあるパターンである。そうではなくて、外から人をよんで指定討論者をおいたり、議論の方向をねったりと、事前学習を必然化していくことがセットであるべき。なるほど。学習する組織というときに、自分たちの自学がプロセス化される必要があるんだなぁ。

 

(2)1度の例会で完結しない。

 

 実践報告はだいたい担当の実践者が報告して、議論して、おわる。その日のうちに議論されるけれど、その後、その実践をもとに議論する時間が設定されていないから、次の例会は次の例会として開催される。そうすると実践の相互的な高まりがうすまるし(重要)、内容としてのつながり、研究の蓄積がえられない。自分はどううけとめたのかのコメントを交流する、といったことが必要なのかもしれないな。かつてはそれが常任だったけれど、みんなのものになるようにするなら、例会だな。

 

(3)各部局の役割分担=きりわけの問題

 

 研究局、編集、事務といった局がある。また支部長などの役職もある。しかし、あの人は何局だから、とか、支部長だから、と考えて研究活動上はきりわけて考えてしまう場合が多かったようにおもう。研究局としては、支部長でも何局でもその人から学ぶ、そのために学習会として報告を要求したりしていいのであろう。重鎮に要求したっていい。

 

学習する組織づくりの原則的なものを今回の例会では考えさせられた。

 

今月末に拡大会議がある。そこでじっくり議論できたらよいなぁ。

 

※いろんな灯

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練習方法を学ばせるための指導系統

これまでうまくなるための指導系統を考えてきたときに、

 

前の学習内容が次の学習内容にふくまれて発展されていくよう構想されることが必要となる。

 

フラフトなら

 

1:1でフェイントや相手をひきつける戦術を学習し、

 

2:1でブロックが出現するとともに、フェイントをしてCがDfの真横につく方法を学習していく

 

その後、2:2のランから2:2のフォワードパスへと発展し、

 

3:3でハンドオフとフォワードパスをくみあわせた典型作戦からこれまで学習してきた戦術を学習する。

 

4:4でNFLルールにひきつけて、ポジションパターンをこちらから提示して作戦の立案・実施・修正・練習を学習する。

 

最後は5:5。

 

本格的なグループ練習は3:3で開始され始める。ただしフラフトの場合は新しい競技ということもあって練習方法を把握している人がいない。となると、2つのことが考えられる。

 

(1)指導系統の最初の段階から、習熟練習の方法を提示して相互観察・評価の方法を学習させていく。

 

(2)3:3より以下で学べることは基礎練習として位置づけ、1:1、2:1、2:2などは練習方法の1つとして学習させていく。

 

これまで(1)がいいかなとおもっていたが、ふと(2)もありなんじゃないかとおもってきた。

 

小学校の場合は興味・関心の発展からして(1)になりそうだが、中(3)・高あたりだと、どうだろう。

 

系統的指導の探求の中でみえてきた学べきことがらを発達段階に適応させたとき、柔軟な指導の道筋をつくることができるのではないか。ゆってみれば、(1)はうまくなる指導系統、(2)は自分たちでうまくなる指導系統、みたいな。

 

といっても(1)も自分たちでうまくなることをめざしてグループ学習を進めるので簡単にはわけられないが…。

 

ひとまず、組織領域を意識した学習展開・内容をめぐっておもいついたことでした。