TAMAKOSIの日記

体育・スポーツや教育にかんしてかんがえたことを中心につづっていきます。研究会の情報も案内していきたいとおもいます。

体育授業を考えるシンポジウム実践!?の巻

ちょっとおもしろかった取り組みを紹介。

 

 

中・高の体育教員養成課程の演習科目の授業で学生たちにシンポジウムをしてもらった。

 

なづけて、

 

すぐれた保健体育教師の大討論会

 

テーマは、

 

バレーボールの授業づくりで大切にすることは何か。

     4人のすぐれた実践家に学んで

 

である。

 

すぐれた保健体育教師とあるが、実際にその人たちをよぶわけではない。登壇するのは、学生である。

 

4回の授業にわたって、すぐれた保健体育教師のバレーボールの指導系統を追体験し、その上で、上記のテーマについて、4人の指導系統の共通点と相違点をみちびきだしながら議論していく。

 

4人とは、

 

1、長野の小山さん

2、兵庫の殿垣さん

3、熊本の佐藤さん

4、宮城の矢部さん

 

である。

 

スパイクを中心とした指導系統が佐藤さんと殿垣さんで、佐藤さんは特に戦術的な攻防を徹底的に学習の対象にした指導系統である。教材を改変している点も参考になる。

 

そして、ラリーを中心とした指導系統が小山さんと矢部さんである。2人を比較しておもしろいのが、3年目のカリキュラムの相違である。小山さんは自分たちでバレーボールの練習・大会を運営する。矢部さんは自分たちのバレーボールをつくる。ここには出口像の違いがある。これはシンポジウム後に少し解説をする。

 

もちろん、この違いがみえるように司会役に事前指導している。

 

議論を重ねる中で、指導系統の力点はスパイクかラリーかと、わけられるが、指導内容としてはどちらも「意図的なスパイクを含むラリー」を追求していることがみえてくる(ように司会役に事前指導している)。

 

4人の指導系統を学ぶ際、欠席回数が多い人順に講師役をつとめてもらった。

 

1人の指導系統に約3人の人を講師役にした。

 

実践記録をわたし、よんできてもらい、90分の授業の流れを事前につくり、それをチェックし、実践する。

 

そして、シンポジウムでは、講師役の中から1人代表者をだして登壇する。

 

もちらん、シンポジストとフロアの人にはディスカッションが成立するように事前に考えをまとめるワークシートをわたし宿題にしておく。

 

当日は、

 

司会役:今日のシンポジウムのテーマは〜〜〜です。シンポジストの紹介

 

小山役の学生:長野の小山です。

殿垣役の学生:兵庫の殿垣です。

・・・

 

といって、まさに本人になりきって登壇してもらった。

 

本人になりきるから、資料をよみこんで、かかれていないニュアンスもくみとってフロアからの質問にこたえられるようにしてね、と無茶振りをしておいた(笑)

 

司会役も進行を工夫してくれ、うまい子からみてラリー中心の指導系統ではスパイクがあまりなくてつまらないのでは、へたな子からみて、スパイク中心の指導系統では課題が高く、困難さがあるのではないか、と疑問をなげかけたあと、

 

司会役:以上のようにバレーボールの指導では克服すべき点がありますが、それぞれのシンポジストはどのような問題のある授業をのりこえるために、どのような指導系統を考えて実践しているのかを紹介してください。

 

とつづき、

 

小山役の学生:私は・・・・。

殿垣役の学生:私は・・・・。

・・・

 

とそれぞれがこたえる。

 

その後、司会からの質問やシンポジスト同士の議論がおこなわれた。

これがおもしろかった。

 

講師役を経験し、自分が指導系統を指導していることもあって、よく理解した上で、他の講師役に質問や問題提起をなげかけている。

 

そして最後にフロアもまじえて、自由な質疑応答とテーマにそった議論をする。

 

あ、今おもったら、グループワークなどをさせてもよかったかもなぁ。

 

本物にあいたいなら夏大会に参加を、と次の授業で声かけないとなぁ。

 

学生たちものりきで、おもしろかったので、

 

来年もこのとりくみをパワーアップさせて、やってみたい。

 

遠泳実習②

 

遠泳実習で重要だなとおもったのは前回しめした学習内容の2つめ。

 

バディシステムだとおもう。

 

なかよくやれとか、お互いにはげましあえとか、そういうことが道徳的にならない。

 

海ではバディの相互援助が不可欠となるから、おしつけにはならない。

 

嘉納治五郎が遠泳をやりはじめたそうだけれど、それは遠泳の過酷さを克服するというよりも、そのプロセスでもとめられるバディシステムの教育効果について着目したのではないかと推測する。

 

自他共栄の精神みたいな。

 

大事なことは自然がおしえてくれる、みたいな話はよくあったけれど、そこにはやはり原理があった。

 

それと、今回、アルバイトの方と遠泳実践者の総勢約100名で実施した。

 

そこで、アルバイトの方になるべく協力してもらって、自治的な活動がおこなえるようにしたいとおもった。

 

しかし、自治的な活動をするためには、あらかじめこちらが全行動を把握している必要があると痛感した。

 

こちらが何をどういうシステムで運営していくのかを熟知していなければ、結局のところ「どうすればよい?」とたずね、主体性が従属的になってしまう。

 

学校行事でも自治を、とおもってきたけれど、それができるためにはこちらがすべての行程を把握していなければならない。

 

また、自治を成立させるためには、〜する、だけではなく、〜をしたかどうかチェックするといった活動も視野にいれておかなければ、全体で達成することは困難となる。

 

自治を育成するための指導は、準備がすべてであり、教師の覚悟が一定程度必要なのだなとおおいに学んだ。

 

和大のすべてを自治的におこなう遠泳実習は本当にすごい。一度その行程をみてみたいなぁ。

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遠泳実習にて①

遠泳実習、無事終了。

 

直前になって行動表を作成せねばならず、大変だった。。。

 

おおあわてで準備でき、無事成功。

 

今回わかったこと。

 

遠泳は3つの学習内容をもつ。

 

1つは海を理解し、状況を把握して対処すること。

 

潮の流れ、みちひき、ひいたときの危険な岩肌への対処方法等々。

 

2つは、バディシステムの重要性を理解し、実践すること。

 

生存確認や状況把握のためにはバディの存在が不可欠。

 

バディを救助する方法や支援しあう方法を理解する。

 

3つは、立ち泳ぎ、うきを中心とする長距離泳法の獲得。

 

この3つがメインの学習内容になってくる。

 

特に2番目は、その他を土台としながらも、生きるために協同的関係を構築する。

 

集団が生きてもどってくることを1つの共通目標としていることで、集団的な達成感も非常におおきいものがある。

 

しりあいに話をきいたら、和大は学生がすべて自主的にプランをたてて実践するそうだ。

 

これは出原さんの影響だろうか。

 

行事では自治的行動能力を徹底して学ばせるのだから、おそらくそうだろう。

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教師の願い

いつだって、そうだと思う。

 

教師は、

 

  この世界で、

    子どもたち(人間)が、

        幸せに生きていける。

 

そのことをみな、ねがっているんだ。

 

この目標をみうしなって、実践を議論してしまってはいけないのではないか。

 

指導要領の「内容」にしばられてはいけない。

 

指導要領の背後にある、共通普遍の「願い」から私たちは出発したほうがよい。

 

すると、指導要領はヒントをしめしてくれる土台にみえてくるだろう。

 

問われるのは、「この世界で」という現実認識であり、その上で、「幸せに生きていく」ための目標設定をどのように同定していくのか、そしてそれを、各教科・教科外でどう実現していくのか、を考えていくことであろう。

 

体育の授業で、子どもたちがこの世界で幸せに生きていくために、どんな教材を与え、どんな学習過程でもって、どんな力をつけていくのか。

 

この本質を問う主体をふやしていくことが、自分のはたすべきことなのかも。

 

 

大阪ツアー、繁昌亭からの串カツ。たれつけすぎて怒られました。

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仕事と生活と自分と

 

労働しはじめて3ヶ月がたつ。

 

今までは修行期間で、自分の生き方と労働が結びついていた。

 

でも、実際に労働してみて、労働と自分の生き方は区別することで、労働に身がはいる場面もあるんだなと感じた。

 

やりたいことと労働が結びつかない、といいきることはできなくて、延長線上につながりを把握しているんだけれど、やっぱりどこかでわりきった方が身がはいるものがある、という感じがする。

 

労働は論理であるけれど、自分の生き方は感性、というと短絡的だが。

 

そんな感じ。

 

これは労働だ、とわりきる場面と、今日は自分らしく過ごしてみようという場面と、今日は部屋片付けなきゃという生活(ケア労働)場面の区別。

 

これをしてみると、人生豊かになるかもしれない。

 

あんまり1日を自由にすごしてこなかったから、あたらしい発見もあるかも。

 

と、朝おきておもった。

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運動会は体育的行事か?

最近、体育的行事について考える機会をもらえた。

 

それで、「運動会は体育的行事か?」とちょっと悩んだ。

 

音楽科の発展の場としての校歌斉唱、運動会ソングづくりが想定されるし、図画工作の発展の場としての装飾づくりなども想定される。

 

「体育」的行事とされるゆえんはどこにあるのだろうか、と。

 

このとき、かんがえないといけないことがもう1つある。

 

それは、体育的行事は特別活動の1つなのだから、生活指導を中心として学習者に自治的行動能力を形成していくことをめざすことが第一義的である、ということ(ではないか)。

 

体育的行事は、運動文化の計画ー実践ー総括を教材として、運動文化領域における自治的行動能力や組織・運営能力の形成をめざすものとも位置づけられ、これは教科としての体育の発展の場とするかんがえかた。

 

後者が強調されると、「体育」的行事はしっくりくる。

 

 

まず第1に特別活動のねらいがあり、第2にそこに合致する教科の発展的学習論がある、とかんがえてよいだろう。

 

でもやっぱり、特別活動の1つである、ということが冒頭で述べた他教科の発展の場となっている土壌をつくりあげているようにもおもう。

 

なので、

 

①他教科の発展の場にもなりうる程の総合性もふくめて、運動会は教材としての「運動文化実践」と考慮した方がよいのだろうか。

 

それとも、

 

②特別活動の1つだから、分野は体育よりで、名称も「体育」的行事としているけれど、それは必ずしも体育の発展のみを意味するわけではない、という理解の方がよいのだろうか。

 

どっちでもいいのかなぁ。

 

いろんな人にきいてみよう。

 

校内にいたクワガタ。

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年間計画づくり

昨日、年間計画づくりの学習会が開催され、要領改訂をふまえた今日的な課題について多様な議論がなされた。

 

 

 改訂学習指導要領で着目されるカリキュラム・マネジメントでは、資質・能力の育成をふまえた目標設定、授業の設計・実施・評価・改善、校内研修の工夫、校内外の環境整備などが、校長のリーダーシップのもとで実施されることが予測される。

 

そのためトップダウン的な制約がつよくなり、授業においても統制された条件で子どもたちの「主体的で対話的な深い学び」を実施することが要求されてくる。

 

これに対して、「何のための」資質・能力なのかという問いかけが重要となると考えられる。

 

「学びに向かう力・人間性を育む協力学習」といった「態度主義体育」の復権や「思考力のための話し合い活動」という「学習内容不在の学習活動」の普及、「チーム○○学校カリキュラム」による細切れ単元の制約。

 

これらに対して、「何のためか」「大事なことは」と跳ね返し、借りものではない「私たちの」教育課程づくりを志向する職場の雰囲気をどうつくっていけるのか。

 

 「指導要領が改訂されても現場はそんなに変化しない」と楽観視していると、少しずつ「美しい言葉」で合意させられていき、気づいたら混乱の渦中にいる、なんてことになりかねない状況がある。

 

それほどまでに今回の指導要領は「うまくできている」。

 

「何が大事なのか」という発想を職場づくりに生かすこと、授業にとじないで教科と教科外、学校づくりの視野も含めた年間計画づくりの力量を高めることなど、課題が検討された。

 

 教師が自前のカリキュラムを作成するとして、本気で年間計画づくりに取り組んだらどうなるんだろうか。協力してくれる方がいたら一緒に検討してみたいと感じた。

 

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